「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 㐧八 妄霊來てかたきをたゝき殺事 / 卷四~了
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧八 妄霊(まうれい)來(きたつ)てかたきをたゝき殺(ころす)事
○爰(こゝ)に瀨助(せすけ)と申《まうす》もの、あり。國(くに)・所(ところ)、失念しける。
かれが女房、みめかたち、たぐひなき美女の聞えありけり。
さる代官、なひなひ[やぶちゃん注:ママ。「内〻」。]、見をき[やぶちゃん注:ママ。]て、ほしくおもひぬれども、みち[やぶちゃん注:方途。]なければ、せんかたなくて、ありけるが、つくづくとおもひ出《いだ》して、かれがかたへ行く、みこ[やぶちゃん注:「巫女」。]をたのみ、なかだちさせて、文《ふみ》をつかはしければ、瀨助、かたく、せいしけるにより、中〻、手にだにもとららざれば、
「とやあらん、かくやあらん、」
と、日を、をくり[やぶちゃん注:ママ。]ける。
折ふし、瀨助、少し、法(はう)を、そむきける事、ありしを、わきより、うつたへけり。
其《その》罪(つみ)の「ひやうぢやう」[やぶちゃん注:「評定」。]ありしを、此代官、きゝつけて、
『さいはい[やぶちゃん注:ママ。「幸(さひはひ)」。]の折がらなり。』
と思ひ、かろき「とが」を、おもくいひなして、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、西国へ、ながさるゝ道にて、はかなくなりけり。
代官、いよいよ、
『嬉しき事。』
に思ひ、扨《さて》は、ねがふ所のみち、ひろくなりて、女の母に、金銀、おほく、とらせ、やがて、うばひとりて、けり。
此女も、つねづね、瀨助。つよくあたる事を、ふそくに思ひしが、今はふせぐ[やぶちゃん注:「防ぐ」。遮り留める。]ものもなく、代官にしたがひ、「かいらうどうけつ」[やぶちゃん注:「偕老同穴」。]のちぎり、あさからざりしが、此女、代官の家に行きし日より、瀨助がおもかげの、かたはらにあるやうに見えて、心ぐるしき事、かぎりなし。
女、夫(をつと)の代官に、
「かく。」
といへば、ある山ぶしをよび、さまざま、いのり、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、神明(しんめい)に「きたう」しけれども、其《その》しるしなく、ある夕ぐれに、瀨助、來《きたつ》て、「つえ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]」をもつて、代官を、うしろより、うちける。
代官、
『あつ。』
と思ひ、ねぢかへりて[やぶちゃん注:「捩ぢ返りて」。]見ければ、瀨助、正(まさ)しく、杖をもつて、かさねて、又、うたんとするを、やがて、代官、とびかかつて、くまんとすれば、其まゝ、きへ[やぶちゃん注:ママ。]て、うせぬ。
かく、する事、度〻(たびたび)に及びければ、ほどなく、わづらひつき、いくほどなくして、「だいくわん」、死《しに》けり。
「瀨助、つえをもつて、うちけるあと、代官のせなかに、死期(しご)まで、黑く、みへ[やぶちゃん注:ママ。]ける。」
と、申《まうし》あへり。
其後《そののち》、女房も、いかほどなくして、死《しに》けり。
「ざんげん」[やぶちゃん注:「讒言」。]をもつて、人を罪におちいらしめしゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、ほどなく、其むくひ、來りて、剩(あまつさへ)二人ながら、取《とり》ころされけり。
「ゐんが」[やぶちゃん注:ママ。「因果(いんぐわ)」。]の程こそ、をそろし[やぶちゃん注:ママ。]けれ。
是は、
「寬文九年秋のころの事也。」
と、うけたまはる。
[やぶちゃん注:「死期(しご)」岩波文庫の高田衛氏の脚注には、『ここでは死後のこと。』と注されておられるが、敢えてこう言うべき理由は、私は、ない、と思う。そもそも「死期」には、「死に際」までで、「死後」の意はなく、また、葬儀の際の遺体の背中を見たとするシーンの追体験なんぞよりも、臨終を迎えるその時まで、ずっと、背に黒ずんだ傷痕があって、そのために苦しみ続けた代官のシークエンスを想起させるリアルな映像こそが、因果応報の有様を伝えて、申し分のない残酷さの駄目押しとなっていると考えるからである。
「寬文九年秋のころ」グレゴリオ暦では、一六六九年七月二十八日から十月二十四日に相当する。]
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