「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 榆
にれ 零榆 枌【白榆】
【和名夜仁禮
有數種】
榆【音俞】
莢榆 白榆
刺榆 樃楡
本綱有數千種今人不能盡別也莢榆白榆皆大榆也有
[やぶちゃん字注:「千」は底本は間違いなく汚れでなく、「千」である。試しに、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版を見ても、「千」であった。しかし流石に、ちょっと躊躇したので、「漢籍リポジトリ」の引用元「榆」(本原文と同様に「楡」ではなく、「榆」の字体なので検索は注意されたい。ガイド・ナンバー[086-33a]以下)の項を見たら、そこでは、思った通り、「數十種」であった。訓読では訂した。]
赤白二種白者名枌其木甚髙大未生葉時枝條間先生
榆莢形狀似錢而小色白成串俗呼之楡錢後方生葉似
山茱萸葉而長尖𧣪潤澤嫩葉※浸淘過可食刺榆有鍼
[やぶちゃん字注:遂に表示出来ない漢字に遭遇した。底本の当該字、中近堂のそれを見るに、〔「火」(へん)+「棄」(つくり)〕のように見えた。そして、「漢籍リポジトリ」を見たところ、そこだけ電子データが画像になっており、影印本を確認したが、やっぱり〔「火」(へん)+「棄」(つくり)〕であった。]
刺如柘其葉如楡諸榆性皆扇地故其下五穀不植今人
采其白皮濕搗如糊用粘瓦石極有力或以石爲碓嘴用
此膠之
榆白皮【甘平滑利】 治大小便不通除邪氣消腫入手足太陽
手陽明經五淋腫滿胎產之諸證宜之又能治兒禿瘡
和醋塗之蟲當出
△楡木葉皺有刻齒而小不潤多蝕三四月開花細小淡
赤生莢莢長不過五六分中有細子其材堅重同于橿
木
*
にれ 零榆《れいゆ》 枌《ふん》【白榆《はくゆ》】
【和名、「夜仁禮《やにれ》」。數種、有り。】
榆【音「俞《ゆ》」。】
莢榆《きやうゆ》 白榆
刺榆《しゆ》 樃楡《らうゆ》
「本綱」に曰はく、『≪榆《にれ》は、≫數十種、有り。今の人、盡《ことごと》く別《わか》つこと、能はざるなり。莢榆《きやうゆ》・白榆《はくゆ》じゃ、皆、大《だい》≪なる≫榆《にれ》なり。赤・白、二種、有り、白き者を「枌《ふん》」と名づく。其の木、甚だ、髙大なり。未だ葉を生ぜざる時、枝條の間≪に≫、先づ、榆莢《ゆきやう》を生ず。形狀、錢に似て、小なり。色、白くして、串を成す。俗に、之れを「楡錢」と呼ぶ。後《しり》への方《かた》に、葉を生じ、「山茱萸《さんゆしゆ》」の葉に似て、長く尖《とが》り、𧣪《するどく》≪して、≫潤澤≪たり≫。嫩《わかき》なる葉≪は≫、※[やぶちゃん字注:※=〔「火」(へん)+「棄」(つくり)〕。白文の注を参照。]《ゆが》き浸《ひた》し[やぶちゃん注:十分に湯で湯がいて、浸しておき。]、淘《よなぎ》り過《すぐ》して[やぶちゃん注:水で十全に洗い流して。]、食ふべし。刺榆《しゆ》は、鍼刺《はりとげ》、有りて、柘《しや》のごとく、其の葉は、楡《にれ》のごとし。諸《もろもろの》榆、性、皆、地を扇《あふ》ぐ故《ゆゑ》、其の下に、五穀を植ゑず。今の人、其の白皮を采《とり》て、濕《しめ》し、搗《つ》き、糊のごとくし、用ひて、瓦石《ぐわせき》を粘(つ)く。極《きはめ》て、力、有り。或いは、石を以つて、碓-嘴《うすのきね》と爲《なす》≪に≫、此れを用ひて、之れを膠《はりあは》す。』≪と≫。
『榆白皮《ひはくひ》【甘、平。滑-利《なめらか》。】 大小便≪の≫通ぜざるを治し、邪氣を除き、腫《はれもの》を消す。手足の「太陽《經》」、手の「陽明經」に入り、五淋・腫滿・胎產の諸證、之れに宜《よろ》し。又、能く兒の禿瘡《とくさう/はげ》を治す。醋《す》に和して、之れを塗れば、蟲《むし》、當(まさ)に出づべし。』≪と≫。
△楡の木、葉、皺(しは)み、刻齒《きざみば》有りて、小さく、潤《うるほ》はず、多く、蝕《むしくふ》。三、四月、花を開き、細小≪にして≫、淡赤《うすあか》く、莢《さや》を生《ずれども》、莢の長さ、五、六分《ぶ》に過ぎず。中≪に≫、細《こまかき》子《たね》、有り。其の材、堅重なること、橿木(かしの《き》)に同じ。
[やぶちゃん注:「榆」(=「楡」)は日中ともに、
双子葉類植物綱バラ目(或いはイラクサ目)ニレ科ニレ属 Ulmus
で問題ない(「維基百科」の「榆屬」も参照されたい)。ウィキの「ニレ」を引く(注記号はカットした)。『ニレ』(楡=榆『はニレ科ニレ属の樹木の総称である。英名はエルム (Elm) 』。但し、『日本でニレというと、一般にニレ属の』一『種であるハルニレ』(春楡:ハルニレ変種ハルニレ Ulmus davidiana var. japonica )『のことを指す』。『広葉樹であり、かつ基本的に落葉樹だが、南方に分布する一部に半常緑樹のものがある。樹高は』十『メートル』『 未満のものから』、『大きいと』四十メートルを『超すものまである。最大種は中米の熱帯雨林に分布する Ulmus mexicana という種で』、『樹高』八十メートルに『達する。樹形は比較的低い高さから幹を分岐させ、同科のケヤキ(ニレ科ケヤキ属)』(ケヤキ属ケヤキ Zelkova serrata )『などとよく似る種が多いが、比較的真っ直ぐ幹を伸ばすものもある。樹皮は灰色がかった褐色で縦に割れる種が多いが、一部に平滑なものもある』。『枝は真っ直ぐでなく左右にジグザグに伸びる(仮軸分岐)。葉は枝に互生し、葉の基部は左右非対称になることが多い。葉は先端に向かうにつれて急に尖る。オヒョウのように複数の先端を持つものも多い。葉脈の形態は中央の』一『本の主脈から側脈が左右に分岐する形(羽状脈)である。ニレ科でもエノキ属( Celtis )、ウラジロエノキ属( Trema )、ムクノキ属 ( Aphananthe )などは主脈が』三『本に見える三行脈である。ただし、これらは最近はニレ科でなくアサ科』(バラ目アサ科 Cannabaceae)『に入れることが多い。葉の縁には鋸歯を持つ。ニレ属は二重鋸歯と呼ばれる鋸歯を持ち、大きな鋸歯同士の間に小さい鋸歯を挟む。これに対し、ケヤキ属は普通の鋸歯である』。『花は両性花、花粉の散布方式は風媒であり』、『花は地味である。種子は扁平な堅果で膜質の翼を持つ』。『斜面下部、谷沿い、川沿いなど湿潤で肥沃な所を好む種が多い。また、陽樹であり日当たりを好む性質で、開けた場所や生け垣で見られる。花は風媒花であり、ほとんどの種類は春に花を咲かせる。種によって芽吹く前に花を付けるもの、芽吹いた後花を付けるものがある。一部の種類は秋に花を付ける。果実は開花後』、『数週間で熟す。種子は風散布、萌芽更新、倒木更新もよく行う』。『何種類もの昆虫がニレの色々な部分を餌として利用している』。以下、「立ち枯れ病」の項。『ニレの立ち枯れ病は別名オランダニレ病とも呼ばれ、もとは東アジアからきた病気であるが、病原菌が最初に特定されたのがオランダだったことに由来する。ニレの立ち枯れ病は、病原菌となる胞子をつけた甲虫キクイムシが樹皮の下に潜り込み、孔道とよばれる孔を掘ることによって広まる。この病気に汚染されると、初夏に広い範囲で葉が黄色くなり、茶色くなってしおれていき、ニレの巨木でも』僅か一『か月ほどで枯死してしまう。ニレの立ち枯れ病が最初に流行したのは』一九二〇『年代で、これは程なく収束したが』、一九七〇『年代に毒性が強い真菌が引き起こした流行は環境災害となり、イギリスだけで』二万五千『万本、ヨーロッパと北米では数億本のニレが枯死した。原因は、古代ローマ人がブドウの木を仕立てるために支柱として西ヨーロッパにオウシュウニレ(別名:ヨーロッパニレ)』 Ulmus minor 『を持ち込み、挿し木や根萌芽から木を増やしていったところ、遺伝的に同一のクローンばかりになって同じ病虫害を受けやすくなったためといわれている。現在ニレの大木が残っている場所は、自然の障壁によって隔離されたイングランド南東部の沿岸や、市民の努力で残ったアムステルダムなど数カ所だけである。こうしたことからアムステルダム市当局では徹底的な監視と衛生管理が行われている。また十数年にわたる地道な交配によって、菌類に耐性がある栽培品種が』十『種類以上も作り出され、アムステルダムなどで大量に植え付けられている』。『ヨーロッパではニレ(楡)とブドウ(葡萄)は良縁の象徴とされる。この風習は元々はイタリア由来とされ、以下のような話がある。古代ローマ時代からイタリアではブドウを仕立てる支柱としてニレを使うために、ブドウ畑でニレも一緒に栽培していた。成長したニレは樹高』三メートル『程度のところで幹を切断する。ニレは萌芽を出すので』、『これを横方向に仕立てて』、『ぶどうの蔓を絡ませてやるのだという。古代ローマの詩人オウィディウス(Ovidius、紀元前』四三年~『紀元前』二六『年)はこれを見て』、『いたく感動し、ulmus amat vitem, vitis non deserit ulmum(意訳:楡はブドウを愛している。ブドウも傷ついた楡を見捨てない)という詩を読んだ』。『この話はローマ神話の神で恋仲だった季節の神ウェルトゥムヌスと果実の神ポーモーナの話としても好まれ、ルネサンス時代には絵画の題材としてもよく描かれた』。『他にも北欧神話(スカンディナヴィア神話)に登場する人類最初の男女アスクとエムブラのうちのエムブラ(女)が最高神オーディンに息を吹きかけられたニレの樹から生まれたとされる。エムブラ(Embla)がニレを表す英語のエルム(Elm)になったといわれ、その語源はケルト語の Ulme からきたといわれる。ギリシア神話では詩人で竪琴の名手だったオルペウスが妻の死を悼み』、『ニレの木の下で泣いたとされ、悲しみの象徴とされることもある』。『北アメリカの東海岸では、マサチューセッツ州のボストンにイギリスから脱出して到着した清教徒たちが村を作ったときに、周辺のインディアンが親切にもエルムを土地条件の指標にすることを教え、その土地は肥沃で耕作にも適し、水も容易に得られ洪水の危険もないことを知り得たという。この有益な情報から、ボストンをはじめ多くの美しい都市が生まれた』。『ヨーロッパのその他の地域では、ニレ(エルム)を重要な樹に位置づけている。ニレの樹が大木になることからくる巨木信仰だけでなく、着火しやすいニレから火を得たという例が多いからといわれる』。『成長が早く移植が容易、また樹形や鮮やかな新緑が魅力的で爽やかな印象を与えるためか』、『街路樹や庭園樹への利用が多い樹種である。秋の紅葉も見事であり、ヨーロッパなどでは風景画の題材としてもよく描かれ』、十三~十七『世紀の巨匠の絵画によく描かれた。オランダのハーグとアムステルダムでは世界一のニレが見られ、アムステルダムでは運河や街路沿いに』七『万』五千『本以上のニレが植えられている。日本では北海道大学(北海道札幌市)構内のニレ並木が有名。盆栽にもなる』。『心材と辺材の境は明瞭、やや硬い。比重は』〇・六『程度。空気に触れなければ腐りにくいといい、ヨーロッパでは水道管に用いた。またイチイ』(裸子植物門イチイ綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ Taxus cuspidata )『の代用として弓にも使ったという。和太鼓の胴材にはケヤキが最高とされるが、ニレが代用されることもあるという』。『しなやかさがあることから』、『古代エジプトではチャリオットの車軸に使われていた』。『飢饉時などに種子などを食用とする場合がある』。「延喜式」では『特に香気のない本種の樹皮の粉を使った楡木(ニレギ)という名の漬物が記録されている。アメリカ産の U. rubra という種の内樹皮は』、『胃や喉の炎症を鎮める効果があり、FDA』(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)『に認可された数少ない生薬の一つとなっている。小枝や葉は家畜の飼料としても使え、ヒマラヤ地域などでは今も使うという』。以下、「世界のニレ属植物」の冒頭。『ニレ属( Ulmus )は北半球の温帯に約』二十『種があり、アジア、北アメリカ、ヨーロッパにかなり近い種が分布する。特にアメリカニレ』( U. americana :北米大陸東部に広く分布する大型種。英名“American elm”で、種小名も「アメリカの」で、まさにアメリカを代表するニレである)『とヨーロッパニレは性質や形状がよく似ている。ヨーロッパのニレはどの種も互いによく似ており、樹高が』三十メートルに『達することも珍しくない。ニレは身近にある木で』、『関心が高く、それでいて』、『地域差も激しい』ためか、『研究者によって相当の相違がある。学名の異名であるシノニムも数多く、ずらっと』十『個以上並ぶ種もある。日本にはハルニレ』(春楡:当該ウィキを参照されたいが、ハルニレは中国東北部から陝西省・安徽省にかけて、及び、朝鮮半島・日本に分布する)の他には、
アキニレ Ulmus parvifolia(秋楡:当該ウィキを参照されたいが、やはり、中国大陸の広い範囲と、朝鮮半島・インドシナ半島・日本・台湾に分布する)
オヒョウ Ulmus laciniata (於瓢:当該ウィキを参照されたいが、やはり、日本・サハリン・朝鮮半島・中国北部に分布する)
の三種が『分布する』(と言っているが、後で挙げている★を附しておいた「トウニレ」も含むから、「四種」が正しい)。以下、そこに挙げられているニレ属の内、中国に分布する種を、一部を除き、学名のみ、ピックアップしておく。
Ulmus bergmanniana
U. castaneifolia
U. changii
U. elongata
U. glaucescens(分布を記さないが、わざわざ『乾燥地にも耐えることから』、『中国名は旱楡』であるとあるので、「維基百科」の「旱榆」を見たところ、「中國固有種」とあり、分布は「山西・內蒙古・山東・甘肅・遼寧・河南・陝西・寧夏。河北などの地方」とあった)
U. lamellosa
チョウセンニレ U. macrocarpa
U. microcarpa
U. prunifolia
アリサンニレ U. uyematsui(台湾に植生する。「維基百科」で調べたところ、中文名は「阿里山榆」であった)
U. chenmoui
★トウニレ U. davidiana (『中国東北部から朝鮮半島、日本にかけて分布。樹高』三十センチメートル、『直径』一メートルに『達する大型種で日本産ニレ類としては最大種。葉柄は比較的長くよく目立つ。日本産種のハルニレは大陸産のものと比べて果実の毛が生えてないことからは U. davidiana var. japonicaとし変種扱いすることも多い。かつてはU. japonicaとされ、大陸産種とは別種扱いされていた。和名の漢字表記は春楡とされ』、『これは春に花が咲くことからといわれる。もっとも、ほとんどのニレは春に花が咲くものである』)
U. harbinensis
U. lanceifolia
U. pseudopropinqua
★★★ノニレ U. pumila (『東はシベリア・モンゴルから西はカザフスタンに至るまで分布』とあるが、中国周辺の広域であり、『中国名は垂枝楡』とあるので、「維基百科」で調べてみたら、なんと! 標題は、ズバり! 「榆樹」で、別名を『名榆・白榆・家榆・錢榆・西伯利亞榆』とあって、本項の異名や、記載に相応しい別名であることが判った。而して、原産を東部アジア及び中央アジアとし、しかも、『木材は、強く、耐久性があり、樹皮を粉にし、「榆皮麺」に製することができ、翅果』(=翼果)『の若いものは、柔らかく、一般に「榆錢」として知られており、食用となる』とあるので、
私は「本草綱目」の記載の主たる種はmこのノニレ Ulmus pumila
であると、断定したい!!!)
U. szechuanica
なお、「維基百科」の「榆屬」にも、膨大な種のリストがある。「維基百科」の記載としては珍しく、各種のページが短いながら、かなりあり、そこでは、中国に分布する種の場合は、地域を示しているものが多い。上記の種もある。一つ、一つ、総てを調べれば、以上のとは、異なる中国固有の別のニレの種を掲げることが可能と思われるが、そこまでやる気は、私には、ない。悪しからず。
本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十五下」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「榆」(ガイド・ナンバー[086-33a]以下)からのパッチワークである。
『未だ葉を生ぜざる時、枝條の間≪に≫、先づ、榆莢《ゆきやう》を生ず。形狀、錢に似て、小なり。色、白くして、串を成す。俗に、之れを「楡錢」と呼ぶ』小学館「日本大百科全書」の「ニレ」属の記載の中に、『花は葉に先だって開くことが多』いとあった。本邦の「ニレ」のウィキにある、ヨーロッパニレ Ulmus minor のものだが、「若い果実」の写真を見られたい。ホンマや! 葉、ない! んで、もって、ナンやこれ?――「銭」みたような、実――やで!!
「山茱萸《さんゆしゆ》」ミズキ目ミズキ科ミズキ属サンシュユ Cornus officinalis 。先行する「丁子」で注済み。
「𧣪《するどく、あがり》≪て、≫」この漢字は意味を調べるのに苦労した。蜿蜒、検索を続ける中で、やっと、中文サイトの「漢語國學・康煕字典」のここで判った。そこに、
*
《集韻》:山巧切,音稍 —— 牛角開貌。[やぶちゃん注:「開」の字は「開」の「グリフウィキ」の異体字のこれ。表示出来ないので、代えた。]
《集韻》:所敎切,稍去聲 —— 角銳上。或作𤙜。
*
以上から「牛の角が有意に開いて生えているさま」と、「角(状の物)が鋭く上に向かって突き出るさま」を言っていると判読した。漢籍の古い文章を見ると、この「𧣪」の前後に、この「本草綱目」と同じく、この「𧣪」の前後に、「尖」や「上」「銳」の字が同伴していることも確認した。最終的にグーグル画像検索「Ulmus leaf」を見て、かく読みを決定したものである。
「柘《しや》」バラ目クワ科ハリグワ(針桑)連ハリグワ属ハリグワ Maclura tricuspidata 。小学館「日本大百科全書」によれば、『落葉小高木。小枝はときに直立する刺(とげ)となる。葉は互生し、倒卵形または広卵形で長さ』六~十『センチメートル、先は鈍くとがり』、『全縁または』、『しばしば浅く』三『裂する。裏面には細毛がある。雌雄異株』。六『月に開花し、雄花序は淡黄色、球状で長さ約』一『センチメートルの柄がある。集合果は秋に赤く熟し、径約』二・五『センチメートル、花被は多肉となって痩果(そうか)を包む。朝鮮半島や中国に分布する。葉をカイコが食べるのでクワの代用として栽培もされる。日本の庭園には雄木が多くみられる』とあった。本種は、養蚕用に明治初期に移入したことが判っているため、良安はこの「柘」をハリグワとは認識していない。よくって、クワ科クワ属ヤマグワ Morus austrails 、悪くすると、ツゲ目ツゲ科ツゲ属ツゲ変種 Buxus microphylla var. japonica だと思っいるはずだ。でもねぇ、ヤマグワも、ツゲも強烈なトゲなんざ、ありんせんぜ?
「其の白皮を采《とり》て、濕《しめ》し、搗《つ》き、糊のごとくし、用ひて、瓦石《ぐわせき》を粘(つ)く。極《きはめ》て、力、有り。或いは、石を以つて、碓-嘴《うすのきね》と爲《なす》≪に≫、此れを用ひて、之れを膠《はりあは》す。」確認出来る記載探しに手古摺ったが、「熊本大学薬学部薬用植物園 薬草データベース」の「ハルニレ」で、やっと発見した。『樹皮を水に浸して叩きほぐしたものは縄や紐に加工された』とあった後に、『樹皮を水に浸して得られた粘液は接着剤として利用された』と出る。
『手足の「太陽《經》」、手の「陽明經」』東洋文庫の後注に、『手の太陽小腸経。手の小指の先端外側からおこり、手の外側を通って肩に出、一つは鎖骨上窩(か)から胸に入り、心に連絡し、咽頭をめぐって横隔膜を下り、胃に行き小腸に達する。支脈は鎖骨上窩から頰・目尻から耳に入る。またもう一つは頰から分かれて目頭へ行く』。『足の太陽膀胱経は巻八十二肉桂の注三参照』(先行する「肉桂」の私の注の「足の太陽經」を見られたい)。『手の陽明大腸経。手の第二指の先からおこり、腕をのぼって肩から首のうしろに行き、鎖骨上窩に入る。そこから二つに分かれるが、一つは頰から歯に入り、口角をまわって鼻翼の外側に至る。もう一つは胸から肺に連絡し、横隔膜を通って大腸に入る。』とある。
「五淋」石淋・気淋・膏淋・労淋・熱淋という膀胱・尿路に関する症状を指す語。
「腫滿」全身が浮腫(むく)み、腹部が膨満する症状。
「胎產」胎児の成長や疾患、妊婦の様態・疾患全般を指す。
「兒の禿瘡《とくさう/はげ》」小児生・若年性の円形脱毛症。あまり認識されているとは思われないが、実は、円形脱毛症の患者の約四分の一は十五歳以下である。
「橿木(かしの《き》)」「樫」「橿」とも書く。ブナ科Fagaceaeの一群の常緑高木。シラカシ・アカガシ・アラカシ・ウラジロガシなどの総称。]
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