平仮名本「因果物語」(抄) 因果物語卷之四〔五〕生ながら火車にとられし女の事
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を見られたい。この回の底本はここから。右丁に挿絵あり。挿絵には、右上方に枠入りで「河内國やをのざいしよ」というロケーション・キャプションが書かれてある。]
因果物語卷之四〔五〕生《いき》ながら、火車《かしや》にとられし女の事
河内の国、八尾(やを)といふ所のあたりに、弓削(ゆげ)といふ在所(ざいしよ)あり。
八尾の庄屋、用の事ありて、夜ふけがたに、平㙒海道(ひらのかいだう)を、もどりけるに、弓削のかたより、大いなる明松(たいまつ)を、ともして來《きた》る。
そのはやき事、とぶが、ごとし。
卽時(そくじ)に、ちかく來《きた》るを見れば、明松にはあらずして、大いなるひかり也。
その中に、何とはしらず、八尺ばかりの、おとこ[やぶちゃん注:ママ。]二人、わかき女房の、兩の手を、引きたてて、ゆく。
そのひかりの、かげよりみれば、弓削(ゆげ)の庄屋の女房なり。
あやしみながら、おそろしく、見おくりけるが、ぜんぜんに、とをく[やぶちゃん注:ママ。]なりて、うせにけり。
夜あけてのち、人を、つかはして、尋《たづぬ》るに、
「此《この》四、五日、わづらひ侍る。」
といふ。それより、三日めに、かの女房、死(しに)けり。
これも、
「ひごろ、心だて、はしたなくて、人を、つらくあたりて、めしつかひ、朝夕の食物(しよくもつ)をも、ひかへて、おほくは、くらはせず、被官(ひくわん)[やぶちゃん注:ここは雇われている下人・下女。]の者も、めいわくせし。」
と也。
生《いき》ながら、地獄に、おちける事、うたがひ、なし。
近き比《ころ》の事也。
[やぶちゃん注:まず、言っておかなくては、ならないのは、この絵師は、ちゃんとストーリー通りに描いていない点である。二人の異様な男(八尺は二・四二メートル。にしても、女房の背丈から見て、そんなに高く見えへんがな)に、芝の束で拵えた巨大な松明を持たせてしまっている。或いは、判っていて、空中を浮遊する不定形の光りというのは、「とても絵にはかけまへん。」と尻を捲って、「こう、描かしてもいます。」と平然と、かく描いたというところであろう。およそ、怪奇談の挿絵としては、レッド寄りのイエロー・カードだな。なお、どうでもいいことなのだが、この八尾の庄屋が持っているものは何だろう? かなり大きく、先端部分が櫛状に分離した鍬のように見えるが? 夜更けだから、用心に持っているというのも、かなり長めの脇差を佩刀しているから、却って邪魔なんじゃ、ありまへんか? とツッコミたくなる私であった。
「火車」前の話「卷之四〔四〕ねたみ深き女つかみころされし事」の私の注を参照されたい。「生《いき》ながら、火車《かしや》にとられ」た、と言う標題が、そちらの注で言ったオーソドックスな「火車」の標準外れであることを確信犯で述べていることが判る。
「河内の国、八尾(やを)」現在の大阪府八尾(やお)市(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「弓削(ゆげ)」同八尾市弓削町(ゆげちょう)附近。
「平㙒海道(ひらのかいだう)」高田氏の脚注に、『大阪天王寺より平野を経て、八尾、柏原とつなぐ道筋。』とある。天王寺はここ、平野はここ、柏原はここ。但し、「奈良街道」というのが、最も普通に使われていた通称である。
「そのひかりの、かげよりみれば、」その奇体な光りによって照らされた中の「かげ」「姿」で「映像」の意である。]
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