「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 柳
やなぎ 小楊 楊柳
【和名之太里柳
今唯云夜奈
木】
柳
釋氏呼曰
尼俱律陀木
本綱楊樹枝硬楊起 柳樹枝弱而埀流葢一類二種而
今猶倂稱楊柳此樹縱横倒順揷之皆生春初生柔荑卽
開黃蕊花至春晚葉長成其葉狹長而青綠枝條長軟其
花中結細黒子蕊落而絮出如白絨因風而飛其子着衣
物能生蟲入池沼卽化爲浮萍古者春取楡柳之火其嫩
芽可作飮湯
柳絮【苦寒】 吐血咯血服之佳金瘡出血封之卽止又可
[やぶちゃん字注:「咯」は「喀」の異体字。]
以桿氊代羊毛爲茵褥柔軟性凉宜與小兒臥尤佳古
[やぶちゃん字注:「氊」は「氈」の異体字。]
人以絮爲花謂花如雪者皆誤矣
柳枝 去風消腫止痛作浴湯膏藥牙齒藥又其嫩枝削
爲牙枝滌齒最妙凡諸卒腫急痛以酒煮楊柳白皮暖
熨之卽止 夫木 玉ほこの道のなはてのさし柳早や森になれ立ちもやらるゝ光俊
[やぶちゃん注:この和歌の「なはて」は「ながて」の、また、「やらるる」は「やどらむ」の誤りであるので、訓読では、訂した。]
△按柳極昜生昜長陶朱公所謂種柳千株可足柴炭者
是也凡煉膏藥用柳木箆或作爼板及蒸甑亦皆以無
毒也
*
やなぎ 小楊《せうやう》 楊柳《やうりう》
【和名、「之太里柳《しだりやなぎ》」。
今、唯《ただ》、云ふ、「夜奈木《やなぎ》」。】
柳
釋氏、呼んで、「尼俱律陀木《にぐりつだぼ
く》」と曰ふ。
「本綱」に曰はく、『楊樹《やうじゆ》は、枝、硬くして、楊《やう》≪は≫、起《きす》る。』≪と≫。『柳樹《りうじゆ》は、枝、弱くして、埀れ、流る。葢し、一類≪にして≫二種なり。而《しか》も、今、猶《な》を[やぶちゃん注:ママ。]、倂《あはせ》て、「楊柳」と稱す。此の樹、縱横(たてよこ)、倒(さかさ)ま、順(まさま)に、之れを揷(さ)すに、皆、生《しやう》ず。春の初《はじめ、》柔《やはらかき》荑《つばな》を生じ、卽ち、黃《き》なる蕊花《ずいくわ》[やぶちゃん注:雌蕊と雄蕊の総称。「花蕊」(かずい)に同じ。]を開く。春《はる》≪の≫晚《くれ》に至《いたり》て、葉、長成《ちやうせい》す。其の葉、狹《せば》く長《ながく》して、青綠《あをみど》り。枝條《しでう》、長≪く≫、軟《やはなか》なり。其の花の中に細《こまやか》なる黒≪き≫子《たね》を結ぶ。蕊《しべ》、落ちて、絮(わた)、出《いづ》ること、白き絨(けをり)[やぶちゃん注:毛糸状のもの。]のごとく、風に因《よつ》て、飛ぶ。其の子、衣物《きもの》に着《つき》て、能く、蟲《むし》を生ず。池沼《ちしやう》に入れば、卽ち、化《くわ》し、浮萍(うきくさ)と爲《なる》。古《いにし》へは、春、楡《にれ》・柳《やなぎ》の火を取≪れり≫。其の嫩芽(わかめ)、飮湯《いんたう》と作《つく》るべし。』≪と≫。
『柳絮《りうじよ》【苦、寒。】』、『吐血・咯血《かつけつ》、之れを服して、佳《よ》し。金瘡≪の≫出血、之れを封じて、卽ち止《や》む。又、以≪つて≫、氊《けおりもの》に桿(う)ち、羊毛に代《かへ》て、茵-褥(しとね)と爲《な》し、柔-軟《やはらか》にして、性、凉《すず》≪やかにして≫、宜《よろ》しく、小兒と與(とも)に、臥《ふ》して、尤≪も≫佳なるべし。古人《こじん》、絮を以つて、「花《はな》」と爲《な》して、謂「花、雪のごとし。」と≪する≫は、皆、誤れり。』≪と≫。
『柳枝《れうし》』、『風《かぜ》[やぶちゃん注:風邪。]を去り、腫《はれ》を消し、痛《いたみ》を止む。浴湯《よくたう》・膏藥・牙齒の藥と作《な》す。又、其の嫩枝《わかえだ》、削《けづり》て、牙-枝(やうじ)と爲す。齒を滌《すす》≪ぐに≫、最も妙なり。凡そ、諸卒腫[やぶちゃん注:突如、発症した腫れ物。]・急痛、酒を以つて、楊柳の白≪き≫皮を煮《に》≪て≫、暖めて、之れを熨(の)せ《✕→(の)して貼れ》ば、卽ち、止む。』≪と≫。
「夫木」
玉ぼこの
道のながての
さし柳
早や森になれ
立ちもやどらむ 光俊
△按ずるに、柳、極めて、生《しやう》じ昜《やす》く、長《ちやう》じ昜し。陶朱公が、所謂《いはゆ》る、「柳を種《うゑ》ること、千株なれば、柴炭《さいたん》[やぶちゃん注:薪(たきぎ)と炭(すみ)。諸燃料。]に足《た》るべし。」と云ふは[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、是れなり。凡そ、膏藥を煉《ね》るに、柳-木《やなぎ》の箆(へら)を用ふ、或いは、爼板(まないた)、及び、蒸-甑(こしき)を作る≪と≫云《いふ》も亦、皆、毒、無《なき》を以《もつて》なり。
[やぶちゃん注:この場合、「楊柳」(ようりゅう)を比定するのが、最も問題がない。則ち、
双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属 Salix
である。当該ウィキを引くと、日中の種の微妙な違いが、判り易く認識出来る(注記号はカットした。また、引用文中の太字・下線は私が振った)。『ヤナギ(柳、栁、楊、英語: Willow)は、ヤナギ科ヤナギ属の樹木の総称』で、「風見草」「遊び草」と『呼ばれることがある。世界に約』三百五十『種あり、主に北半球に分布する。日本では、ヤナギと言えば』、『一般にシダレヤナギ』(ヤナギ属シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica :当該ウィキによれば(同前の処置をした)、『シダレヤナギの中国名は「垂柳」といい、ヤナギの中でも枝が垂れるヤナギを「柳」、枝が垂れないヤナギを「楊」としている』。なお、シダレヤナギの『学名の種小名 babylonica(バビロニカ)は「バビロンの」の意味であるが、原産は中国である。バビロンにあったという説は』、『植物学者のほとんどは否定しており、中国産のものが』、『バビロン付近に移されて、その標本に基づいてカール・フォン・リンネ』(Carl von Linné 一七〇七年~一七七八年:言わずと知れたスウェーデンの博物学者にして「分類学の父」)『が命名したと考えられている。また、旧約聖書(詩編)百三十七の『バビロン捕囚』『に書かれているバビロンのヤナギを、間違って』、『シダレヤナギに充てたという説もある』とあった』『を指すことが多い』が、『ここではヤナギ属全般について記す』。『樹木の中で最も特色のある属のひとつで、湿潤から乾燥まで、高温から低温まで、幅広い環境条件に適応し、種類が極めて多いのが特色である。主に温帯に生育し、寒帯にもある。高山やツンドラでは、ごく背の低い、地を這うような樹木となる。日本では水辺に生育する種が多いが、山地に生育するものも少なくない』。『種類が多いため、形態的な差異も多様である。落葉性の木本であり、高木から低木、ごく背が低く、這うものまである。高木性のものはさらに直立性のものと』、『枝垂れ性のものがあり、灌木性のものは低地性のものと高山性のものに区別される』。『葉は互生、まれに対生。托葉を持ち、葉柄は短い。葉身は単葉で線形、披針形、卵形など変化が多い』。『雌雄異株で、花は尾状花序、いわゆる「ヤナギの猫」と形容される小さい花が集まった穂になるのが特徴で、枯れるときには花序全体がぽろりと落ちる。ただし、外見的には雄花の花序も雌花の花序もさほど変わらない。雄花は雄しべが数本、雌花は雌しべがあるだけで、花弁はない。代わりに小さい苞や腺体というものがあり、これらに綿毛を生じて、穂全体が綿毛に包まれたように見えるものが多い。すべて虫媒花、ただし』、『ケショウヤナギ』( Salix arbutifolia )は、『この限りではない』。『冬芽は』一『枚のカバーのような鱗片に包まれ、これがすっぽりと取れたり、片方に割れ目を生じてはずれたりする特徴がある。これは、本来は』二『枚の鱗片であったものが』、『融合したものと考えられる。果実は蒴果で、種子は小さく柳絮(りゅうじょ)と呼ばれ、綿毛を持っており』、『風に乗って散布される』。『中国において』四~五『月頃の風物詩となっており、古くから漢詩等に詠まれる柳絮だが、近年では、大気汚染や火災の誘発、アレルゲンになるという理由で、公害の一種として認識されている』。『日本においては、目立つほど綿毛を形成しない種が多い。しかし、日本においても意図的に移入された大陸品種の柳があり、柳絮を飛ばす様子を見ることができる。特に北海道において移入種のヤナギが多く、柳絮の舞う様が見られる』。『ヤナギの漢字表記には「柳」と「楊」があるが、枝が垂れ下がる種類(シダレヤナギやウンリュウヤナギ』( Salix matsudana var. tortuosa )『など)には「柳」』の字を当てる一方、『枝が立ち上がる種類(ネコヤナギ』( Salix gracilistyla )『やイヌコリヤナギなど)には「楊」の字を当てる。これらは』実は、既に古く「万葉集」でも、『区別されている』。『日本では、ヤナギといえば、街路樹、公園樹のシダレヤナギが代表的であるが、生け花では』、『幹がくねったウンリュウヤナギや』、『冬芽から顔を出す花穂が銀白色の毛で目立つネコヤナギがよく知られている。柳の葉といえば』、『一般的にシダレヤナギの細長いものが連想されるが、円形ないし卵円形の葉を持つ種もある。マルバヤナギ(アカメヤナギ)』( Salix chaenomeloides )『が』、『その代表で、野生で普通に里山にあり、都市部の公園にも紛れ込んでいる』。『実際には、一般の人々が考えるより』、『ヤナギの種類は多く、しかも身近に分布しているものである。やや自然の残った河原であれば、必ず何等かのヤナギが生育し、山地や高原にも生育する種がある。それらはネコヤナギやシダレヤナギとは』、『一見』、『とても異なった姿をしており、結構な大木になるものもある。さらには高山やツンドラでは、地を這うような草より小さいヤナギも存在するが、綿毛状の花穂や綿毛をもつ種子などの特徴は共通している』。『ただし、その同定は極めて困難である。日本には』実に三十『種を軽く越えるヤナギ属の種がある。これらは全て雌雄異株である。花が春に咲き、その後で葉が伸びて来るもの、葉と花が同時に生じるもの、展葉後に開花するものがある。同定のためには雄花の特徴、雌花の特徴、葉の特徴を知る必要がある。しかも、自然界でも雑種が簡単にできるらしいのである』。以下、「主な種」の項があるが、その右の [表示] をクリックされたい。『ヤナギは水分の多い土壌を好み、よく川岸や湿地などに、生えている。自然状態の河川敷では、河畔林として大規模に生育していることがある。これは出水時に上流の河川敷から流木化したものが下流で堆積し、自然の茎伏せの状態で一斉に生育するためである』。『川の侵食を防ぐため川岸に植林される。オーストラリア南部でも入植時に護岸目的で植林されたが、侵略的外来種(国家的に深刻な雑草(英語版))として認定され、在来の樹木への置き換えが進んでいる。繁殖力もさることながら、川の流れを阻害したり、秋には葉を大量に落とし、葉が分解されることで水質を悪化させ環境を激変させることが、オーストラリア政府の関心をひいている』。『空海が中国を訪れていた時代には、長安では』、『旅立つ人に柳の枝を折って手渡し』て、『送る習慣があった。この文化は、漢詩などにも広く詠まれ、王維の有名な送別詩』「送元二使安西」『においても背景になっている』。
*
送元二使安西
渭城朝雨浥輕塵
客舍靑靑柳色新
勸君更盡一杯酒
西出陽關無故人
元二(げんじ)の安西に使ひするを送る
渭城の朝雨 輕塵を浥(うるほ)す
客舍(かくしや)青青 柳色(りうしよく)新たなり
君に勸む 更に盡くせ 一杯の酒
西のかた 陽關を出づれば 故人 無からん
*
この承句「客舍靑靑 柳色新たなり」に『ついて、勝部孝三は、「柳」と「留」(どちらも音はリウ)が通じることから、柳の枝を環にしたものを渡すことが、当時』、『中国において、旅人への餞の慣習であったと解説している。「還」と「環」(どちらも音はホワン)が通じて、また帰ってくることを願う意味が込められているわけである』。『歯磨き用の歯木として用いられた。多くの種が歯木として使用されたが、中国や日本では楊柳(カワヤナギ)』(これは前出のネコヤナギの異名なので注意)『の枝から作ったことから、楊枝(ようじ)と呼ばれた。そこから歯を掃除するための爪楊枝や、歯ブラシとしての房楊枝となった』。『英語の「WEEPING WILLOW」は泣いているやなぎと訳せる。イスラエル人は、柳を竪琴につるし、故郷のパレスチナの山々を思い出しながら』、『自分たちの受難を嘆いたという(バビロン捕囚、旧約聖書・詩編』百三十七『)。そこからこの名前になった。またシダレヤナギの学名Salix babylonicaと、コトカケヤナギ』(ヤナギ科ヤマナラシ属(或いはハコヤナギ属) Populus euphratica :中央アジアから中東・北アフリカまでの乾燥地帯に多く植生する)『の名もこれにちなんでいる』。『柳は解熱鎮痛薬として古くから用いられてきた歴史がある。シュメール時代の粘土板には疼痛の薬として記述され、エジプト人はヤナギの葉から作られたポーション』(potion:液状で服用する水薬)『を痛み止めとして使用した。日本でも「柳で作った楊枝を使うと歯がうずかない」と言われ』、『沈痛作用について伝承されていた』。十九『世紀には生理活性物質のサリシン』(Salicin:すべてのヤナギの樹皮で産生する抗炎症性のグルコシド(Glucoside:グルコース由来の配糖体))『が柳から分離され、より薬効が高いサリチル酸』(salicylic acid:ベータヒドロキシ酸(Beta hydroxycarboxylic acid)の一種の植物ホルモン。消炎鎮痛作用や皮膚の角質軟化作用がある)『を得る方法が発見されている。その後』、『アスピリン』(正式にはアセチルサリチル酸(acetylsalicylic acid)。代表的な解熱鎮痛剤の一つで、非ステロイド性抗炎症薬の代名詞とも言うべき医薬品。ドイツの「バイエル(Bayer)社」が名付けた商標名「アスピリン」(ドイツ語:Aspirin)がよく知られたため、「日本薬局方」では正式名称が「アスピリン」となっている)『も合成された。現在では、サリシンは体内でサリチル酸に代謝されることがわかっている。また、葉には多量のビタミンCが含まれている』。『植栽木として、川や池の周りに植えられた実績があり、先人が考えた水害防止対策といえる。これは柳が湿潤を好み、強靭な』、『しかも』、『よく張った根を持つこと、また』、『倒れて埋没しても再び発芽してくる逞しい生命力に注目したことによる。時代劇に出てくるお堀端の「しだれ柳」の楚々とした風情は、怪談ばなしに、つきものとなった』。『古く奈良時代以前から』「奈伎良(なぎら)」『とも呼ばれた』。『柳の枝を生糸で編んで作った箱を柳筥(やないばこ)と言い』、『神道では重要な神具である。柳筥に神鏡を納めたり、また』、『柳筥に短冊を乗せたりもするもので、奈良時代から皇室や神社で使用され続けている』。『挿し木で容易に増えることから、治山などの土留工、伏工ではヤナギの木杭や止め釘を用い、緑化を進める基礎とすることがある』とある。「維基百科」の「柳树」(=「柳屬」)では、驚くべき数の種群が羅列されてあり、「文化」の項には、軍営の周囲の障壁とされた「軍事象徴」と、古代の、世を逃れて隠棲した「隠士象徴」、そして、上記日本語版で言及された「離別象徵」が示されてある。
本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十五下」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「桞」(ガイド・ナンバー[086-23a]以下)からのパッチワークである。但し、検索する場合は、「柳」「楊」ではなく、「桞」であるので、注意されたい。
なお、この後、七項は「~柳」「~楊」等(異名含む)が続く。
「釋氏」仏教徒。
「尼俱律陀木《にぐりつだぼく》」「大蔵経データベース」で検索したが、複数の仏典で確認出来るものの、その検索する際には、「尼俱律陀木」ではゼロなので、「尼俱律陀」で検索されたい。
「楊《やう》≪は≫、起《きす》る』以上で見た通り、中国では、枝垂れずに、すっくと立ち上る種群を「楊」と言うのと、一致する内容である。
「此の樹、縱横(たてよこ)、倒(さかさ)ま、順(まさま)に、之れを揷(さ)すに、皆、生《しやう》ず」「このヤナギ類の樹木は、その枝を切り取り、それを、縦でも、横でも、また、その切った枝の元の樹の上下をわざと逆さまにしても、また、上下をその通りにして、土に植えても、孰れも、総て、ちゃんと元の樹と同一のものが生えてくる。」の意。
「荑《つばな》」この漢字は音「テイ・ダイ」で、漢語で「新芽」の意。ここでは、あまり見慣れない漢語なので、東洋文庫訳の和訓を採って、読みを振ったが、この「つばな」は狭義には、単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindric を指すので、注意が必要だ。同種は、初夏に、赤褐色の花穂を出し、後に白い綿毛の体を示す。私の好きな少年期の原風景である。
「其の子、衣物《きもの》に着《つき》て、能く、蟲《むし》を生ず。池沼《ちしやう》に入れば、卽ち、化《くわ》し、浮萍(うきくさ)と爲《なる》」これは、ありがちな旧時代の「化生」(けしょう)説であり、採るに値しない。
「楡」時珍の記載であるから、バラ目ニレ科ニレ属 Ulmus どまりである。
「古《いにし》へは、春、楡《にれ》・柳《やなぎ》の火を取≪れり≫」東洋文庫訳では、そのままで、注も何も、ない。中国の民俗を知らない読者には、不親切、これ、極まりない。これは、「楡柳(ゆりう)の火(ひ)」の意味である。小学館「日本国語大辞典」によれば、『楡、柳の枝にともした火。特に古く、中国で寒食(冬至後』の百五『日目)の日、楡、柳でつけた火を取り、群臣に賜い、これを各戸に伝えた風習をいう』とある。
「飮湯《いんたう》」若芽を湯に入れて飲むことであろう。煎じるのではあるまい。
「柳絮《りうじよ》」漢詩で知られるものは、北宋第一の詩人蘇軾の七絶、
*
和孔密州五言絕句 東欄梨花
梨花淡白柳深靑
柳絮飛時花滿城
惆悵東欄一株雪
人生看得幾淸明
孔密州に和す五言絕句 東欄の梨花
梨花 淡白にして 柳(やなぎ) 深靑たり
柳絮 飛ぶ時 花 城(じやう)に滿つ
惆悵(ちうちやう)す 東欄の一株(ひとかぶ)の雪(ゆき)に
人生 看得(かんとく)す 幾(いく)淸明(せいめい)
*
あたりか。誌題の前のそれは、密州の知州(知事)であった孔宗翰の詩に和しての七言絶句」の意。転句の「雪」は梨の花の隠喩。「淸明」「淸明節」。三月節。二十四節気の一つで、旧暦の二月後半から三月前半、新暦では四月五、六日頃に相当する。万物が清々しく明るく美しい「生」の始まりを象徴し、さまざまな花が咲き競う花見のシーズンである。
但し、私は何故か、大学生の時に読んだ、中唐の韓愈の五絶、
*
柳巷
柳巷還飛絮
春餘幾許時
吏人休報事
公作送春詩
柳巷(りうかう)
柳巷 還(ま)た 飛絮(ひじよ)
春の餘(なごり) 幾許(いくばく)の時ぞ
吏人(りじん) 事を報ずるを休(や)めよ
公 春を送るの詩を作らん
*
を思い出す。「公」は自称。「我輩」。私の中の鮮烈な「飛絮」の映像は、この起句に尽きるのである。
「宜《よろ》しく、小兒と與(とも)に、臥《ふ》して、尤≪も≫佳なるべし」東洋文庫訳では、『小児をねかせるのに大へん佳』(よ)『い』とあるのだが、どうも、この訳、微かに気に入らない。ここで、良安が「與」に「トモニ」という訓点をわざわざ附したところを――ちゃんと――意を汲んで――意訳すべきであると感じるのである。則ち、
*
毛織物のようにした柳絮を褥(しとね)とする。それは、母親の子への愛の仕事である。而して、そのように母が、幼い子どもへの労わりの思いを込めて作ったそれは、柔らかで、しかも涼しく、母が、幼な子とともに、横になって、寝かしつけるのには、最も、よいものである。
*
である。少なくとも、私は、白文の文字列から、そう読んだ。
「夫木」「玉ぼこの道のながてのさし柳早や森になれ立ちもやどらむ」「光俊」既注の「夫木和歌抄」に載る藤原光俊の一首で、「卷三 春三」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で00777)。「玉ぼこの」「玉鉾の」は「道」の枕詞。
「陶朱公」東洋文庫の後注に、『春秋時代の越王勾践の臣であった范蠡が、越王のもとを去ったのちの変名。貨殖の才に長けていたという。』とある。私の好きな人物である。当該ウィキを参照されたい。
「蒸-甑(こしき)」甑(こしき)。穀物を蒸す土器。形は鉢、又は、甕(かめ)状で、底に穴があり、簀の子を嵌めて。米などを入れ、湯沸しの上に載せて蒸す。本邦では、古墳時代中期に朝鮮系の須恵器の一つとして出現しており、後に土師器(はじき)の器種として普及したが、この頃のものは、角形の取手をつけたものが多い。東南アジア・中国にもみられる(平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。]
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