「疑殘後覺」(抄) 巻二(第八話目) 亡魂水を所望する事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
巻二(第八話目)
亡魂、水を所望する事
備州谷野《やの》と云《いふ》所に、介市太夫《かいいちたいふ》と申すもの、夜念佛《よねぶつ/よねんぶつ》に「さんまい」を、まはる事あり。
[やぶちゃん注:「備州谷野」岩波文庫の高田氏の脚注に、『備後甲奴(こうぬ)郡矢野郷。現広島県上下町付近』とある。現在の広島県府中市上下町(じょうげちょう)矢野(グーグル・マップ・データ航空写真)。かなり、山深い地区である。
「夜念佛」夜に念仏を唱えて回向すること。
「さんまい」「三昧」。墓場。]
そうじてゐ中[やぶちゃん注:「田舍」。]には、「念佛の行」と申《まうし》て、うちにては、さのみ申さず、宵より、夜のあくるまで、「さんまひ[やぶちゃん注:ママ。]」を、かね[やぶちゃん注:「鉦」。]、うちたゝきて、念ぶつして、とをり[やぶちゃん注:ママ。]ける。
あるとき、谷野の「さんまい」を、石濱勘左衞門といふ人、ようの事、有《あり》て、夜中過《すぎ》にとをり[やぶちゃん注:ママ。]けるに、石塔、又、「そとば」[やぶちゃん注:「卒塔婆」。]のかげより、年の比《ころ》、はたちばかりにもあるらんとみゆる、「女ばう」の、身には、しろき「かたびら」を、きて、あたまは、をどろ[やぶちゃん注:ママ。「棘(おどろ)」。草木・棘(茨(いばら)が乱れ茂っているいるさま。ミミクリーでまさに「亂れ髪」のことをも言う。]のごとく、みだしたるが、
「この石塔に、あふて、ねがわくは、水を、一くち、たび[やぶちゃん注:「賜び」]候へ。」
とぞ、こい[やぶちゃん注:ママ。「乞ひ」。]にける。
勘左衞門は、これを見て、
「なんでう、をのれ[やぶちゃん注:ママ。]は、まよひもの[やぶちゃん注:「迷いひ者」。ここでは、「亡靈」「幽靈」の意。]ゝ人を、たぶらかさんとて、きたるにこそ。」[やぶちゃん注:「なんでう」本来は「何(なん)でふ」が正しい。ここは、感動詞で「何をほざくか! とんでもない!」と、相手の言い分を強く否定する用法である。]
とて、かたな、ひんぬいて、うちければ、物にてもなく、うせたりける。
それより、あしばやに、そこを、のきて、やどにかへりてより、ふるひつきて、わづらふほどに、はじめは、「おこり」[やぶちゃん注:「瘧」。マラリア。]のやうにありしが、後《のち》、次第におもく成《なり》て、百日をへて、うせたりける。
この事を、介市太夫は、きゝて、
「さらば。」
とて、かね、うち、くびにかけて、よひより、かの「さんまい」へぞ、ゆきにける。
[やぶちゃん注:「かね、うち、くびにかけて」意味は判るが、言い方として、しっくりこない。「鉦、首に懸けて、打ち」と語る(書く)つもりが、ヅレを生じたものと思われる。]
あんのごとく、くだんの「女ばう」、いでゝ、いふやうは、
「いかに。ありがたき御念佛《おんねんぶつ》のこゝろざしに侍るものかな。それにつきて、たのみ申《まうし》たき事の候。我、しゝたるきざみに[やぶちゃん注:臨終のその折に。]、あたりに出家も候はず。又、道心[やぶちゃん注:ここは、僧ではないが、仏道に帰依する人の意であろう。]もなきによりて、かみをすらず[やぶちゃん注:「剃(す)らず」。]、そのまゝ『めいど』へ、おもむきしによりて、ながき『ざいごう[やぶちゃん注:ママ。「罪業(ざいごふ)」。]』となりて、うかむ『よ[やぶちゃん注:「世」。]』候はねば、御けちゑん[やぶちゃん注:ママ。「結緣」。ここは「仏教徒による確かな供養」と同義。]に、このかみを、すりてたび候はゞ、『ぶつくわ[やぶちゃん注:「佛果」。ここは「成佛」と同義。]にいたらん事、うたがひなし」
とぞ、申《まふし》ける。
介市、これをきゝて、
「それこそ、ふびんのしだいなり。やすきことなれども、これに、『かみすり』[やぶちゃん注:「剃刀」。]、なければ、あすのよ、きたりて、すりをろして、えさすべし。」
と申ければ、
「あら、ありがたし。其儀ならば、のど、かはき申《まうし》候まゝ、水を、一口、たび候へ。」
と、いへば、
「こころへ[やぶちゃん注:ママ。]たる。」
とて、はるばる、谷へ行《ゆき》て、「たゝきがね」に、すくふて、亡魂にぞ、あたへける。
のみて、よろこぶ事、かぎりなし。
さて、うちわかれて、宿《やど》にかへり、さぶらひしゆ[やぶちゃん注:「侍衆」。]に申しけるは、
「かやうなるふしぎこそ候はね。夕《ゆふ》さり[やぶちゃん注:明日の「夕方」の意。]、まいり[やぶちゃん注:ママ。]て、かみをすり申候あひだ、まつだい[やぶちゃん注:「末代」。]の物語に、よそながら、御けんぶつ、あれ。」
と、かたりければ、
「これこそ、おもしろき物がたりなれ。」
とて、さぶらひしゆ、
「われも、われも、」
と、ゆきて、こゝかしこに、かくれ、ゐにけり。
さて、介市太夫は、夕べの時分よりも、おそく、ゆきて、念佛しければ、あんのごとく、「女ばう」は、いでむかひけり。
介市は、これをみて、
「さあらば、是《これ》にて、するべし。」
とて、さて、かしらを、とらへて、念佛を申《まうし》、すゝむる、すゝむる、そろり、そろりと、するほどに、「しのゝめ」も、やうやう、しらみわたり、よこ雲も引《ひき》ければ、人々、四方八方より、たちかゝり、これをみるに、夜は、ほのぼのと、明《あけ》わたりけり。
さて、介市太夫は、かみをする、かみをする、と、思へば、二尺ばかり有《あり》ける五輪のかしらに、つたかづらのはい[やぶちゃん注:ママ。]まとはり、苔《こけ》の「むしろ」[やぶちゃん注:「莚」。五輪塔の空輪以下を苔がびっしりと覆っていたことを言ったもの。]たるにてぞ、ありける。
この「かづら」を、よ、ひとよ、「かみすり」にて、すりおとせしなり。
人人《ひとびと》、
「あるべき事にこそ。」
とて、たけき武士《もののふ》も、これをみて、菩提心ぞ、深くなりにける。
是にて、成佛しけるにや、かさねて、この「さむまひ[やぶちゃん注:ママ。]」へ、ゆきけれども、そのゝちは、いでざりけり。
[やぶちゃん注:武士らの登場からみて、この介市太夫なる人物は、相応の武将の屋敷に雇われている仏教徒であったことが判る。この話、私は、その場にいたような錯覚を起こした。素敵な怪奇談、というより、往生譚である。]
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