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2024/07/05

「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 㐧三 女夫の田地を盜天罰の事

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]

 

 㐧三 女《をんな》、夫(をつと)の田地(でんち)を盗(ぬすみ)、天罰(てんばつ)の事

 石見(いはみ)の国、「ちぶ里《り》」の近りんに、さる百姓あり。

[やぶちゃん注:「ちぶ里」これは、現在の隠岐諸島の一島である知夫里島(ちぶりじま)しか考えられないが(グーグル・マップ・データ)、同島は過去に於いても「石見の国」の領地であったことは、ない。江戸時代は天領であった。作者は、そうした知識を欠いており、この話自体の真実性が、冒頭から喪失していると言わざるを得ない。なお、私は十四年前に、隠岐諸島全島を連れ合いとともに、旅したが、自然の景観に最もうたれたのは、この知夫里島であった。隠岐に行かれる際には、必ず訪れることを強くお勧めするものである。一つだけ悔いがあるのは、アメフラシを食べることが出来なかったことである。私の『畔田翠山「水族志」 (二四八) ウミシカ (アメフラシ)』を参照されたい。

 夫婦の中(なか)、ことに、むつまじかりけり。

 ある時、夫、ささめごと[やぶちゃん注:ここは「男女の閨(ねや)での睦言(むつごと)」の意であろう。]に云ひけるは、

「我、もし、死にたりとも、汝、必らず、兩夫(りやうふ)に、まみゆる事、なかれ。もし、又、汝、我より、さきだつとも、われも、かならず、よの妻を、もつまじ。」

と、たがひに、いひかはしければ、女、こへていはく、

「何をか、のたまふ。百年までも、ともに老《おい》なんとこそ、おもふ中《なか》なるに、こは、いまはしき事を、のたまふ物かな。」

と、云ひける。

 其後、とし月を、へて、夫、病(やまい[やぶちゃん注:ママ。])を、うけて、惱み、みづから、

『本ぶく、あるまじき事。』

を覺えて、女房にむかひ、

「いつぞや、ささめごとにいひし事、忘れ侍るにや。今は、はや、おさなきものもあれば、いよいよ、我、なきあとをも、さまさず[やぶちゃん注:「冷まさず」。「亡き夫への愛情を冷ますことなく」の意。]して、おさなき[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]ものゝ「うしろみ」[やぶちゃん注:ここは「子どもをしっかりと養育すること」を指す。]をもし、すこしの田畠(たはた)などもあれば、ずいぶん、かせぎ、いとなみ給へ。且(かつ)は、一子がためと、おもはれかし。」

と申せば、女房、有無(うむ)の「へんじ」もなくして、かほ、うちあかめて、さしうつむき、かなしみける。

 夫、やまひ、日〻に、おもりて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]死にけり。

 ほどへて、女、夫が言葉に、そむき、おさなき子を、人に、くれて、其身《そのみ》は、他所(たしよ)へ、ゆき、とづきぬ[やぶちゃん注:ママ。原本では「嫁(とつ)ぎぬ」。]。

 ある時、夫[やぶちゃん注:無論、「新しい夫」である。]の「るす」に、女房、「ねま」へ入《はいり》、すこし、まどろみけるが、いづくより來《きた》るともなく、犬、一つ、文(ふみ)をくはへ、來り、女房の前にをき[やぶちゃん注:ママ。]、かきけすやうに、うせぬ。

 女房、此《この》文を取《とり》てみければ、我《わが》名付(なづけ)也[やぶちゃん注:彼女宛の書状だったのである。]。

 ふしぎに思ひ、ひらき見けるに、まへの夫の自筆也。其ことばにいはく、

「汝と我と十五年 既に契りし夫婦也 我が家財でんちまでを いか成《なる》しさいありて ぬすみ取《とり》て 人の財とする それのみならず 一子を捨てゝ あらため 余人(よじん)へとつぐ事 うらみても 猶(なを[やぶちゃん注:ママ。]) うらみあり 子のためにしては まつたく 母にあらず 妻にあらず 人非人(にんひにん)のふるまひ いふにことばなし 此《この》いきどをり[やぶちゃん注:ママ。]をさんず[やぶちゃん注:「散ず」。]べし」[やぶちゃん注:「人の財とする」とあることで、女が先夫の全遺産を、総て、奪取し、それを持って、再婚したことが知られる。]

と、こまごまと、かきて、あり。

 女、これをよみ、氣もたましゐ[やぶちゃん注:ママ。この部分、岩波文庫では『肝魂』と漢字化するが、賛同出来ない。]をうしなひ、遍身(へんしん)より、あせを、ながし、其《その》まゝ、目まひて、たへ[やぶちゃん注:ママ。「絕え」。]入《いり》けり。

 其後は、よごとに、妄靈(まうれい)、來りて、此女を、ひた物[やぶちゃん注:「直物・頓」で「ひたすら」の意。]、せめけるに、俄(にはか)に、此女、身のあつき事、いふばかりなく、もだへ、こがれて[やぶちゃん注:「焦がれて」。焼け焦げるような感覚が頻りにして。]、せんかたなくて、「たらい[やぶちゃん注:ママ。「盥(たらひ)」。]」に水を入《いれ》、つかるに、其水、たちまち、湯(ゆ)となる。

 取りかへ、取りかへする事、一日に、百度(《もも》たび)に及べり。

 のちには、河(かは)にひたりけれども、川水(《かは》みづ)までも、湯と、なりけり。

「あら、あつや、かなしや、」

といふほどこそあれ、三十日ばかりありて、つゐに、くるひ死(じに)に[やぶちゃん注:この言い方は違和感があるが、この筆者の書き癖である。]、しけり。

 夫の「ゆひごん[やぶちゃん注:ママ。]」をちがへ、剩(あまつさへ)、代々の家とくを盗(ぬすみ)、他の「たから」となしける「天ばつ」の程こそ、をそろしけれ[やぶちゃん注:ママ。]。今生(こんじやう)より、「せうねつ」・「大せうねつ」[やぶちゃん注:この世にありながら、「焦熱」地獄と「大焦熱」地獄の苦しみを受けることを言う。]の「ほのほ」に身をこがしける。

「未來(みらい)の『くわほう』[やぶちゃん注:「来世(らいせ)の果報」の意。]は、さぞ、あるらん。」

と、怖れざらん人は、なし。

 此のはなしは、慶安の比の事也と申《まうし》つたゆる。

[やぶちゃん注:「慶安の比」一六四八年~一六五二年。徳川家光・家綱の治世。]

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