「疑殘後覺」(抄) 巻四(第六話目) 八彥盗賊を討事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
巻四(第六話目)
八彥、盗賊を討《うつ》事
中ごろ、越州に「八彥の近光」と云《いふ》人ありけり。
[やぶちゃん注:「越州」越前・越中・越後の総称であるが、岩波文庫の高田衛氏の脚注では、『ここでは越後国。いまの新潟県にあたる。』とされる。同文庫の補正本文では、「八彥」を『弥彦の近光』と表記し、同じくこれに脚注して、『不詳。ただし弥彦は越後の地名で、この土地の豪族として設定されている。』とあって、高田氏は、現在の新潟県西蒲原郡弥彦村(やひこむら)に比定しておられることが判る。ここには、知られた越後一宮彌彦神社がある(孰れもグーグル・マップ・データ)。]
此人、父「治部大夫」といふをば、とうぞく[やぶちゃん注:ママ。]のために、うたせ給へり。
「石根《いはね》のとひゑもん」とて、「がうたう」を所作として、世をわたりけるが、そのよ[やぶちゃん注:「餘」。]、同類數百人《すひやくにん》、したがへて、方々を、まはりて、うちとり・はぎとりしけるほどに、あるとき、治部大夫、他所へうち越え、夜に人て山中を通りけるに、をりあひて、さんざんに討ち合ひ、たぜいなれば、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]討《うち》とられ給へり。
[やぶちゃん注:「石根《いはね》のとひゑもん」岩波文庫は『岩根の土肥右衞門』と補正しつつ(されば、この「とひ」は「とい」の誤りとなる。以下出る「とひ」は同じ)、『不詳。』とされる。
「をりあひて」同前で『遭遇して。』と注する。]
されば、近光、
「いかにもして、この『いはね』をうつて、父の教養にほうぜん。」
と、あけくれ、はかり事を、めぐらされけれども、
「まづ、一所に、さだまらず、そのうへ、用心、よのつね、ならず。與同を、うちしたがへて、かりにも、よそめを、ふせてある。」
と、きくなれば、なにゝたよりて、ちかづくべきやう、なし。
さればとて、
「かれを、うたで、亡父の鬱念を、むなしくせんも、くちおし[やぶちゃん注:ママ。]。」
とて、あるとき、一間所《ひとまどころ》にいつて[やぶちゃん注:「入つて」。岩波文庫は『行つて』とするが、私は採らない。]、つらつら、手だてを、あんずるところに、爰《ここ》に、この「りやうない」に、その、とし月をふりたる、狐、ありけるが、はたちばかりの女房と、げんじて、こつぜんと、きたり、申《まうす》やうは、
「いかに。君は、ひとりと、ふかく、御心に、もの思はせ給ふ事の、あはれさよ。」[やぶちゃん注:高田氏は脚注で、『「ひっそりと」の古形表記。』とされるのだが、「言海」「広辞苑」、及び、所持する複数の古語辞典を見ても、そのような用法はなく、小学館「日本国語大辞典」には『「ひとりで」に同じ』とあり、使用例は江戸前期の浮世草子であるから、『古形表記』ではない。私は、それを支持する。「悶々としてただ一人の心の内で」の意とする。]
と申《まうし》ければ、近光、見給ひて、
「なんぢは、なにものぞ。」
と申させ給へば、
「さん候。みづからは、何をか、つつみまいらせん。この御りやうないに、いく年を、へたる狐にて候が、君の父のかたきをうたん事を、あけくれ、工夫おはします御《み》こゝろのうち、ことに、あはれにぞんじ侍る。まことに、かれを討たせ給はん事は、『たしやうくわうごう』は、ふるとも、かなひ給ふべからず。されども、我は『つうりき』[やぶちゃん注:「通力」。]を得て侍れば、かれがあさ夕の有樣を、日ごとにぞんじ侍る。いたづらに御こゝろをついやし給はんより、みづから[やぶちゃん注:話主の狐自身を指す。]を、たのみ給へ。このみたち[やぶちゃん注:「御館」。]の地にて、子どもを、あまた、まふけ[やぶちゃん注:ママ。]候へば、御父の御事をば、『氏《うぢ》のあるじ』と、おもひたてまつるに、なさけなくも、ほろぼし侍る[やぶちゃん注:「ほろぼされ給ふ」でないと、しっくりこない。]。そのにくみ[やぶちゃん注:「憎み」。「憎しみ」。]は、畜類ながらも、いかばかりとか、おぼしめす。かれを、うしなひて、おやのけうやう[やぶちゃん注:「供養」か。「父母に孝養をする」の意。但し、だとすると、歴史的仮名遣は「きようやう」である。]にせんと思食《おぼしめし》候はゞ、みづから、あんなひ[やぶちゃん注:ママ。]、仕《つかまつ》らん。」[
とぞ、申《まうし》ける。
[やぶちゃん注:妖狐の語りであるから、通常の人の言葉と異なった言い方をすることは、電子化した多くの怪奇談集で、しばしば、体験してはいる。しかし、本書のように、ひらがなが多く、普通の場面の人の台詞や地の文にも、盛んに歴史的仮名遣の誤用があることから、とてものことに、まともに躓かずに読むことが、出来難いと判断し、今回はテツテ的にダメ出し注を出した。
「たしやうくわうごう」の歴史的仮名遣は「たしやうくわうごふ」の誤りで、「多生曠劫」である。仏語で、「何度も、生まれ変わり、死に変わりする、久遠の時間」を言う。]
近光、大きにえつき[やぶちゃん注:「悅喜」。]をし給ひて、
「かゝる喜びこそ、候はね。そのぎ[やぶちゃん注:「儀」。]ならば、うつべき手だてを、はからひて、きかせよ。」
と、の給へば、
「さん候。此《この》とひゑもんは、常に白拍子《しらびうし》を好み候へば、みづからを、『上方《かみがた》より、くだりたる、しらびやうしの、めいじん。』と、ふうぶんしたまへば、さもあらば、かれが聞きをよび[やぶちゃん注:ママ。]て、人を、たのみ、よび候べし。」
と、いひければ、ちかみつ、
「一段《いちだん》[やぶちゃん注:当時の口語の形容動詞の語幹の用法。「それは! また格別!」の意。]、しかるべし。さて、よびてのちは、いかん。」
と、あれば、
「よき時分を、みすかして、みづから、たよりを、すべし。そのとき、あやしき田夫《でんぷ》にまぎれて、支度して、おはせよ。」
と申《まうし》ければ、
「さても、さても、有《あり》がたきこゝろざしかな。この世ならず、おもふぞ。」
とて、かたく、ちぎりてぞ、かへりにける。
さるほどに、此きつねは、あるくれがたに、ようがん、うつくしき美女となつて、下女、ひとり、うちつれてぞ、きたりける。
あたらしどの[やぶちゃん注:「新殿」。新しく設えた舞殿であろう。]に移したまひて、さてむらむら、さはさはへ[やぶちゃん注:「村々、澤々へ」。高田氏の脚注で、『ここでは「沢」は村に對して、山あいに住む人々の集落地をさす』とある。]、
「都がたよりも、しらびやうしの、この所へ、きたりたり。のぞみならんものは、よびて、見物すべし。」
と、流布し給へば、あんのごとく、岩根は、きゝて、「峠の向丸」がもとへ、[やぶちゃん注:この「峠の向丸」は悪党岩根の配下の者の通称であろう。「たうげのむかうまる」と訓じておく。]
「かゝる事を、聞く。こよひ、このもの、よびて、これにて、見ばや。」
と、いひければ、
「さらば、そのびて、よび候はん。」
とて、白拍子をぞ、よびよせける。
岩根は郎從《らうじゆう》等《ら》、十よ人《にん》、ぐして、上座にすはりて、この「女ばう」をみるに、なかなか、かたち、うつくしき事、いはんかた、なし。
「さすがに、みやこあたりを、めぐりたるものなればにや、かばかり、じんじやうに[やぶちゃん注:「尋常に」。「品位があって」。]、やさしくは、あるらん。」
と、みれども、みれども、目かれ、せず[やぶちゃん注:「目離れ」で、見飽きしない。]。
かくて。舞をはじめけるに、おもしろさ、いはんかた、なし。
そのゝち、夜もすがら、さけを、すすめけるに、興ある事、身にしむ斗《ばかり》に、ありがたくぞ、思ひにけり。
「そのゝち、人を、まいらす[やぶちゃん注:ママ。]べし。身が『もと』[やぶちゃん注:「元」。]へをはし[やぶちゃん注:ママ。]候へ。」
と、いふて[やぶちゃん注:ママ。]、かへりけり。
しらびやうしは、もとより、かれがもとへ、ゆくべき、「はかり事」なれば、向丸がもとにゐたりけり。
あくる夜に入《いり》て、むかひ、をこし[やぶちゃん注:ママ。「寄越し」であろう。]ければ、下女、うちつれて、ゆきぬ。
はるばる、深山へ、いりて、大きなる「いはほ」のうろ[やぶちゃん注:「洞」。]のうち、二十けんばかりあるうちにぞ、入りたりける。
[やぶちゃん注:このロケーションは、明らかに彌彦神社の後背の神域たる弥彦山(標高六百三十四メートル)である(グーグル・マップ・データ航空写真)。良寛所縁の地でもある。]
しらびようし[やぶちゃん注:ママ。誤っている箇所はママである。]、申《まうし》けるは、
「これは。思ひもよらぬ『しんこく』[やぶちゃん注:「深谷」。]にすませ給ふものかな。あれ、ものすごく、うたてしき所に、こそ。」
と、申ければ、
「さ、おぼしめし候はん。それがしはよのつねのもの、ならず。よを、きらふものにて侍るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、かゝる所を、もとめて、まかりある。さりながら、何にても、不ふそくは、あらせ候まじ。」
とて、「ちさう」を、つかまつり、もてなす事、かぎりなし。
かくて、日をふるほどに、十日ばかり、ありければ、
「たこくより、用の事、あり。」
とて、よびに、人、來りければ、岩根、申しけるは、
「明後日は、かへり申《まうし》候はん。そのほどは、つれづれなりとも、のこしおくものどもを、『とぎ』とし給ひて、まちたまへ。」
とて、いでにけり。
かかる𨻶《すき》に、しらびようしは、下女を、よびて、耳をひき、
「しかじか。」
いひ付《つけ》て、近光がたへぞ、こしにける[やぶちゃん注:「寄越(よこ)しける」の脱字か。]。
「せつな」が間に來たりて、申しけるは、
「明後日、もどり候はんまゝ、『したく』、あやしき『でんぷ』に、かはりて、おはし候へ。」
と申ければ、
「心得候。」
とて、日のくるゝをぞ、まち給ひにける。
[やぶちゃん注:「せつな」は無論、「刹那」。下女も妖狐であるから、韋駄天のように走れるのである。]
さるほどに、ちぎりし日にも成《なり》しかば、近光は、蓑笠を、き給ひ、下には重代の打物[やぶちゃん注:先祖から代々伝わっている名刀。日本刀では、田夫に相応しくないから、短刀か、ごく短い脇差であろう。]を、さして、手には、「まさかり」をもち給ひ、おとらぬ「つわもの」を、おなじやうに、こしらへて、三人《みたり》連れて、山中へぞ、入《いり》給ふ。
しかれども、いづちを、どなたヘとも、方⻆[やぶちゃん注:「角」の異体字。]をわきまへかね、しばし、やすらふところに、一《ひとつ》の「くつね」は[やぶちゃん注:総てママ。]、來りて、近光を、まねきければ、心得給ひて、かれがゆくやうに、おはしけるほどに、程なく、付《つき》給ひける。
そのとき、狐、申《まうす》やうは、
「かれが住みけるところには、わかきものども、四、五人、留守を、つかまつり侍るあひだ、この所に待《まち》給へ。」
と、申しければ、
「こころへ[やぶちゃん注:ママ。]侍る。」
とて、岸《きし》[やぶちゃん注:「崖」の意。]のねがたにぞ、まち給ひにける。
去《さる》ほどに、とひゑもんは、かへりきたりて、
「いかに、つれづれに、おはし候はん。」
と、いへば、
「まことに。御かへりをまちつくし侍るぞや。」
と、いとけう[やぶちゃん注:ママ。幼い様子で。]ありてぞ、申されける。
そのとき、しらびやうしは、「つう」[やぶちゃん注:「通」。通力。]をもつて、かれが玉しい[やぶちゃん注:魂。]を、かすめける。[やぶちゃん注:惑わした。後でその効果が判る。]
かくて、申《まうす》やうは、
「みづから、是《ここ》に、ながなが侍るによりて、宿より、あやしみをなして、方々を、たづね申し侍るよしを、ふしぎにも夢に見はんべるまゝ、里へ返りて、そのゝち、まいり[やぶちゃん注:ママ。]候はん。」
と、いヘば、
「いかでか、もどし候はん。この所を、人に深く隱し申《まうし》候へば、御身を戾し候ひては、世の中の人、知りまいらせ[やぶちゃん注:ママ。]候はんまゝ、叶ふまじ。」
と、いひければ、しらびようし、
「かゝる、なんぎなる事を仰《おほせ》らるゝものかな。いかでか、人に、洩らし候べき。なれども、さほど、きづかひを、なしたまはゞ、尋ぬるものゝ、むかふの岸かたまで、まいり[やぶちゃん注:ママ。]候まゝ、あれにて、逢ひ申たく候ほどに、やらせ給へ。」
と、いへば、岩根は、
「さほどにおぼしめし候はゞ、それがし、御供、申さん。」
とて、さきに、たつてぞ、あゆみける。
ほどなく、近光の待《まち》かけ給ふところへぞ、ゆきにける。
されば、岩根は、魂《たましひ》を、ぬかれけるにや、この三人の人々を、「ようがんびれい」の「女ばう」とみて、云《いふ》やうは、
「女郞《めらう》たちは、むかひのために、來たり給ふか。あやしや。」
と、いひければ、近光は、やがて、心得給ひ、
『さては。まなこの、くらみけるにや。』
と、さとつて、物かげへ、まいり[やぶちゃん注:ママ。]て、蓑笠、ひんぬいて、「うちもの」、ぬきざまに、たゞ、一うちにぞ、し給ひける。
近光のうれしさ、天にものぼる心地ぞ、し給ひにける。
さて、かへり給ひて、人數《にんず》を、よせ、かの殘黨を、ことごとく、めしとり、父の「けうやう」にぞ、し給ひにける。
さて、ちかみつは、
「この狐の『とく』[やぶちゃん注:「德」。]によらずば、いかでか、このよにて、かれをほろぼすべき。此《この》「をん」[やぶちゃん注:ママ。「恩(おん)」。]、はうずるに、物、なく、しやするに、所、なし。」
とて、いそぎ、「ほこら」にいはゝせ給ひて、宮守《みやもり》をつけて、いねう[やぶちゃん注:意味不明。岩波文庫原文は『いたう』である。]、「かつがう」[やぶちゃん注:「渴仰」。]し給ひける。
「ためしなき事。」
とぞ、申《まうし》ける。
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