平仮名本「因果物語」(抄) 因果物語卷之四〔四〕ねたみ深き女つかみころされし事
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を見られたい。この回の底本はここから。]
因果物語卷之四〔四〕ねたみ深き女、つかみころされし事
むかし、京の、冨(とみ)の小路(こうぢ)白山町(はくさん《ちやう》)に、伊兵衞と云《いふ》者の女房は、きはめて、「りんき」[やぶちゃん注:「悋氣」。嫉妬心。]ふかきものにて、しかも、口、わろく、人の事、あしざまに、いひなし、人の仕合《しあはせ》、よくなるを、そねみ、あしくなるを、よろこび、わが心にあはぬ人の家に、もし、わろき事出來《いでく》れば、
「さて、しらけよ。心地よし。」
など、いひけり。
[やぶちゃん注:「京の、冨(とみ)の小路(こうぢ)白山町(はくさん《ちやう》)」現在の中京区の、上(かみ)・中(なか)・下白山町(しもはくさんちよう)の附近(グーグル・マップ・データ)。
「しらけよ」。岩波文庫の高田氏の注に『露見したよ、ばれたよ。上方語。』とある。]
子もなく、たゞ、夫婦すみけるに、本願寺宗にて、夫(をつと)は、ある朝、とく、おきて、町内にある道場[やぶちゃん注:浄土真宗本願寺派の教会所を指す。]にまいり[やぶちゃん注:ママ。]て、夜あけに、下向いたし、戶をけて、内に入《いり》けるに、「ねや」は、有《あり》ながら、女房は、なし[やぶちゃん注:閨(ねや)の寝具の容易はしてあるのに、女房は、いない。]。
裏の戶は、内より、かけがね、はまりて、あり。
夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])あやしく思ひ、戶を、あけて、うらに出《いで》てみれば、うらの、町のさかひ目の壁(かべ)ぎはに、あかはだかにて、ふして、あり。
立《たち》よりて、みれば、兩の「あし」を、引《ひき》ぬき、「はらわた」、出《いで》て、死(しゝ)て、あり。
いか成《なる》ものゝ「わざ」といふ事を、しらず。
人みな、いはく、
「日ごろの心だて、あしかりけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、かゝるめに、あひけり。」
と。
そしるものは、おほくして、あはれがる人は、なし。
生(いき)ながら、「火車(くはしや)」に、とられける事は、をして[やぶちゃん注:ママ。]、しられけり。服部(はつとり)八弥、物語せられし也。
[やぶちゃん注:「火車」高田氏は『一種の妖獣。突如、雷鳴と共に天空より降り、人の屍を奪い去ると信じられていた。』とされるのだが、江戸時代の妖異としての「火車」は、ゔヴァラエティに富み、一様ではない。高田氏の言われたそれは、怪奇談集に中でも、確かに、一つの極(きょく)としてのオーソドックスな「火車」であることは、間違いないのだが、この場合、女房はすっ裸にされ、生きながら、両足を大腿部から引き抜かれ、内臓を引き摺り出すという凄惨な方法で「殺害されている」のであって、よくあるパターンである「葬送の途中、雷が轟くと同時に、死体が空中から現われ、はっきりとは見えない魔物たる「火車」なるものに奪われてしまう。」という定番の「火車」とは、シチュエーションが違い過ぎるのである。私のブログの記事や怪奇談では、「火車」が出現する話は二十件を下らない。比較的新しいものでは、『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「火車」』がある。「茅窻漫錄」の引用だが、ここでは珍しく「火車」の魔物の実像(なるもの)が「魍魎(カシヤ)」として紹介されている(個人的には、この図、鼻白むものである)。「狗張子卷之六 杉田彥左衞門天狗に殺さる」をお手軽に剽窃したと私は考えている、「多滿寸太禮卷第四 火車の說」がある。また、私が、反射的に想起してしまう、別なタイプの「火車」というのは、通常は「片輪車」という呼称の方が一般的なもので、これは、『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「片輪車」』の私の注でリンクさせた怪奇談を見られるのが、最も手っ取り早い。]
« 「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 榆 | トップページ | 平仮名本「因果物語」(抄) 因果物語卷之四〔五〕生ながら火車にとられし女の事 »