「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷五 㐧六 下人生きながら土にうづむ事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧六 下人、生きながら、土に、うづむ事
下野の国[やぶちゃん注:現在の栃木県。]に、さる人、一人の下人を、つかひけり。
しかれば、此《この》下人、すこしの、しそこなひ、ありて、牢人《らうにん》しけり。
ある人、來りていはく、
「うけたまはれば、其方《そのはう》は、大きなる『むふん別者』にて、あり。すこしのあやまりは、たが身のうへにも、ある事也。其上(《その》うへ)、『をん』をみて、『をん』を知らぬは、木石(ぼくせき)にもひとしかるべし。其身、さやうに立身(りつしん)し給ふも、且(かつ)は、かれが『をん』ならずや。たとひ、まんまんの事[やぶちゃん注:我が儘なこと。この場合は、主人のそれを指す。]、ありとも、まづ、此度(《この》たび)は、かへし、つかはれよ。もし、ないないの一義(いちぎ)[やぶちゃん注:旧主家の内の事で、外部に知られては、困る事柄を指す。]、他所へ聞えなば、身のうへ、大事成《なる》べし。しかれば、かれを、あしくする事は、あるまじき事也。」
と、たつて申《まうし》ければ、此人、此ことはり[やぶちゃん注:ママ。「斷」「理」或いは「道理」の意であるから、「ことわり」が正しい。]におれて、やがて、よびかへしけり。
下人、かへりて、四、五日ほどして、主人へ申《まうす》やう、
「それがしには、五七日《ごひちにち》[やぶちゃん注:三十五日間。]、御いとまを給はり候へ。在所(ざいしよ)へ、參りたく候。」
と。
主人、聞《きき》て、
『さては。きやつ[やぶちゃん注:「彼奴」。]は、とても、奉公、せまじ。』
と思ひ、いとまを取《とる》と心へ[やぶちゃん注:ママ。「心得」。]、
『もし、いとまをくれなば、又、余人(よじん)を主(しゆ)に取《とり》、つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]は、日比《ひごろ》の大事[やぶちゃん注:内々にしており、外へ洩れては、甚だ不味い事柄。]を、かたるべし。さもあらば、後《のち》には、主君へ、もれなん時は、我《わが》一命(いちめい)は、なく成《なる》べし。しよせん、きやつが、ある內は、むつかしし。ころさばや。』
と、おもひ、やがて、かれを、めして、「うら」に、三間(げん)[やぶちゃん注:五・四五メートル。]ばかりの「あな」を、ほらせ、よき時分(じぶん)に、かの下人を、うしろより、
「はた」
と、つきおとし、うへより、土(つち)を、はね込み[やぶちゃん注:「撥ね込み」。]、なんなく、「つち」にうづみけり。
今は、心、やすし。たれ、はゞかる者の、あらざれば、「うちとけがほ」に見えけるが、其後《そののち》、かの、うづまれし男、よるよる[やぶちゃん注:「夜夜」。]、來(たたり)て、せめける。
あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、みこ・やまぶしを、めして、いのらするといへども、やまず。
かくする事、三十二日目に、つゐに、妄㚑(まうれい)に、とりころされける。
きく人ごとに、
「下人のむくひなり。」
と、いひあへり。
此《この》物がたりは、寬文貳年四月七日の事也。
名(な)も、ところも、くはしくは、しるさず。
[やぶちゃん注:「寬文貳年四月七日」主人が、とり殺された日時であろう。グレゴリオ暦では、一六六二年五月二十四日に当たる。逆算すると、下人の妄霊の出現は、旧暦三月六日(グレゴリオ暦四月二十四日)となる。]
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