「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 檉柳
[やぶちゃん注:右上方に『三才圖會所ㇾ圖』(「三才圖會」の圖せる所)とキャプションがある。この際、「三才圖會」の原本画像を以下に示し、解説文も電子化しておく。画像はこちら(解説ページ「明代の図像資料」)の「三才圖會データベース」の画像(東京大学東洋文化研究所蔵。清刊本(槐蔭草堂藏板))のものを用いた(トリミングした)。ここと、ここ。特に画像の使用制限は書かれていない。然し乍ら……御覧の通り、確かに枝垂れてはいるけれど、こちらのそれは、原画とは、かなりチャうで……。なお、「桞」は「柳」の異体字である。
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桞
桞生琅邪川澤今𠙚𠙚有之俗所謂楊桞也本經以絮爲
花陳藏噐云華卽初發黄蘃也子乃飛絮也味苦寒無毒
主風水黄疸靣熱黒痂疥惡瘡金瘡葉療心腹内血止痛
實主潰癰逐膿血子汁療渴
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部分的に自信がない箇所もかなりあるが、自然勝手流で、訓読を試みておく。
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桞(やなぎ)
桞は、琅邪川(らうがせん)の澤(さは)に生ず。今、𠙚𠙚(しよしよ)に、之れ、有り。俗に、所謂(いはゆ)る、「楊桞(やうりう)」なり。「本經」[やぶちゃん注:「神農本草經」。]、以つて、「絮(じよ)」を「花」と爲(な)す。陳藏噐、云はく、『華(はな)は、卽ち、初發(しよはつ)せる黄(き)の蘃(しべ)なり。子(たね)、乃(すなは)ち、飛ぶ絮(じよ)なり。』と。味、苦、寒、毒、無し。風水をして、黄疸・靣熱(めんねつ)・黒き痂-疥(ひぜん[やぶちゃん注:或いは、「かかい」で、広義の皮膚外傷と各種皮膚病か。])・惡瘡・金瘡(かなさう)を主(つかさど)り、葉、心腹の内血(ないけつ[やぶちゃん注:内出血か。])を療(りやう)じ、痛みを止(と)む。實(み)は、潰癰(くわいよう[やぶちゃん注:潰れた悪性の皮膚潰瘍。])を主り、膿血(うみち)を逐(お)ふ。子(たね)の汁は、渴(かはき)を療ず。
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しだりやなき 埀𮈔柳 河柳
いとやなき 三眠柳 赤楊
檉柳 觀音柳 人柳
【今云𮈔埀柳
チンリウ 又云糸柳】
本綱檉柳時珍曰生水旁小幹弱枝揷之昜生赤皮細葉
如𮈔婀娜可愛得雨則埀埀如𮈔【雨師當作雨𮈔】一年三次作花
花穗長三四寸水紅色如蓼花色
青柳の糸よりかくる春しもそ亂て花のほころびける貫之
[やぶちゃん注:短歌の最終句は「ほころびにける」の脱字。訓読では訂した。]
△按檉柳卽𮈔埀柳也木似柳而枝倍靭埀葉纖於柳而
不如柏檉之葉細刺者也其花作穗長三四寸似栗花
而淡白色也其木皮似楊柳而淺青色肌濃不可謂皮
赤又謂花似蓼花而水紅色者並不然也蓋單名檉者
則無呂乃木也【見于香木類下】名檉柳者則𮈔柳也然本草綱
目所說二物紛紜記于左
爾雅翼云天將雨檉先知之起氣以應又負霜雪不凋乃
木之聖者也故字從聖
陸機詩疏云生水旁皮赤如絳枝葉如松
[やぶちゃん字注:「詩經」の動植物の注釈書である「毛詩草木鳥獸蟲魚疏」を書いたのは「陸機」ではなく、「陸璣」が正しい。「隋書」の「經籍志」では、三国の呉の「陸機」の作としてしまっているので(当該ウィキを参照されたい)、良安の誤認ではないが、訓読では訂しておく。]
沈烱賦云檉似柏而香
以上皆是無呂乃木也𮈔埀柳冬凋春生葉其木皮不
赤色葉亦不似松及柏檜之軰也而柳山林人家皆多
[やぶちゃん注:「軰」は「輩」の異体字。]
有之不足論者也然泥檉字漫爲集解矣李氏之愽識
[やぶちゃん注:「愽」は「博」の異体字。]
尙有不三省之失况於管見乎
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しだりやなぎ 埀𮈔柳《すいしりう》 河柳《かりう》
いとやなぎ 三眠柳《さんみんりう》 赤楊《せきやう》
檉柳 觀音柳《くわんのんりう》 人柳《じんりう》
【今、云ふ、「𮈔埀柳(しだれ《やなぎ》)。
チンリウ 又、云《いふ》、「糸柳《いとやなぎ》」。】
[やぶちゃん注:「𮈔埀柳(しだれ《やなぎ》)」は確かに良安が「シタレ」と前の二字にルビしている。]
「本綱」≪の≫「檉柳《せいりう》」≪にて≫、時珍が曰はく[やぶちゃん注:厳密には、冒頭部は、「集解」の中の「陸璣詩疏」からの引用である。]、≪檉柳は≫『水の旁《かたはら》に生ず。小さき幹、弱き枝、之れを揷して、生じ昜《やす》し。赤き皮≪にして≫、細き葉≪は≫、𮈔《いと》のごとし。婀-娜(たをやか)にして、愛すべし。雨を得れば、則ち、埀埀《すいすい》として、𮈔のごとし』≪と≫【「雨師」≪とあるは≫、當(まさ)に「雨𮈔」と作《な》すべし。】[やぶちゃん注:以上の割注は、良安が時珍の記載に反論したものである。]。『一年に三次、花を作る。花の穗、長さ、三、四寸。水-紅-色(うす《くれなゐ》いろ)、蓼(たで)の花の色のごとし。』≪と≫。
靑柳の
糸よりかくる
春しもぞ
亂(みだれ)て花の
ほころびにける 貫之
△按ずるに、檉柳《せいりう》は、卽ち、𮈔埀柳《しだれやなぎ》なり。木、柳に似て、枝、倍(ますます)、靭(しな)へ、埀葉(たれ《ば》)は、柳《やなぎ》より纖(ほそ)し。而《しかれ》ども、柏檉(むろのき)之の葉の細《ほそき》刺《とげ》なる者の如《しか》ならざるなり。其の花、穗を作り、長さ、三、四寸。栗の花に似て、淡白色なり。其の木≪の≫皮、楊柳《やうりう》に似て、淺青色。肌、濃(こまや)かなり。皮、赤しとは、謂ふべからず[やぶちゃん注:「『赤い』とは言えない。先の「本草綱目」の引用内容に合致しないことを指摘しているのである。]。又、『花、蓼《たで》の花に似て、水紅色(うすくれなゐ《いろ》)と謂ふは、並《ならび》に然《しか》らざるなり。蓋し、單に「檉《せい》」と名《なの》る者は、則ち、「無呂乃木《むろのき》」なり【「香木類」の下《もと》を見よ。】。「檉柳」と名のる者は、則ち、「𮈔柳《いとやなぎ》」なり。然るに、「本草綱目」に說《とく》所の二物《にぶつ》、紛紜《ふんうん》たり[やぶちゃん注:混乱してごちゃごちゃになってしまっている。]。左に記《しる》す。
「爾雅翼」に云はく、『天、將に雨《あめふ》らんとする時[やぶちゃん注:「時」は送り仮名(左下)にある。]、檉、先づ、之れを知りて、氣を起《おこ》し、以《もつて》、應《おう》ず。又、霜・雪を負《おう》て≪も≫、凋《しぼ》は《✕→ま》ず。乃《すなはち》、「木の聖なる者」なり。故《ゆゑ》、字、「聖」に從ふ。』と。
陸璣が「詩≪經≫」≪が≫「疏」に云はく、『水の旁《かたはら》に生ず。皮、赤きこと、絳(もみ)のごとし。枝・葉、松のごとし。』≪と≫。
沈烱《しんけい》が賦《ふ》に云はく、『檉は、柏(かえ)に似て、香《かんば》し。』≪と≫。
以上、皆、是れ、「無呂乃木」なり。𮈔埀柳《しだれやなぎ》、冬、凋み、春、葉を生ず。其の木の皮、赤色《せきしよく》ならず、葉≪も≫亦、松、及び、柏《かしは》・檜《ひのき》の軰《やから》に似ざるなり。而(しか)も、柳は、山林・人家、皆、多く、之れ、有りて、論ずるに足《たら》ざる者なり。然《しか》るに、「檉」の字に泥(なづ)んで、漫(みだり)に「集解」を爲《な》す。李氏の愽識《はくしき》すら、尙を[やぶちゃん注:ママ。]、三省せざるの失(し《つ》)、有り。况んや、管見に於いて、をや。
[やぶちゃん注:遂に、良安は、日中の漢字の指す種が異なることに思いに至らぬ自身の見識の狭さを棚に上げて、李時珍を、正面切って、愚かにも批判してしまうという暴挙に出てしまっている。この「檉柳」(せいりゅう)とは、ヤナギ科 Salicaceaeでさえない、
双子葉植物綱ナデシコ目ギョリュウ(御柳)科ギョリュウ属ギョリュウ Tamarix chinensis
なのである。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『モンゴルから中国北部にかけての乾燥地域が原産地で、日本には江戸時代中期に伝わった』。『ギョリュウ属の学名はタマリクス( Tamarix )であるが、日本では英語名のタマリスク(Tamarisk)でも呼ばれる。和名では別名としてサツキギョリュウが挙げられる。中国名(漢名)は檉柳(ていりゅう)で、一年に数度』、『花が咲くことから三春柳の名もある。ほかに、紅柳などの別名もある』。『本種の標準名は Tamarix chinensis 。中井猛之進が報告した Tamarix tenuissima は本種のシノニムであるとする見解があるが、別種とする見解もある』。『ギョリュウ属は、地中海周辺からアジアにかけての乾燥地帯に分布する。ギョリュウ属の種はたがいに似ているために分類は困難とされるが』、七十五『種ほどに分かれている。水湿地でよく育つ種であるが、乾燥地でも育ち、塩分や寒さにも強い』。『葉は小さい鱗片状で針葉樹のように見える。春と秋に枝先に桃色の』一ミリメートル『ほどの小さい花をたくさん咲かせる。果実は長さ数』ミリメートル『の蒴果で、種子は細かく房状の毛が生え』、『風で飛ぶ。砂漠など乾燥地でも』。『根を長く伸ばして水分を強く吸収する』。『花や樹冠の美しさから観賞用とされ、切花とされたり庭園樹として栽植されたりする。塩分に強いことから海岸の防風林として用いられたり、乾燥にも耐えることから』、『砂漠地帯での防砂や緑化に用いられたりする』。『ギョリュウ属の材は硬いことから』、『古代エジプトではチャリオットの本体部分などに使われていた』。「旧約聖書」の「創世記」第』二十一『章において、アブラハムがベエル・シェバに「エシェル」eshel という樹木を植えて神に祈るくだりがある。この木はギョリュウ属の樹木とされ、聖書の日本語翻訳では「柳」とされた例もあるが(新改訳)、「ぎょりゅう」(口語訳、新共同訳)・「タマリスク」(新改訳』二〇一七年『)として訳出されている』「出エジプト記」には、『荒野で飢えたイスラエルの民に』、『神が降らせた食物「マナ」が登場するが、マナを合理的に解釈しようとする諸説の中には、ギョリュウ属との関連を推測するものがある。たとえば、ギョリュウ属の樹木の樹液を吸ったカイガラムシ等の昆虫が分泌する甘い液(甘露)とする説などである』。『また、薬用として利尿・解毒や風邪に効果があるとされる』。『日本には江戸時代中期』の『享保年間』(一七一六年~一七三六年)『あるいは寛保年間』(一七四一年~一七四四年)『に伝わった。はしかの薬として伝えられたとも、観賞用として伝えられたともいう』とある。「維基百科」の「檉柳」によれば、異名を『垂絲柳・観音柳・三春柳・西河柳・山川柳』を挙げ、『黄河・長江流域をはじめ、広東省・広西チワン族自治区・雲南省などの平野や砂地の、塩性アルカリ性の土質に植生し、塩性土壌地域に於ける重要な植林樹種である』とする。また、『薬理学的研究によると、この製品は体温を調節し、皮膚の血管を拡張するため、発汗と解熱効果があるものの、中脳と脊髄を麻痺させる可能性があるため、過剰に経口摂取すると、血圧が低下する可能性があ』り、『呼吸困難となり、最終的には、神経中枢麻痺を起こし、虚脱状態に至る』ともあった。なお、東洋文庫訳で、解説本文に最初に出る「檉柳」に割注で、『(ヤナギ科ギョリュウ)』とするヤナギ科という部分は、完全アウトの誤りである。
本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十五下」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「檉柳」(ガイド・ナンバー[086-27b]以下)からのパッチワークである。但し、良安は、時珍への(というより、時珍が引用した部分の認識)を、批判し易くするために、そこらたらじゅうの部分を、悲しいまでに、継ぎ接ぎしているのが、見て取れる。そもそも、冒頭で、
『「本綱」≪の≫「檉柳《せいりう》」≪にて≫、時珍が曰はく』
と起筆しているのは、「水族部プロジェクト」その他で行った本書の引用の書き出しとしては、一回も見たことがない特異点なのだ! この筆圧そのものに、「反論してやるぞ!」という、執拗(しゅうね)き決意が現われているのでは? と、私は、初っ端から強く感じたのであった。
『【「雨師」≪とあるは≫、當(まさ)に「雨𮈔」と作《な》すべし。】』という「雨師」批判は、良安の時珍攻撃の初っ端の掟破りの割注によるガツンコのツッコミ批評であるが、この「雨師」、「檉柳」の「釋名」に、別名の一つとして四番目にあるのだが、それは時珍が命名したものではなく、後に出る陸璣の「詩經疏」から、「釋名」の四番目に、時珍が引用したものなのである。
「蓼(たで)の花」この「蓼」は、
ナデシコ目タデ科 Polygonaceae、或いは、旧タデ属 Polygonum でやめておいた方が無難
かと思う。本邦では、単に「蓼」と言った場合、狭義には(私は、最初のイヌタデを想起するが)、
タデ科Polygonoideaeミチヤナギ亜科 Persicarieae 連 Persicariinae 亜連イヌタデ属イヌタデ Persicaria longiseta
或いは、より一般的には、
同属ヤナギタデ Persicaria hydropiper
を指すのであるが、「維基百科」を見ると、タデ科は「蓼科 Polygonaceae」で問題ないのだが、タデ属(但し、現在はタデ属はなくなり、現在は別名の八属に分れている。しかし、それを問題にし出すと、中国のずっと過去の種同定には、ますます辿りつき難くなってしまうのでタデ属で採った)を見ると、「萹蓄属」とあり(但し、別に「蓼属」ともする)、また、本邦のヤナギタデは「水蓼」とあったからである(日中辞典も同じ。因みに、イヌタデ属は「長鬃蓼」「馬蓼」である)。花の色が「水-紅-色(うす《くれなゐ》いろ)」という点だけで、本邦の上記二種を考えるなら、ちょっと悩むが、私の好きなイヌタデは薄くない紅紫色を帯び、ヤナギタデは淡紅色であるから、後者に軍配が上がる。
「靑柳の糸よりかくる春しもぞ亂(みだれ)て花ほころびにける」「貫之」は「古今和歌集」の「卷第一 春歌上」の紀貫之の「歌たてまつれとおほせられし時に、よみてたてまつれる」の前書のある二首目(二十六番)である。「靑柳」は、青々とした葉をつけたヤナギのことを指す。「糸かくる」「亂(みだれ)て花ほころびにける」は、明らかに中国の漢詩類に詠まれる「柳絮」であり、本邦では、実景を見る機会は、まず、当時はあり得ないので、漢詩に由来する想起場面に過ぎず、私はこうした机上の技巧歌は、最も嫌悪するものである。
「檉柳《せいりう》は、卽ち、𮈔埀柳《しだれやなぎ》なり」くどいですがね! 良安先生! 「檉柳《せいりう》」は双子葉植物綱ナデシコ目ギョリュウ(御柳)科ギョリュウ属ギョリュウ Tamarix chinensis で、「𮈔埀柳《しだれやなぎ》」はヤナギ科ヤナギ属ヤナギ属シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica で、ゼンゼン、ちゃいまんねん! 冒頭のバトルから、マチガッテまんねん!!! 言っとくと、盛んに出る「いとやなぎ」という呼称はシダレヤナギの異名である。
「柏檉(むろのき)」「万葉集」以来の古い樹名であるが、現行では、この「むろ」は、「杜松(ねず:別名「鼠刺(ねずみさし)」、或いは、「這杜松(はいねず)」、又は、「伊吹」とされる。順に学名を示すと、
裸子植物植物綱マツ綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ亜科ビャクシン(ネズミサシ)属 Juniperus 節ネズ Juniperus rigida
と同属の、
ハイネズ Juniperus conferta
イブキ変種イブキJuniperus chinensis var. chinensis
である。「万葉集」に載るものは、詠まれた対象のは、明らかに瀬戸内海沿岸に植生する大木であると思われることから、最後のイブキに比定する説が、ウィキの「ネズ」には、あった。しかし、私は「万葉集」での植物比定ではないから、並列である。しかも、ここで良安は「葉の細《ほそき》刺《とげ》なる者」を有する種が「柏檉(むろのき)」であると言っているので、私は、葉が痛くて、尚且つ、良安がいた大坂周辺で、普通に見かけるものとなると、海岸の砂地に多いハイネズよりも、ネズに軍配が上がると考えている。イブキの針葉は発現が常にあるわけではなく、以上の二種と並べると、針葉が刺さって「痛い」という印象を私は持っていないので、同定範囲外である。
「爾雅翼」中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書として知られる「爾雅」(漢字は形・意味・音の三要素から成るが、その意味に重点をおいて書かれたもので、著者は諸説あり、未詳。全三巻。紀元前二〇〇年頃の成立。以後の中国で最重視され、訓詁学・考証学の元となった。後世の辞典類に与えた影響も大きい書物である)の不足を補うために、南宋の羅願(一一三六年~一一八四年)が書いたもので、草・木・鳥・獣・虫・魚に関する語を集め、それに説明を加えた、「爾雅」の篇立てに倣って分類・解説してあり、謂わば、「爾雅」中の動植物専門の補填辞典。書名は「爾雅を補佐する」の意である。当該部は「中國哲學書電子化計劃」のここで、電子化物が視認出来る。こちらのものは、しっかり纏ってあるので、以下にコピー・ペーストして示す。
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檉河柳郭璞以為河旁赤莖小楊也其皮正赤如絳而葉細如絲婀娜可愛天之將雨檉先起氣以應之故一名雨師而字從聖字說曰知雨而應與於天道木性雖仁聖矣猶未離夫木也小木既聖矣仁不足以名之音赬則赤之貞也神降而為赤云檉非獨能知雨亦能負霜雪大寒不彫有異餘柳蓋莊子以松柏獨受命於地冬夏青青比舜之受命於天檉之從聖亦以此歟詩皇矣云作之屏之其菑其翳修之平之其灌其栵啓之辟之其檉其椐攘之剔之其檿其柘蓋文王之養才於山林日就繁茂故其始而屏除之也始於已死之菑翳而及於厖雜之灌栵乂及於檉椐之小材又不得已而及於檿柘之良木以明草木逾茂則始之所愛者不能並育以漸去焉故其卒至於柞棫斯抜松柏斯兊也然則檉亦良木矣漢書鄯善國多檉柳段成式云赤白檉出涼州大者為炭復入灰汁可以煮銅南都賦注檉似柏而香今檉中有脂號檉乳
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「絳(もみ)」深紅色を指す語。
「沈烱《しんけい》が賦《ふ》」「沈烱」は生没年不詳の、南朝梁から陳にかけての文章家。詳しくは当該ウィキを見られたい。「賦」は漢文の文体の一種。対句を多用し、句末で韻を踏むもの。詩ではないので、注意。
「柏(かえ)」この良安のルビはするべきではなかったことは、もう、言うまでもない。「かえ」という訓は、本邦のヒノキ・サワラ・コノテガシワの古称であるからである。中国語の「柏」は本プロジェクト冒頭の「柏」で述べた通りで、中国と日本では、全く明後日の種群を指すからである。根っこで、この致命的誤謬が複数あるため、この錯誤は元気な亡霊どものように、何度も蘇ってくるのである。特に、ここは、李時珍をコテンパンにやっつけている(つもりになっている)最中であり、ダメ押しの、大誤謬なのだ!!! 最後の、内心、得意になっている良安が、惨く醜いと言わざるを得ない!!!]
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