「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 榎
[やぶちゃん注:右下方にある二枚は、成葉であろうが、画像を拡大すると、実のようなものが視認出来るので、成果の描写と私には見える。]
ゑのき 榎
【和名衣】
榎【音價】
榎楸共桐之
屬見于前今
云衣乃木可
謂櫸之属
[やぶちゃん注:「ゑのき」はママ。歴史的仮名遣は「えのき」でよい。訓読での補正はしない。]
△按榎木山林多有之封彊植之髙者五六𠀋可合抱其
葉似櫸而團大微光澤嫩葉可茹四月著小花蒼色狀
如雀屎附生葉靣不開而凋落故視之者鮮枝梢結子
大如豆生青熟褐色味甘小兒食之有早晚二種椋鳥
鵯鳥喜食之
子【甘平】 治咽喉腫痛及骨鯁
[やぶちゃん注:「鯁」は原本では、「グリフウィキ」の異体字のこれだが、表示出来ないので正字とした。]
其材皮青白色無麁皮身白木理宻而硬然不堪爲柱
伐可爲砧礩最宜薪相傳云其火氣益人身又生於榎
木茸名奈女須々岐【一名衣乃木太介】詳芝栭類
*
ゑのき 榎《えのき》
【和名、「衣《え》」。】
榎【音「價」。】
榎・楸《ひさぎ》、共に桐の
屬なり。前に見ゆ。今、云
ふ、「衣乃木《えのき》」は、
「櫸《くぬぎ》の属」と謂
ふべし。
△按ずるに、榎の木は、山林に、多く、之れ、有り。「封彊(いちりづか)」[やぶちゃん注:「一里塚」。]に、之れを植う。髙き者、五、六𠀋。合-抱(ひとかかへ)ばかり。其の葉、櫸(けやき)に似て、團《まろく》大《なり》。微《やや》、光澤≪ありて≫、嫩葉《わかば》、茹《ゆでく》ふべし。四月、小花を著《つ》く。蒼色。狀《かたち》、雀《すずめ》の屎《くそ》のごとく、生葉《せいば》の靣《おもて》に附く。開かずして、凋(しぼ)み落つ。故≪に≫、之れを視る者、鮮(すくな)し。枝の梢、子《み》を結ぶ。大いさ、豆のごとく、生《わかき》は、青く、熟さば、褐色。味、甘。小兒、之れを食ふ。「早《わせ》」・「晚《おくて》」の二種、有り。椋鳥(むくどり)・鵯鳥(ひよ《どり》)、喜んで、之れを食ふ。
子《み》【甘、平。】 咽-喉《のど》≪の≫腫《はれ》・痛《いたみ》、及び、骨(ほね)の鯁(たち)たるを、治す。
其の材、皮、青白色。麁皮《あらかは》、無く、身、白く、木理(きめ)、宻(こまや)かにして、硬し。然れども、柱に爲るに堪へず。伐《きり》て、砧-礩(あてぎ)[やぶちゃん注:この「礩」は、「器物の脚」或いは「物を断ち切ったり、砧を打つ際に用いる作業用の台」を指す。]と爲すべし。≪又、≫最も、薪《たきぎ》に宜《よろ》し。相ひ傳へて云はく、『其の火氣、人身に益《えき》あり。』≪と≫。又、榎木より生ずる茸《きのこ》を「奈女須々岐《なめすすき》」と名づく【一名、「衣乃木太介《えのきだけ》」。】。「芝栭(しじ)類」に詳《つまびらか》なり。
[やぶちゃん注:「榎」は、
双子葉植物綱バラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis
である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『別名では、ナガバエノキ、マルバエノキ』がある。『和名「エノキ」の由来については諸説あり』、
・『縁起の良い木を意味する「嘉樹(ヨノキ)」が転じてエノキとなった』。
・『秋にできる朱色の実は野鳥などが好んで食べることから、「餌の木」からエノキとなった』。
・『枝が多いことから枝の木(エノキ)と呼ばれるようになった』。
『などの説がある』。なお、『鍬などの農機具の柄に使われたからという説があるが、奈良時代から平安時代初期には、エノキの「エ」はア行のエ』。『柄(え)や』、『それと同源の語とされる「エ」はヤ行のエ』、『で表記されており、両者はもともと発音が異なっていたことが明らかなので、同源説は成り立たない』という反論もあるらしい。『漢字の「榎(エノキまたはカ)」は夏に日陰を作る樹を意味する和製漢字で』、『音読みは「カ」。「榎」は、中国渡来の漢字ではなく、日本の国字の一つである』(事実である)。『日本、朝鮮半島、中国中部に分布する』。『日本国内では本州、四国、九州の低地に分布する』。『山地や山野の明るい場所に生え、自然分布以外では人里にもよく植えられ、公園、河原などによく生えている。大きな緑陰を作るため、ケヤキやムクノキなどとともに各地の一里塚や神社仏閣に植栽され、その巨木が今日でも見られる』。『落葉広葉樹の高木で、高さは』五~三十『メートル』、『幹の直径は』二~二・五メートル『ほどに達する。ケヤキ』(双子葉植物綱バラ目ニレ科ケヤキ属ケヤキ Zelkova serrata )『やムクノキ』(バラ目アサ科ムクノキ属ムクノキ Aphananthe aspera )『よりも枝が横に大きく広がって丸い樹形になる傾向があり、全体として大きな緑陰をつくる。枝が多く、枝ぶりは曲がりくねっている。根元で数本に分かれていることもある。樹皮は灰白色から灰黒色で厚く、見た目はほぼ滑らかであるが、表面を触るとざらざらしている。老木になると、いぼ状のものが多数つき、枝の痕が一定間隔で並ぶことが多い。一年枝は淡紫褐色で毛が生えており、その基部には古い芽鱗や副芽が残っている』。『葉は互生し、葉身は長さ』四~十『センチメートル』『の卵形または楕円形から長楕円形で、先は尾状にのびて左右非対称。葉の質は厚く、葉縁の上半分には鋸歯があり、下部は全縁である。先端まで葉脈が発達しておらず、丸みを帯びている。秋には黄葉し、虫食いや斑点があるものが多い。比較的濃い黄色に色づき、暖かい都市部でもよく色づく。落葉すると褐色になる』。『開花時期は』四~五月で、『風媒花で』ありm『芽生えと同時期に、葉の根元に小さな花を咲かせ、花色は淡黄褐色である。雌雄同株で、雄花と両生花があり、雄花は本年枝の基部に数個つき、両性花は本年枝の上部の葉腋に』一~三『個』、『つく』。『雄花は雄蕊が』四『個、両性花は雄蕊』四『個と』、『雌蕊』一『個がつく』。『果期は秋』十月頃で、『黄葉した葉の後ろに、直径』五~八『ミリメートル』『の卵状球形の果実をつける』。『果実は核果で、熟すと橙褐色や赤褐色になり、冬でも枝に残ることがある。果実は食べることができ、味は甘くておいしい。果実は小鳥、特にムクドリ』(スズメ目ムクドリ科ムクドリ属ムクドリ Sturnus cineraceus 。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 椋鳥(むくどり) (ムクドリ)」を参照)『が好んで食べて、種子が散布される』。『冬芽は互生し、小さな円錐形や広卵形または偏平なやや三角形で毛があり、暗赤褐色をした』二~五『枚の芽鱗が、瓦状に重なるようにして覆われている。冬芽の基部の両側にはふつう副芽(平行予備芽)があり、一番外側の芽鱗に隠れている。枝先には仮頂芽がつき、側芽は枝に伏せるようにつく。冬芽のそばに葉痕があり杔葉が残っている。葉痕は半円形で、維管束痕は』三『個ある。冬場の枝先は枯れていることが多い』。『オオムラサキをはじめ、ゴマダラチョウ、テングチョウ、ヒオドシチョウ、エノキハムシ、タマムシ、ホシアシブトハバチ、エノキトガリタマバエ、エノキワタアブラムシなど多くの昆虫の餌、食樹である。特に、日本の国蝶オオムラサキの幼虫の食樹としてよく知られている』。『葉が似ている植物に』、『同じニレ科』Ulmaceae『のハルニレ』(ニレ属ハルニレ変種ハルニレ Ulmus davidiana var. japonica )『やアキニレ』(ニレ属アキニレ Ulmus parvifolia )『があり、同様に黄色く紅葉する。エノキは葉の先半分に鋸歯があるのが特徴であるが、ハルニレやアキニレの鋸歯は全周につく。ハルニレは北海道を初めとする山地に多く見られ、葉の幅は先に近い方で最大になり、鋸歯は粗く大小の』二『重になる。アキニレは西日本の暖地に分布し、鋸歯は角張り、紅葉は黄色が中心だが』、『赤色になることもある』。『建築用材、家具材、道具材、薪炭などに使われる。木材の質はやや堅く、風合いがある。辺材と心材の境が明瞭でない。風合いが似ていることから、ケヤキの代用ともされる』。『江戸時代には街道の一里塚の目標樹として植えられ』、『一里塚のエノキは、徳川秀忠が街道整備に際して植えるように命じたといわれている』(☜)。『また、一里塚に植える木にマツが多いのを見た織田信長が、余の木(よのき:違う樹種の意)を一里塚に植えるよう命じ、家来がこれに応じる形で植えられたのがエノキとなったという説もある』(☜)。『エノキにまつわる伝説や風習は数多くあるが、その一つ江戸王子稲荷神社』(ここ。グーグル・マップ・データ)『のエノキには、毎年の大晦日に関八州(関東諸国)のキツネが集まり、農民はその狐火を見て翌年の豊凶を占ったといわれている』。『エノキは「縁の木」に通じることから、縁結び、あるいは「縁退き」の意味で縁切りの木としても知られる。古くから神社の境内などにも植えられ、中には御神木として大切にされたものもあるが、その一方では、首くくり榎など縁起が良くないと見られることもある。地方によっては、材に使うのではなく』、『墓標の代わりに墓の印として植えられた』。『野生の木も各地にたくさん見られ、地名や人名に用いられる例も多い』とある。
「楸《ひさぎ》」先行する「楸」で、私は、シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属(唐楸)トウキササゲ Catalpa bungei 、或いは、広義に、民間で、キササゲ属 Catalpa の複数の種を総称する語と考えていると述べた。但し、これは時珍の言う場合の限定であって、本邦では、別に、キントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワ Mallotus japonicus の古名でもある。しかし、見た目の通性からは、私は、前者とする。
『「櫸《くぬぎ》の属」と謂ふべし』良安先生、ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属クヌギ Quercus acutissima とは、何の所縁も御座んせん!
「封彊(いちりづか)」mira47氏のブログ「山森★浪漫」の「エノキが一里塚に植えられたわけは……」によれば、『我が町を通る日光御成街道の一里塚にはエノキが植えられています』。『エノキは漢字では木偏に夏で「榎」と書きますが、大きく広がった枝は木陰を提供し、夏の旅人には、まさに救いの木だったのでしょう』。『また、エノキは根張りがよいため、塚を固め崩れにくくするそうで、その点でも、一里塚にはまさにうってつけの樹種だったのです』とあった。
『「早《わせ》」・「晚《おくて》」の二種、有り』前で引用したハルニレとアキニレであろう。
「椋鳥(むくどり)」スズメ目ムクドリ科ムクドリ属ムクドリ Sturnus cineraceus 。博物誌は、私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 椋鳥(むくどり) (ムクドリ)」を参照。
「鵯鳥(ひよ《どり》)」スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis 。「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵯(ひえどり・ひよどり) (ヒヨドリ)」を参照。
「榎木より生ずる茸《きのこ》を「奈女須々岐《なめすすき》」と名づく【一名、「衣乃木太介《えのきだけ》」。】」菌界担子菌門ハラタケ亜門ハラタケ綱ハラタケ目タマバリタケ科エノキタケ属エノキタケ(榎茸)Flammulina velutipes 。私の「諸國百物語卷之五 十二 萬吉太夫ばけ物の師匠になる事」が面白いので、お読みあれ。
「芝栭(しじ)類」茸(キノコ)類、本書の卷第百一の「榎蕈」。国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の当該部をリンクさせておく。]
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