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« 「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 訶黎勒 | トップページ | 「疑殘後覺」(抄) 巻二(第八話目) 亡魂水を所望する事 »

2024/07/14

「疑殘後覺」(抄) 始動 / 巻二(第七話目) 岩岸平次郎蛇を殺す事

[やぶちゃん注:「疑殘後覺」(ぎざんこうかく)は、所持する当該書を抄録する岩波文庫「江戸怪談集(上)」(高田衛編・校注・一九八九年刊)の高田氏の解説によれば、十六世紀末『当時の伽の者によって筆録された』『雑談集』(世間話集)で、『戦国武将をめぐる挿話や、戦陣の間に行われた世間話のありようをうかがうにふさわしい資料として貴重』なもので、『写本』で『全七巻七冊』で全八十五話から成る。『編著者』は『識語』に『愚軒』とあり、そこに「文祿五年暮春吉辰」(「吉辰」は「きつしん」で、「辰の日」ではなく、単に「吉日」の意であるので、これが正しいとすれば、豊臣政権最初の改元年であった文禄の五年三月(グレゴリオ暦で一五九六年三月二十九日から四月二十七日。なお、「文禄」は、この文禄五年十月二十七日(グレゴリオ暦一五九六年十二月十六日)に「慶長」に改元されている)の間に識されたことになるが、当該ウィキによれば、『実際の成立年代は』、『やや下るものと見られている』とあり、『それぞれの話は』、『登場人物が語る「咄」として語られており、内容も怪談・奇談・笑話・風俗話と多岐にわたる』。『実在の人物も多く登場するが、関東・東北・九州の大名は』、『一切』、『登場』せず、『豊臣秀吉に関しては』、『絶賛に近い形で紹介されるが、織田信長については酷評されている』とある。戻って、高田氏は、『原本の成立の時期は、ほぼこの時期』、『文禄年間(一五九二―九六)と考えて妥当と思われる』とされ、『著者愚軒については不詳だが、豊臣秀次側近衆にかかわりのある』「伽の者」『のひとりでああったかとも思われる』と述べておられ、この書は、所謂、「怪奇談集」ではなく、『収録された怪談も、まだ怪談として自立しているのではなく、あくまでも世間話の一端として行われたものであった。近世期』の『怪談集』『以前の〈怪談〉の姿を見るべく、あえて本巻に収録した』とある。

 さて、私は「怪奇談」以外の本書の諸篇を電子化するつもりは、全くない。そもそもこの時代の歴史には、殆んど興味がない上に、秀吉は大嫌いだからでもある。そこで、私は、岩波文庫が採用抄録した「疑殘後覺」からの十二篇を電子化することとした。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの『續史籍集覽』第七冊(近藤瓶城(へいじょう 天保三(一八三二)年~明治三四(一九〇一)年:漢学者で『史籍集覽』の刊行者)編・昭和五(一九三〇)年近藤出版部刊。リンク先は巻第一巻の「目錄」冒頭)を視認して電子化注することとした。なお、時間を節約するため、上記岩波文庫版の本文をOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴くこととし、その高田氏の脚注も参考にさせて貰うこととした。ここに御礼申し上げる。

 なお、各標題には通し番号がないので、整理するために、標題の前に、私が丸括弧で「巻二(第七話目)」というふうに添えておいた。

 本底本は戦前のもの乍ら、漢字の一部は新字体相当のものが、かなりある。と言うより、漢字表記が極めて少ない。それは忠実に示した。無論、「ひらがな」であるために却って読み難くなっている箇所には、割注で、漢字表記(正字)を示す割注を入れた。また、濁点は全く打たれていないが、これは、余りにも読み難いので、私の判断で濁点を附した。この時代、半濁音「゜」は一般的には殆んど使用していないが、現代の読者のため、半濁音と断定したものには附した。但し、「は」は「ハ」で記されてあるが、「は」で起こした。

 本書は、歴史的仮名遣の誤りが、甚だ多い。逐一、ママ注記を入れるが、各話で同一の単語誤用がある場合は、「以下同じ」と入れて、省略した。

 底本には句読点が、一切、ないため、甚だ読み難いので、私の独断で句読点を打ち、字下げ・改行・改段落・記号を自由に追加してある。

 読み(ルビ)は、ごく一部にしか、附されていない。原本のものはそのままに( )で挿入したが、私が必要と感じたところには、《 》で読みを添えた。

 踊り字「〱」「〲」は、生理的に嫌いなので、正字表現或いは「々」とした。

 以下の初回の篇は、原書の「巻第二」の「岩岸平次郎虵を殺す事」(同巻の「目錄」では「蛇」は「虵」となっている)で、ここからである。]

 

巻二(第七話目)

  岩岸平次郎、蛇を殺す事

 美濃國へ、「岩成《いはなり》」かた[やぶちゃん注:「方」。]より、用の事、ありて、くだりけるが、山中、ふかくいりて、やうやう、山をうち越え、平の[やぶちゃん注:「平野(ひらの)」。一般名詞。]に、いでけるに、谷のかたはらより、「まむし」の、きたりて、なごりもなく、とびかゝるほどに、「わきざし」を引《ひき》ぬいて、ほそくびを、

「ちやう。」

と切り、きりすまして、なにの事もなく、そろそろと、ゆくほどに、岩村といふ在所に付(つき)にける。

[やぶちゃん注:「岩成」岩波文庫で高田氏は『備後国深津郡岩成郷。現』広島県『福山市内』とされる。この辺りなのだが(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)、ちょっと「美濃國」とは距離が離れ過ぎていて、私には、気になる。と言っても、江戸以前に遡る「岩成」或いは「石成」の地名は、ピンとくるものも、ないのだが。一瞬、愛知県春日井市岩成台(いわなりだい)を考えたが、「ひなたGPS」で見ると、戦前の地名には「岩成」の影も形もないので、違う。

「なごりなく」「名殘もなく」。高田氏の脚注に、『容赦なく、いきなり、の意』とある。

「岩村」岐阜県恵那市岩村町(いわむらちょう)。]

 こゝにて、客僧[やぶちゃん注:ここは修行僧の意。]の、あとより來けるが、いふやうは、

「なふなふ、それへ、おはします旅人、御身は、今日《けふ》、殺生《せつしやう》を、し給ふか。」

と云ふ。

[やぶちゃん注:「なふなふ」「なうなう」が正しい。感動詞「なう」を重ねた「呼びかけ」の言葉。「もしもし」。平安中期には既にあった語である。]

あらそう[やぶちゃん注:ママ。]べきにあらざれば、

「なかなか。道に蛇のありて、我をさゝん[やぶちゃん注:「刺さん」。蛇が「咬む」ことを「刺す」と称するのは、ごく一般的な表現である。]とするほどに、たちまちに、いのちを、とどめて候。」

と申《まうす》。

「げにも。さあると、みへて候。御身のいのちは、こよひのほどと、おぼしめせ。あけなば、いのちを、とられたまふべき。」[やぶちゃん注:最後は詠嘆の連体中止法。]

と、いへり。

 平次郎、大《おほい》に、おどろき、

「それは、何として、死ぬべき。」

と、いふ。

 客僧の、いはく、

「あまり、いたはしく候へば、御命《おいのち》を救ふて、まいらせん。」

と、いふ。

平次郎、

「それは。かたじけなし。」と云《いふ》。

「さあらば、『やど』へ、つき給へ。宿《やど》にて、事を行ひはんべらん[やぶちゃん注:ママ。]。」

と申せば、

「もつとも。」

とて、打《うち》ぐして、岩村の宿へぞ、付《つき》にける。

 やがて、きやく僧は、行ひをして、そのゝち、いふやうは、

「これの、汲みをく[やぶちゃん注:ママ。]水桶《みづをけ》を、たれ人《ぴと》も、いらひ給ふな。あした、あけて、底を見給へ。いさゝかも、こよひ、この水を、のみたまはゞ、たちまち、うせたまはん。」

と、いふほどに、

「かしこまる。」

とて、おきにける。

[やぶちゃん注:「行ひをして」ある修法(しゅほう)を執り行い。

「たれ人《ぴと》も、いらひ給ふな」「貴殿は勿論のこと、その外の人であろうと、誰(たれ)も、この水槽に触れたり、弄(もてあそ)んだりさせては、なりませぬぞ!」。]

 さて、夜あけて見ければ、水桶のそこに、へびのあたま、め[やぶちゃん注:「眼」。]を、見いだしながら[やぶちゃん注:眼球を飛び出させた状態で。]、しして、ゐたりけり。

「これは。さても、ふしぎなる事かな。」

と、いへば、きやく僧、

「さればこそ。昨日《きのふ》、御身のあゆみ給ふあとより、このくび、ひたもの[やぶちゃん注:副詞。「無暗に」。]、とひて[やぶちゃん注:「跡(と)ひて」。跡(あと)を追って。]、つけてゆくほどに、さてこそ、それがし、蹟ひしなり」といふほどに、「さてもふしぎなる事かな。御かげによりて、いのち、ひろひ申す。この水は、さだめて、どくすい[やぶちゃん注:「毒水」。]にて候はん。」

と、いへば、客さう、

「『をけ』ともに、谷へ、すて給へ。」

と、あるほどに、

「かしこまる。」

とて、ふかき「ふち」へぞ、ながしにける。

 かならず、「しう心[やぶちゃん注:ママ。「執心(しふしん)」。]」ふかき、「どくはみ」[やぶちゃん注:「毒蛇(どくはみ)」]なれば、かやうの事は、よく聞《きき》おくべき事なり。

 このあたま、はい[やぶちゃん注:ママ。「灰(はひ)」。]にやきて、ちらせしなり。

 おそろしき事どもなり。

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