「疑殘後覺」(抄) 巻七(第一話目) 安井四郎左衛門、誤て妻を討事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
安井四郎左衛門、誤《あやまり》て妻を討《うつ》事
爰に、江州北郡《きたこほり》に、安井四郎左衛門と云《いふ》人、あり。
[やぶちゃん注:岩波文庫の高田衛氏の脚注に、『現在の滋賀県湖北地方に対する、中世後期の慣習的呼称。浅井』(あざい)『郡、坂田郡などをふくむ。』とあった。問題は、「郡」の読みだが、私は通常、近世は勿論、近代初期までの行政上の「郡」は、一般人の場合は、「こほり」と読まれるのが普通と心得てきている。されど、この場合は、実際の郡名ではない広域呼称であることから、躊躇し、一応、調べた。その結果、国立国会図書館デジタルコレクションで、一件だけだが、確認出来た。大正八(一九一九)年刊の『大日本名所圖會』第一輯第二編「都名所圖會 下卷」(刊行自体は「大日本名所圖會刊行會編」で同会の大正八(一九一九)出版であるが、「都名所圖會」自体は、爆発的人気を博した、今で言うムック本の濫觴を始めた俳諧師秋里籬島の著で、図版は大坂の絵師竹原春朝斎が描き、京都の書林吉野屋から安永九(一七八〇)年に刊行されたものが初版で、リンク先のものは同書の天明六(一七八六)年の再板本が底本である)の「拾遺卷二」の「卷二 左靑龍首」の、ここの「法國寺」の条に、『額(がく)に曰(いは)く、當伽藍(たうがらん)者(は)江州(がうしう)北郡(きたごほり)』(☜左ページ三行目三字目)『淺井(あさい)備前守(びぜんのかみ)息女(そくぢよ)亞相(あしやう)秀賴(ひでより)母公(ぼこう)』(以下略)とルビが振られてあった。なお、さらに言えば、「○○國」で「○○のくに」と読むように、ここも「きたのこほり」と読んでいる可能性も排除出来ない。]
むかしより、このやしきに、きつね、すみけり。
あるとき、このきつねども、子どもを、つれて、あそびけるを、女《によう》ばう、つくづく、みて、おもひけるは、
『あら、おそろしや、このやしきは、きつねのすみかなるぞや。かれは、よろづに化《け》して、ものの「わざ」を、なすなれば、うたてしき事にこそは、あれ。いかにもして、やしきを、はらはん「はかり事」もがな。』
と、亭主に、かたりければ、四郎左衛門、申《まうし》けるは、
「今更の事ならず。むかしより、ありきたる事なれば、せんかた、なし。さして、あしき業《わざ》をも、いまゝで、したる事、覺へ[やぶちゃん注:ママ。]ず。くるしからず。」
と、申されける。
かくして、月を、すぐす程に、きつねは、この女房、かくいふを、きゝけるにや、
『ねたし。』[やぶちゃん注:「妬(ね)たし」だが、ここは、「憎し」の意。]
と思ゐ[やぶちゃん注:ママ。]て、折《をり》を、うかがひけるが、あるとき、夜半ばかりに、女房は、
「小用あり。」
とて、をき[やぶちゃん注:ママ。]いでゝ、うらへ行《ゆき》にける。
ほどなく、もどりて、あとを、たてゝ、いねければ、又、
「ほとほと」
と、戸を、たゝきて、
「こゝ、あけ給へ。」
と、いふほどに、安井、おもひけるは、
「女房は、たゞいま、もどりたるが、あやしき事を、いふものかな。」
と、いへば、女ばう、申けるは、
「あれは、狐めが、ばけて、いふものにて候ぞや。よきつゐで[やぶちゃん注:ママ。「良き序(つい)で」。]なれば、うちころしたまへ。」
と、いひければ、安井、
「いかにも。だまれ、うちころさん。」[やぶちゃん注:「だまれ」当初は、叱責の言上げの一種で、「默れ!」かと思ったが、高田氏の脚注に、『「だませ」の古い語型。』とある。されば、意味としては、「騙(だま)しおって!」の意か。]
とて、かたなを、ぬきて、戸をあけ、たゞ一《ひと》うちにぞ、したりける。
さて、よつて、みければ、わが女ばうを、切りたり。
「こは。いかなる事ぞや。」
とて、なげき、かなしめども、かひぞ、なき。
さて、內《うち》の女ばうを、みければ、このまぎれに、きつねは、うせて、なかりけり。
安井は、
「さても、さても、にくき事かな。わがやしきに住《すみ》ながら、いゑ[やぶちゃん注:ママ。]のあるじを、ころさする事、かんにん成《なり》がたし。『むくい』を、みせて、しゝたる女房のけうやう[やぶちゃん注:ママ。「供養」だが、その場合の歴史的仮名遣は「きようやう」である。]にせん。」
とて、里中《さとうち》[やぶちゃん注:「村内の民草」。]を寄せて、四はうを、八重《やへ》に、ひとへに[やぶちゃん注:「偏に」。ただひたすらに。漏らすところなく厳重に。]とりかこみ、さて、やしきを、ことごとく、狩《かり》いだして、一疋も、のこさず、うちころしてぞ、すてたりける。
「ばかす」と、いふても、かゝるきつねは、まれなり。
「安井がいきどほり、ふかく、『たね』を、たちけるも、道理。」
とぞ、風聞したりける。
「そうじて、人とあらんものは、夜中のさはぎ[やぶちゃん注:この場合は「奇体な変事」の意。]あらば、なに事にても、こゝも[やぶちゃん注:ママ。「こゝろ」(心)の誤字であろう。]を、しづめ、しばらく、事のやうを、きゝさだめて、事を、すべし。かならず、夜中には、狐ならでも、かゝる『あやまり』は、おほし。よくよく、思慮あるべき事。」
とぞ。
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