「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 𣏌柳
きりう
𣏌柳
キイ リウ
本綱𣏌柳生水旁葉粗而自木理微赤可爲車轂今人取
[やぶちゃん字注:後で全文を見せるが、「自」は「本草綱目」では、『杞栁生水旁葉粗而白木理微赤』であって、誤字である。訓読では「白」に直した。]
其細條火逼令柔屈作箱篋孟子所謂𣏌栁爲杯棬者是
也
△按𣏌柳毎夏採氣條三四尺者剥去皮作篋白色光澤
名柳行李壓于物不損旅行必用之噐也多出於藝州
嫩木時剥皮故大木希也其皮縛金瘡甚佳
*
きりう
𣏌柳
キイ リウ
「本綱」に曰はく、『𣏌柳、水の旁《かたはら》に生ず。葉、粗くして、白≪し≫。木理《きめ》、微《やや》、赤くして、車の轂《こしき》[やぶちゃん注:車輪の輻(や)の集まる中央部分の名称。]に爲《な》すべし。今人《こんじん》、其の細き條《えだ》を取り、火≪に≫逼《ちか》≪づけ≫、柔《やはら》ならしめ、屈《たは》めて、箱-篋《はこ》を作る。「孟子」≪に≫所謂《いはゆる》、「𣏌栁、杯-棬《はいけん/さかづき》≪を≫爲《つくる》。」とは、是れなり。』≪と≫。
△按ずるに、𣏌柳、毎夏、「氣條(ずはい)」[やぶちゃん注:東洋文庫訳で割注して、『真直ぐに高くそびえて生え出ている枝』とある。]、三、四尺の者を採りて、皮を剥(は)ぎ去《さり》、篋《はこ》に作る。白色≪にして≫、光り、澤《うる》はし。「柳行李(《やなぎ》かうり)」と名づく。物に壓(お)されて≪も≫、損ぜず、旅行必用の噐《うつは》なり。多≪くは≫、藝州に出づ。嫩木《わかぎ》の時、皮を剥《はぐ》故《ゆゑ》に、大木、希(まれ)なり。其の皮、金瘡《かなさう》を縛(くゝ)りて、甚だ、佳《よ》し。
[やぶちゃん注:【二〇二四年七月二十三日:注の全面改訂を行った。それは、日中の漢名及び学名の完全一致を見て、本種を、何の疑問もなく、双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属イヌコリヤナギ Salix integra に比定同定したのであったが、次項の「こぶやなぎ 贅柳」(既に先ほど公開した)を考証する内に、そちらこそが、「役に立たない柳」=「𣏌柳」(「𣏌」は「杞」の異体字)であることが、事実として判ったからである。】この「𣏌柳」は、現行では、日中ともに、
双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属イヌコリヤナギ Salix integra
に比定同定されている。この事実は、「維基百科」の「杞柳」、及び、本邦のウィキの「イヌコリヤナギ」の漢名、及び、学名が一致しているのを見られたい。
しかし、この和名
「犬行李柳」
とは、
「行李柳」にそっくりだが、「役に立たない(=犬)柳」の意味
である。
しかし、この項、「本草綱目」の引用には、「車の轂(こしき)にするとよい」と言い、「その枝を処理を施して編んで、箱-篋(はこ)を作る」と言っている。そればかりか、かの「孟子」にも、「盃を作る」と書いてある、とする。良安も、「その枝で篋(はこ)」=「柳行李」を「作る」と言い、その皮さえも、「金瘡」(刀剣・包丁等による切り傷)の妙薬だと太鼓判を押している点で、一貫している。これは、即ち、ぺらぺらの樹皮に至るまで、利用出来ない部分は一ヶ所もない――万能の柳――だと言っているのである。これは、真逆である!!!
従って、本種は、「イヌ(犬)」でない方、真正の、
双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属コリヤナギ Salix koriyanagi (辞書(後に引用した)を見ると、古くは「コウリヤナギ」と呼んでいたものが、縮約され、それが和名になったとする。しかし、もし、これが事実であるなら、最初にその種を名指したものを、正式和名とするのが、厳しく守られた規則であるからして、本種は「コウリヤナギ」とすべきである)
であると考えないと、合わないことが判明したのである。
平凡社「世界大百科事典」の「コリヤナギ」から引く(コンマは読点に代えた)。『ヤナギ科の落葉低木で、水辺に栽培される。長さ』に名著『内外の枝を集めて、皮をむいて柳ごうりを作る。和名のコリヤナギはコウリヤナギが詰まったものである。朝鮮から移入されたものといわれ、江戸時代には広く用いられていた。雌雄異株で、高さ』二~三メートル『になる。葉は長さ』六~十一・五センチメートル、『幅』六~十八ミリメートル。『花期は』三『月。葉が展開するよりも早く、細い円柱状の尾状花序を出す。雄花序は長さ』二~三センチメートル、『雌花序は』一・五~二・七センチメートル、『苞の先が黒色で、初めは花序全体が黒色に見える。兵庫県豊岡が名産地であるが、高知・長野県などでも栽培される。バスケット、果物かご、いすなどをつくるほか』、『切花にもする。なお』、『近縁のイヌコリヤナギS.integra Thunb.が日本にも野生するが、こうりは作らず』、『切花にする程度である』とあった。なお、本種の中文名は「尖葉紫柳」である。「維基百科」は乏しい(あるだけマシで、邦文のウィキは、ない)。そこには、『北朝鮮・日本・中国の遼寧省に分布し、標高百七十メートルから千四百メートルの地域に植生するが、現行、人工的移植導入や栽培は未だ行われていない』とある。以上の「世界大百科事典」の記載から、その樹皮・用材が多様の便に供せられてきたことは、はっきりした。本文の「本草綱目」や、良安の評価とも一致する。最早、「𣏌(=杞)柳」が、正真のコリヤナギであることは、明白である。しかし、いつの時代か判らないが、明らかに明よりもずっと前の中国で、見た目がよく似ているイヌコリヤナギと一緒くたになって、「杞柳」と中文名が記載されてしまい、それが固定し、近代に至って、そのまま、中国で本家コリヤナギに「杞柳」を標準中国名としてつけてしまったものと、私は、推理する。
本篇の「本草綱目」の引用は、独立項ではなく、ヤナギ類の総論に当たる「卷三十五下」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「桞」(ガイド・ナンバー[086-23a]以下)の「集解」からの抄録である。当該部総てをコピー・ペーストしておく(一部の表記に手を加えた)。
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杞栁生水旁葉粗而白木理微赤可爲車轂今人取其細條火逼令柔屈作箱篋孟子所謂杞栁爲桮棬者魯地及河朔尤多
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『「孟子」≪に≫所謂《いはゆる》、「𣏌栁、杯-棬《はいけん/さかづき》≪を≫爲《つくる》。」と』これは「孟子」の「告子章句上」の次の一節。
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告子曰、性猶杞柳也、義猶桮棬也、以人性爲仁義、猶以杞柳爲桮棬、孟子曰、子能順柳之性而以爲乎、將賊戕杞柳而後以爲桮棬也、則亦將戕賊人以爲仁義與、率天下之人而禍仁義者、必子之言夫。
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告子、曰はく、
「性(せい)は、猶ほ、杞柳(きりう)のごときなり。義は、猶ほ、桮棬(はいけん)のごときなり。人の、性を以つて、仁義を爲すは、猶ほ、杞柳を以つて、桮棬を爲(つく)るがごとし。」
と。
孟子、曰はく、
「子は、能(よ)く、杞柳の性に順(したが)ひて、以つて、桮棬を爲るか。將(は)た、杞柳を戕賊(しやうぞく)して[やぶちゃん注:通常は、「人を殺害して」の意だが、ここは「杞柳の持っている本性に、逆らって、無理矢理、加工して」の意である。]、而(しか)る後(のち)、以つて、桮棬を爲るか。如(も)し、將(は)た、杞柳を戕賊して、以つて、桮棬を爲らば、則ち、亦、將た、人を戕賊して、以つて、仁義を爲(な)すか。天下の人を率(ひき)ゐて、仁義に禍(わざは)ひする者は、必ず、子の言(げん)なるかな。」
と。
*
私は、個人的には、「孟子」が嫌いである。諸子百家の主な書は所持している中で、「孟子」だけは、所持していない。ここにあるような、論理的な鏡像のように整然と対句で相手を黙らせるところに、「惻隱の情」とは正反対の、冷徹な予定調和思想を感じるからであろうと思う。私の一番好きな中国の哲学書は「莊子」である。改訂する前の注では、この注を忘れていたのも、生理的嫌悪感が作用したためであった。今回、改めて補足した。
「氣條(ずはい)」意味は割注した通りであるが、後の後の「卷八十五」の巻末にある「樹竹之用」の「うへき 樹」にある当該箇所を、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版で示しておく。当該箇所は左ページの解説本文の二行目の中央にある。ここと同じ仕儀で、電子化・訓読しておく。なお、この原文の「ズハイ」も、以下に出る原文の「スバヱ」も、歴史的仮名遣としては、誤りで、正しくは、当初は清音で、「すはえ」(後世では「ずわえ」とも)である。「須波惠」は当て字なので、「惠(ゑ)」は無効である。
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木翹高起曰翹楚【俗云須波惠】斫過樹根傍復生嫩條蘖【與木同。】
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木、翹《ぬきんで》て、高く起《た》つを、「翹楚(すばゑ)」と曰《い》ふ【俗に云ふ、「須波惠」。】。
*]
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