「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷三 㐧七 房主の一念虵と成て木をまく事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧七 房主(ばうしゆ)の一念、虵(へび)と成《なり》て木をまく事
〇慶安[やぶちゃん注:一六四八年~一六五二年。]の比、いづみの国、「ひね」といふ所の南にあたつて、寺、あり。ことに、しんごん宗にてありけるが、此房主、つねに、宻柑(みかん)の木を、あいして、み、なりても、つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]とる事なく、もとより、人にも、くれず、是を、てうはう[やぶちゃん注:「重寶」。]しける事、かぎりなし。
[やぶちゃん注:『いづみの国、「ひね」』旧和泉国日根郡(ひねぐん)。現在の大阪府の南西端の貝塚市の一部・泉佐野市・泉南市・阪南市と、泉南郡熊取町(くまとりちょう:以下「町」は「ちょう」と読む)、田尻町、岬町が相当する広域である。「南にあたつて」を文字通り採るならば、最南端の泉南郡岬町にある古刹の真言宗御室派宝珠山光明寺理智院が有名ではある。]
ある時、わづらひ出《だ》し、ことに、老病にて、つゐに死(しに)けり。
十日ばかりありて、かの宻柑の木に、五、六尺ばかりもあらんと思ふ、虵、來りて、木を、まとひけり。
𠂖子(でし)[やぶちゃん注:「𠂖」は「弟」の異体字。]のばうず、是を、をい[やぶちゃん注:ママ。「追(お)ひ」。]ちらすれども、いづくよりきたるともなくしては、又は、來りて、まとひ居(ゐ)ける。
或時、でしの房主、うちころして、すてけるが、また、同しやうなる虵、來りけり。
二、三度も、ころしけれども、うせず。
ある夜(よ)、𠂖子の夢に、先僧(せんそう)、まのあたり、來りて、
「我、あさましくも、せんざい[やぶちゃん注:「前栽」。]の宻柑の木を、すねん[やぶちゃん注:「數年」。]、あいせし『しうじやく[やぶちゃん注:「執着。」]』、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、おはる[やぶちゃん注:ママ。]まで、つきずして、其「しうしん[やぶちゃん注:「執心」。]」、蜜柑の木にありしを[やぶちゃん注:逆接の確定条件。「~のに」。]、汝、つらくあたりし事、うらめしさよ。ねがはくは、あの木を、いつまでも、『我を見る』と思ひて、『てうほう』し、たべ。生〻世〻《しやうじやうせぜ》[やぶちゃん注:「生まれ変わり、死に変わりを繰り返して経る、多くの世、」の意の仏語。]、うれしとおもふ事、わすれまじ。」
と、夢中(むちう)に、つげけると、也《なり》。
をそれ[やぶちゃん注:ママ。「恐れ」。]ても、をそるべきは、「しうじやく」の「ねんりよ」[やぶちゃん注:「念慮」。]なるべし。
[やぶちゃん注:先僧の夢中の告げは、甚だ、鼻白むものである。執着により蛇に変じた彼は、結果して、最早、破戒僧であり、弟子の師でも何でもない。されば、弟子僧は、毅然として、蛇を済度してやる以外にはなく、それでも、かの異蛇が蜜柑の木に、からみつくとなら、寧ろ、蜜柑の木を伐り倒し、再度、厳しく引導を渡すのが、唯一の法式であると、私は思う。]
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