「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷五 㐧七 なさけふかき老母果報の事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧七 なさけふかき老母、果報の事
○洛陽(らくやう)[やぶちゃん注:京都。]に、七十あまりの老母、あり。
つねに、しもべのものどもに、なさけ、ふかくして、かん天のあさ、さむき時は、二度(《に》ど)、つかふべき事あれば、一度、つかふ。三ども、つかはんとおもふ時には、二度、つかひ、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、下人の内、一人にても、わづらへば、手づから、何にても、こしらへ、くはせ、萬事(ばんじ)に、じひぶかくましましけり。
ある時、子息のいはく、
「かく、さむき時なるに、なにとて、みづから、ひえくるしび給ふ事、もつたいなし。向後《かうご》、さやうのわざを、なし給ふ、いはれ、なし。かならず、やめ給へ。」
と、いさめられければ、老母、こたへて、いはく、
「いや、下人も、みな、人の子なり。あさ、さむき時なれば、はらを、あたゝさせて、其くらうを、ゆるめん。」
との、事也。
子の、いはく、
「老母、としおひ給ひて、かく、いやしきわざを、いとなみ給ふ事、さかさまなる『おこなひ』なるべし。其上《そのうへ》、かん天[やぶちゃん注:「寒天」。]に、あさ、とく、ひえ給ふ事、くらう[やぶちゃん注:「苦勞」。]も、いかばかり。感冒(かんぼう)の病(やまひ)も、はかりがたし。たゞ、ねがはくは、やめ給ヘ。」
と申されければ、老母、こたへて、
「つとめて[やぶちゃん注:これは副詞で、「決して・ゆめゆめ・强ひて」の意。]、是をなすに、あらず。我、たのしぶところなれば、かんき[やぶちゃん注:「寒氣」。]を、くらうにも、おぼえず。もし、しゐて[やぶちゃん注:ママ。]やめなば、我心、やすかるべからず。」
とて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、やめず。
とし、九十二まで、目も、よくして、たつしやなり。
男子(なんし)・女子(によし)、共に、八人、もてり。
男子(なんじ[やぶちゃん注:ママ。])四人は、人の「つかさ」をして、ふつき[やぶちゃん注:「富貴」。]・はんじやうなり。
女三人は、大名・かうけ[やぶちゃん注:「高家」。]の妻と、なれり。
老母のたのしみ、あげて、かぞへがたし。
つねに、情(なさけ)あれば、果報も、またまた、同じ。
つみを、おこなひては、つみに、おちゐる[やぶちゃん注:ママ。]。善を、みては、すゝみ、あくを、みては、しりぞく。
此ことはり[やぶちゃん注:ママ。]を、よく、わきまへずんば、口おしかる[やぶちゃん注:ママ。]べし。
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