「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷五 㐧五 女房下女をあしくして手のゆびことごとく虵になる事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧五 女房、下女を、あしくして、手のゆび、ことごとく虵(へび)になる事
○紀州三原(みはら)といふ所に、さる夫婦、ありけり。
[やぶちゃん注:「紀州三原(みはら)」不詳。実は、岩波文庫の高田衛先生の脚注には、『現在の和歌山県田辺町の古名』と書かれてあるのだが、今回、それを見て、『え!?! そうなんだ?』と最初はびっくりした。なぜなら、私は、田辺所縁の「智の巨人」南方熊楠の著作を幾つか、ブログ・カテゴリ「南方熊楠」他で電子化注しているのだが、「紀州俗傳」等でも、「三原」という旧地名は、全く出てこないからだった。而して、ネットで調べてみたが、現在の田辺市が、古く「三原」と呼ばれていたという事実は、全く検索に掛ってこないのだ。国立国会図書館デジタルコレクションの「和歌山縣田邊町誌」(田邊町誌編纂委員会編・昭和四六(一九七一)年多屋孫書店刊。但し、扉のヘッドを見れば、判る通り、これは昭和五年に編纂が行われた原書の戦後の再刊物である)も調べたが、地名の変遷記載には、「三原」は、一ヶ所も、ない、のだ。私は、結果して、同書の「一〇、地名」を管見し、「みはら」という発音に似たものがないかどうかも、調べた。しかし、ない。高田先生は、如何なる資料に基づいて、この明確な注を附されたのだろう? 私は読書の中で、十代後半より、先生の書物には、かなり親しんでいるのだが、お訊ねする伝手も、ない。されば、「不詳」とせざるを得ないのである。]
下女を、一人、つかひけり。
此の下女、みめかたち、すこし、よかりけり。
夫(をつと)、つねづね、かれに、なさけらしきふり、ありけるを、此《この》女房、大きにねたみ、そねみ、男、他行《たぎやう》しけるあとにては、いろいろ、なんだいを、いひかけては、かしらのかみを、つかみ、ふせては、やがて、やずり[やぶちゃん注:不詳。岩波文庫でも高田衛氏は、『脱字か。不詳。』とされる。「ひきずり」辺りか?]、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、かなはざる手わざを、させ、ゑせざれば、五つの手の指を、「かなづち」をもつて、うちひしぎ、時ならず、「せいし」[やぶちゃん注:「誓紙」。夫にこの仕打ちを語らないという誓約文書である。]をかゝする事、度〻(たびたび)に及べり。
たびかさなれば、程なく、わづらひ付《つき》、つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]死《しし》けり。
女房、
「今は、こゝろやすし。心にかゝるもの、なければ、みち、ひろし。」
とて、よろこびあへる[やぶちゃん注:独りで、何度も、繰り返し、喜んだのである。]事、かぎりなし。
[やぶちゃん注:挿絵は、第一参考底本はここ、第二参考底本はここ。後者は、落書、多数で、何故か、女房の顔を潰してあるが、指先が蛇に変じた様子が、最もはっきり見える。]
ある時、此女房、指を、わづらひいだし、さまざま、れうじ[やぶちゃん注:ママ。「療治(れうぢ)」。]するに、次㐧次㐧に、あしくなりて、後(のち)には、ゆびのさき、ことごとく虵《へび》のごとくなりて、くちを、あき、
「へらへら」
と、「した」のやう成《なる》物を出《いだ》し、ともに、
「ひた」
と、まつはり、或ひは[やぶちゃん注:ママ。]、くひあひ、其《その》くはれけるゆびの、いたむ事、五躰(ごたい)しんぶん[やぶちゃん注:「身分」。五体(頭・首・胸・手・足。また、頭・両手・両足。漢方では、筋・血脈・肌肉(きにく)・骨・皮とする)全身の節々。]も、さけ、はなるゝかとおぼえて、くるしき事、いふばかり、なし。
「あら、くるしや、かなしや、」
といふ事、五十日ばかり、なやみて、つゐに、死(しゝ)けり。
むくひ、しなじな、世におほしといへども、かやうの因果は、「ぜんだいみもん」、ためしなき事也。
未來[やぶちゃん注:来世。]はうたひもなき「じやどう」[やぶちゃん注:ママ。「虵道(じやだう)」。蛇の住む世界の意だが、「邪道」に掛けているのであろう。]ならん。
是は、わかやまの、「入(にう)かい」と申《まうす》房主(ばうず)[やぶちゃん注:「坊主」に同じ。]の、かたられける。
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