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2024/07/22

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 白楊

 

Marubayanagi

 

丸ばやなぎ  獨搖

 

白楊    【俗云丸葉乃

        夜奈岐】

ペツ ヤン

[やぶちゃん注:「獨搖」の「獨」は「㯮」に見え、「搖」は(つくり)の「缶」が「正」の上に橫画「一」が附された字である。困ったので、中近堂版を見たところ、「獨搖」とあった。「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」でも、「白楊」の項(ガイド・ナンバー[086-30a]直下より)の「釋名」の冒頭に「獨揺」とあったので、安心してそれを採用した。東洋文庫でも『独揺』とする。]

 

本綱白楊木身似楊微白故名白楊非如粉之白也木髙

大葉圓似梨而肥大有尖靣青而光背甚白色有鋸齒木

肌細白性堅直用爲梁栱終不撓曲其根不時碎札入土

卽生根故昜繁風纔至葉如大雨聲伹風微時其葉孤絕

𠙚則往往獨搖以其蒂長葉重大勢使然也

△按白楊爲牙枝名丸葉楊枝性韌於柳然治牙齒痛之

 功以柳爲勝京師大佛得長壽院棟梁木卽出於紀州

[やぶちゃん注:「棟」の(つくり)の「東」の中央の閉じた横画がないが、中近堂で「棟」とした。]

 熊野楊其長六十六閒【凡四十三𠀋余】蓋此白楊乎

 

   *

 

丸《まる》ばやなぎ  獨搖《どくえう》

 

白楊    【俗に云ふ、「丸葉乃

       夜奈岐《まるばのやなぎ》」。】

ペツ ヤン

 

「本綱」に曰はく、『白楊《はくやう》は、木の身《しん》、楊《やう》に似て、微《やや》白《しろし》。故《ゆゑ》に「白楊」と名づく。粉《こな》の白きごときなるに非ざるなり。木、髙く、大≪なり≫。葉、圓《まろ》≪くして≫、梨≪の葉≫に似て、肥大≪なり≫。尖《とがり》、有り。靣《おもて》、青くして、光り、背《うら》、甚だ、白色≪にして≫、鋸齒《きよし》、有り。木の肌、細(こま)かに≪して≫、白く、性、堅直なり。用ひて、梁《はり》・栱《ひじき》[やぶちゃん注:「肘木」。寺社建築などで、斗(ます:斗形。平面が正方形又は長方形の材)と組み合わせて「斗栱」(ときょう)を構成する水平材。参照した「デジタル大辞泉」に図があるので見られたい。東洋文庫訳では『けた』とルビするが、採らない。]と爲す。終《つひ》に、撓(たは)み《✕→まず、》曲(まが)らず。其の根、時ならず[やぶちゃん注:不意に。]、碎《くだけ》札《じにし》[やぶちゃん注:「死にし」。「札」には「夭折」・「流行病で死ぬこと」の意がある。私は、今、知った。]、土に入《いり》、卽ち、根を生《しやう》ず。故に、繁り昜《やす》く、風《かぜ》、纔《わづ》かに至れば、葉、大雨《おほあめ》の聲のごとし。伹《ただし》、風、微《わづか》なる時、其の葉、孤絕≪せる≫𠙚≪にありては≫、則ち、往往に≪して≫、獨り、搖(うご)く。其の蒂《てい》[やぶちゃん注:この場合は「へた」ではない。葉を支えている葉柄(ようへい)のことを指す。]、長く、葉、重きを以つて、大勢《たいせい》、然(しか)らしむるなり。』≪と≫。

△按ずるに、白楊《まるばやなぎ》は、牙-枝(やうじ)と爲し、「丸葉の楊枝」と名づく。性、柳より≪も≫韌(しな)へり。然れども、牙-齒《は》の痛みを治するの功は、柳を以つて、勝《まさ》れりと爲す。京師≪の≫大佛、「得長壽院《とくちやうじゆゐん》」の棟-梁(むなぎ)の木は、卽ち、紀州熊野より出でたる。≪その≫楊(やなぎ)、其≪の≫長さ、六十六閒【凡そ、四十三𠀋余。】。蓋し、此れ、白楊か。

 

[やぶちゃん注:「丸ばやなぎ」「白楊」とは何か? これには、かなり悩まされた。まず、東洋文庫訳では、解説本文の最初に出る「白楊」に割注して、『(ヤナギ科オオバヤマナラシ)』とするのだが、これを調べてみると、

✕双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属オオバヤマナラシ Populus grandidentata

なのだが、日中ともにウィキが存在しない。そこで、先ず、大不審を持った。さらに、英文のものを見たところが、このオオバヤマナラシ、北米原産で、主にアメリカ北東部とカナダ南東部に分布するとあって、日中には自生しないのである。これには退場以外はない。東洋文庫の大誤謬である。さて、さらに調べたところ、何のことはない、日本語のウィキに「マルバヤナギ」があるじゃないか!

キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属マルバヤナギ Salix chaenomeloides

である。以下、引用する(注記号はカットした)。『別名はアカメヤナギ、ケアカメヤナギ。川沿いなどに生える。細長い葉の種が多いヤナギ類の中で、本種の葉は丸みのある形をしていることからマルバヤナギの名がある。また、新芽が赤いことからアカメヤナギの別名がある』。『日本の本州(東北地方中部以南)・四国・九州と、朝鮮半島、中国中部以南の湿地に分布する。大きな川沿いでは普通に見られる』。『落葉広葉樹の高木。樹高は』十~二十『メートル』、『幹径は』三十~八十『センチメートル』『ほどになる。枝は横に張りだして、幅広の樹冠をつくる。樹皮は暗灰褐色で縦に裂ける。一年枝は緑褐色や紅紫色で、無毛である』。『花期は』四~五『月ごろで、ヤナギ属としては遅い方である。雌雄別株。葉は楕円形で、鋸歯のある円形の托葉が付属する』。『冬芽は鱗芽で互生し、三角形で無毛、褐色で』、『やや』、『つやがある。芽鱗は帽子状ではなく』、三『枚の芽鱗に包まれていて、合わせ目が枝側にあるのが特徴である。葉痕は隆起して浅いV字形となり、維管束痕は』三『個つく』とあった。「維基百科」を見る。同じ学名である。漢字表記は「腺柳」で、別名に「河柳」とあった。私が種を探すのに時間がかかったのは、実は、当初、ずっと、「白楊」という、私にとっては、すこぶる魅力的な「本草綱目」の項目名に惹かれ、中文サイトを探し続けてしまったからである。私もオオボケであった。「太田川河川事務所」公式サイトの「アカメヤナギ(マルバヤナギ)」も、これ、なかなか、いいのだが、無断引用を、一切、禁じているので引用はしないので、リンク先を読まれたい。ただ、そこで、種小名 chaenomeloides について、バラ目バラ科ナシ亜科の「ボケ属 Chaenomeles に似た」という意味である、とあったのである。学名のグーグル画像検索もリンクさせておく。

「獨搖《どくえう》」「白楊」この「風もないのに葉が揺れる木」という志賀直哉の「城之崎にて」みたような不思議な名と、私の心を捕えた「白楊」は、何故か、現代中国では、殆んど使われていないのには、ちょっとロマンティシズムを傷つけられたようで、淋しい気がした。花も葉も、とても魅力的であった。

 本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十五下」の「木之二」「喬木類」(「漢籍リポジトリ」)の「楊」(ガイド・ナンバー[086-30a]以下)からのパッチワークである。例によって、無茶なブツ切りの継ぎ接ぎで、『 』を細かに入れると、読み難くなるだけなので、諦めた。

「大勢《たいせい》、然(しか)らしむるなり」東洋文庫訳では、『自然にそのようになるのである』とある。

『京師≪の≫大佛、「得長壽院」』東洋文庫後注に、この「得長壽院」について、『吉田東伍『大日本地名辞書』によれば現在の東山区、蓮華王院南(八條の北)あたりにあったか、とあるが、現在では例えば平凡社『日本歴史地名大系』にみられるように、左京区岡崎にあったとされる。』とある。京都市の「京都市歴史資料館 情報提供システム フィールド・ミュージアム京都」の「得長寿院跡」によれば、『得長寿院は鳥羽上皇』の『御願寺の一つ。平忠盛』『が造営した観音堂には』、『十一面観音や等身聖観音千体が安置されており』、『現存する蓮華王院(三十三間堂)と同規模の建築であったといわれる』とあり、「所在地」は『左京区岡崎徳成町』として、拡大地図も載る。グーグル・マップ・データではここである。但し、この寺、平家が滅亡して三ヶ月後に京都周辺を震源とした「文治地震」(元暦二年七月九日午刻(ユリウス暦一一八五年八月六日十二時(正午)頃/グレゴリオ暦換算一一八五年八月十三日)によって崩壊していまっている。ただ、この前の「京師≪の≫大佛」というのは、不審である。

「六十六閒【凡そ、四十三𠀋余。】」「六十六閒」は百十九・九八メートルで、「四十三𠀋余」は百三十・二九メートルで、かなり、違うぞ? 別ソースか?]

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