「疑殘後覺」(抄) 巻四(第二話目) 果進居士が事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
巻四(第二話目)
果進居士が事
中頃、果進居士といふ術法《じゆつはふ》[やぶちゃん注:幻術・妖術・外法(げほう)の意。]を行《おこなふ》者あり。
上方へと、こゝろざして、「つくし」[やぶちゃん注:「筑紫」。]より、のぼりけるが、日をへて伏見に、きたりぬ。
をりふし、日能大夫[やぶちゃん注:不詳。]、勸進能をしけるが、見物のきせん、芝ゐの内外に充滿せり。
[やぶちゃん注:「芝ゐ」「芝居」であるが、ここは「の内外」とあるので、実際に演じられている芝居ではなく、芝居小屋である。岩波文庫の高田氏の脚注には、『舞台に對する見物席。または、舞台、見物席を合せて言う。』とされる。]
果進居士も、
『見物せばや。』
と思ひて、うちへ、いりて見けるに、なかなか、上下《うへした》の見物人は、尺地も、すかさず、立込みたり。
くわしんこじ、まぢかくよつて、見るべき所もなければ、
『爰《ここ》は、ひとつ、芝居をさはがせて後《のち》、入らん。』
と思ひて、諸人のうしろに立《たち》て、「おとがい」[やぶちゃん注:ママ。「頤(おとがひ)」。下顎。以下同じ。]を、
「そろりそろり」
と、ひねりければ[やぶちゃん注:指先で撫でたところが。]、みるうちに、「かほ」のなり、大きになるほどに、人々、是をみて、
「こゝなる人の顏は、ふしぎなる事かな。いままでは、何事もなかりしが、みるうちに、ほそながくなる事の、ふしぎさよ。」
と、おそろしくも、をかしくも、これを、たちかゝりてみるほどに、くわしんこじは、少《すこし》、かたはらへしりぞきけるが、芝居中《しばゐぢゆう》は、うへ下、もちかへして、入れかはり、たちかはり、見るほどに、のちには、「かほ」。二尺ばかり、ながくなりてければ、人々、
「『げはうがしら』[やぶちゃん注:「外法頭」。]と云ふものは、これなるべし。是を見ぬ人やあるべき。すゑの世の物がたりに、せよや。」
とて、おしあひ、へしあひ、たちかゝるほどに、能の役者も、樂屋をあけてぞ、見物しける。
[やぶちゃん注:「外法頭」ここは、頭部を伸縮させる外法を指す。なお、参考までに言っておくと、ウィキの「外法」によれば、狭義には、『人の髑髏を使った妖術とされることもあり、これに使われる髑髏を外法頭(げほうあたま、げほうがしら)と呼ぶ』とある。半可通の者が、それを知ったかぶりして、勝手に、かく呼んだものである。]
こじは、
『いまは、よき時分。』
と思ひければ、かきくれて、うせにけり。
見る人、
「こはいかに。きたい・ふしぎのばけものかな。」
と、舌のさきを卷きて、あやしみける。
さて、果進居士は、芝居、ことごとく、あきたるによつて、舞臺さきのよきところへ、あみがさ、引《ひき》こみて、座を、とりて、見物、おもふさまにぞ、したりけり。
又、中國、「ひろしま」といふ所に、久しく居住したりけり。
そのあひだ、ある商人《あきんど》の金銀を、かりて、事をとゝのへけるが、のぼりさまに、一せんも、返弁せず、しのびて、京へ、きたりけるが、このあき人《んど》、
「にくき居士かな。いづちへか、にげうせたるらん。」
と、くやめども、かひなくして、うち過《すぎ》けるが、あるとき、商買のために京へ上りけるが、鳥羽の邊にて、此くわしんこじに、十もんじに[やぶちゃん注:十字路で。]、行《ゆき》あふ[やぶちゃん注:ママ。]たり。
あきんど、そのまゝ、こじをとらへて、
「さても、久しき居士かな。それにつけて、御身は、ずいぶん、それがし、ちそう[やぶちゃん注:「馳走」。]に思ひて[やぶちゃん注:「世話をしてやろう思って」。]、きんぎん、其外《そのほか》、ひかへ[やぶちゃん注:ここは、やや普通でない用法で、「何くれとなく援助し」の意。]候ふて、とかくと、いたはり侍りし『かひ』もなく、夜ぬけにして、上り給ふこと、さりとては、とゞかぬ御心中にて有《ある》ものかな。」
と、はぢしめければ、くわしんこじ、
『何とも面目なく。』
や思ひけん、この人を見つけぬるより、又、おとがいを、
「そろりそろり」
と撫でければ、
顏、よこ、ふとりて、まなこ、まろくなり、はな、きわめて[やぶちゃん注:ママ。]たかく、むかふ齒[やぶちゃん注:これは恐らく「上下の歯」を指すのであろう。]、一ばい、大きに見えわたりければ、このあきんども、
『これは。』
と思ひけるが、居士、申《まうし》けるは、
「なにと仰《おほせ》候や。それがしは、かつて、御身は、ぞんぜぬ人にて候が、まさしき「ちかづき」のやうに仰候は、おぼつかなし。」
と、申しければ、あきんど、はじめは、
『くわしんこじ。』
と、たゞしく思ひしが、みるほど、各別の人[やぶちゃん注:全く違う人。]なれば、
『さては。見あやまりたる。』
と思ひて、
「まことに、そつじ[やぶちゃん注:「卒爾」。]なる事を申《まうし》侍るものかな。『我らが、ぞんじたる人か。』と、おもひて、見あやまりしが、ゆるし候へ。」
と、申《まうし》て、通りにける。
後に、人々、風聞して、
「これは、何よりも、ならひたき『じゆつ』なり。」
とぞ、わらひにける。
又、あるとき、戸田の出羽[やぶちゃん注:不詳。]と申す兵法者、「無雙」のきこえ、ありけるが、もとへ[やぶちゃん注:果進居士の「元へ」。]、ゆきて、ちかづきになりぬ。
さて、いろいろ、さまざま、物がたりを、しけるほどに、居士、申けるは、
「それがしも、兵法を、少《すこし》、心がけ申候。さのみ、ふかき事もぞんぜねども、よのつねの人に仕負《しまけ》候はんとは、おもはず。」
と、云《いふ》。
戸田、きゝ給ひて、
「それは。竒特なる事にて候[やぶちゃん注:すばらしいことで御座る。]。そのぎ[やぶちゃん注:「儀」。]ならば、ちと、御身の太刀すぢが、見申《みまうし》たく候。」
と申されければ、居士、
「さあらば。」
とて、木刀をとつて、たちあひ、
「やつ。」
と、いふと、思へば、「こびん」を、
「ちやう」
と打つ。
[やぶちゃん注:「小鬢」。「こ」は「少ない・小さい」ことを指す接頭語。頭の左右側面の髪。特に「顳=顬(こめかみ)」の辺りを指す。ここは後者の左右を、電光石火で瞬時に「パン! パン!」と軽く打ったものと採りたい。]
出羽は、夢のごとくにて、更に、たちすぢも、覺えざるなり。
「今一度。」
と、いへば、
「心得たる。」
とて、また、うつに、右のごとし。
戸田は、
「さりとては御《ご》へんの太刀は、兵法の上には、はなれて、『じゆつだう』[やぶちゃん注:「術道」]を、おこなふによつて、各別の法なり。」
と、うちわらひにける。[やぶちゃん注:「ける」は余韻・余情を示す連体中止法。]
其後《そののち》、申されけるは[やぶちゃん注:主語は「戸田の出羽」。]、
「なにと。御へんには、八《はつ》ぱうより、立ちかかつて、うつときにも、身には、あたるまじきか。」
と、とい[やぶちゃん注:ママ。]ければ、
「思ひもよらぬ事。」[やぶちゃん注:これは一種のパラドキシャルな反語的謂いであって、「想定さえしたことは御座らねども、凡そ、それが出来ぬとは存ぜぬよ。」といった感じであろう。]
と云ふ。
「さあらば。」
とて、十二疊敷のざしきへ、弟子ども、七人、わが身ともに、八人、くわしんこじを、中におきて、座敷の四方《しはう》の戸をたてゝ、うちけるに、
「やつ。」
と云《いふ》と思へば、こじは、くれに見えず[やぶちゃん注:岩波文庫本文では『塊(くれ)に見えず』と表記補正をしてあり、高田氏の脚注に『物体としての形が見えない。』とある。]、
「こは、いかに。」
と、人々、あきれて、
「くわしんこじ、くわしんこじ、」
と、よびければ、
「やつ。」
と、いふ。
「いづくにか、あるらん。」
と、いへば、
「こゝにある。」
と、云《いふ》。
座敷中《ぢゆう》には、「ちり」もなきによつて、
「さあらば、『えんの下』に、かゞみゐるならん。證據のために、みん。」
とて、たゝみを、あげて、くわしく見けるに、なにも、なし。
「くわしんこじ。」
と、よべば、こたふる。
「さりとては。きだい・ふしぎとも、いふばかりなし。」
と、人々、あきれはてて、ゐければ、まん中へいでゝ、
「なにと、尋ね給ふぞや。」
と、いふ。
人々、
「さりとては。とかう、いふばかり、なし。」
と、かほを、まもりゐたり。
「かゝるうへは、たとへば、百人、千人、よりたりとも、かなふ事に、あらず。」
と、いひて、うらやみにける。
[やぶちゃん注:「きだい」原本は『きたい』だが、「奇體」では、以下の「不思議」と相性が悪いので、岩波文庫本文通り、「希代」(きたい/きだい)で採る。
さて、一般には、この怪しい妖術師は、専ら、「果心居士」の表記で知られる。私は非常に好きな怪人物であり、多くの記事を電子化している。中でも、オリジナルでマニアックな注を附したものを三つ、古い記事から並べて、終わりとする。
*
●『柴田宵曲 妖異博物館 「果心居士」』(注のオリジナル電子化のものに画像有り)
★「小泉八雲 果心居士 (田部隆次譯)」(原作は果心居士を世界に知らしめた名文)
●『小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (15) 主觀的怪異を取扱つた物語』
*]
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