「善惡報はなし」正規表現オリジナル注 卷四 㐧五 むよくのぢいうばの事
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を参照されたい。]
㐧五 むよくのぢい・うばの事
○洛陽[やぶちゃん注:京都。]に、七、八十ばかりの夫婦あり。
「本願寺もんと」にて、つねに、ふうふづれにて、六条へ、まうでける。
[やぶちゃん注:「本願寺もんと」で「六條へ、まうでける」とあるので、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。]
ある時、下向(げかう)しけるに、「ひがしのとうゐん」・「あやのかうじ[やぶちゃん注:ママ。]」の辻に、かね袋(ぶくろ)、一つ、おちて、あり。
[やぶちゃん注:『「ひがしのとうゐん」・「あやのかうじ」の辻』ここ。]
ぢい、是を見て、一、二間[やぶちゃん注:一・八二~三・六四メートル。]、わきを、へりて[やぶちゃん注:「經りて」。距離をとって。]、とをる[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]。
うば、ぢいより、半町[やぶちゃん注:五十四・五五メートル。]ばかり、あとより、來り、是も、ぢいがごとく、わきを、とをる。
それより、一町程ゆき、ぢい、うばを待居(まちゐ)て申《まうし》けるは、
「我、かたがた、今、くるみちに、ちいさき袋、おちて、ありつるが、さだめて、かねにて、あるべし。うばは、ひろい[やぶちゃん注:ママ。]給はざるが、心もとなく、おもふゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、『とはばや。』と、おもひ、是に、ひかへ候。」
と申。
うば、聞《きき》て、
「されば、われらも見申て候が、あれは、こんぼん[やぶちゃん注:ママ。意味不詳。「今般」「今晩」かとも思ったが、私が最もしっくりくるのは、「根本」で、副詞の「本来」の意でとりたくは思う。]、おとしたりといふとも、『ぬし』、あれば、ひろいたりとも、其ぬし、いくばく、かなしかるべき。然《しかれ》ば、其なげきの『かね』を、我《わが》たからにせん事、『よしなし。』と、おもふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、ひろはぬなり。」
と申けり。
ぢい、もつとも、よろこび、うちつれ、家に、かへりけり。
さるほどに、此《この》ふうふのものは、心、すなを[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]にして、何事につきても、人に、さからふ事なく、『人のためならば、我身を、くだきても、用にたてなん。』と、おもふ心、あり。
あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、寺へ參るに 我より、あとに、參るものありて、「ざしき」、つみければ[やぶちゃん注:すっかり塞がっておれば。]、我は、のきて、其人を、我が跡に、をき[やぶちゃん注:ママ。]、われは、いづかたにも居(い[やぶちゃん注:ママ。])て、其人に、よく、「ちやうもん」を、さする。
世に、人、おほし、といふとも、か樣のものは、まれなるべし。
されば、かく、心すなをなるがゆへに、「とく」を得る事、たびたび也。
此ふうふ、商賣(じやうばい[やぶちゃん注:ママ。])に、味噌(みそ)を、あきなふ。
ある夕暮に、わかき男、白米、二、三升、もち來り、みそに、かへて、かへりぬ。
其後《そののち》、此米を、めしにするに、いくたび取《とり》ても、つくる事、なく、ふうふ、ふしぎにおもひけるが、ある夜(よ)、神明(しんめい)、つげての給はく、
「なんぢ、ふうふ、ともに、つねに、正路(しやうろ)にして、佛(ほとけ)を、しんずる事、實(じつ)なるがゆへ、天帝より、『ふくぶん』をあたへ給ふ。取《とる》とも、くふとも、つきすまじ。なんぢ、子孫の世にならば、いよいよ、はんじやうすベし。」
と、あらたかに、御つげましましけり。
夫歸、夢、さめ、ありがたくおもひて、それより、猶〻(なをなを[やぶちゃん注:ママ。])いつくしみけり。
されば、末世(まつせ)にも、かやう成《なる》ありがたき人の、世に、ありければ、『上代(じやうだい)といふとも、賢(けん)ならず、末代なりとも、愚(ぐ)ならず。』とは、かやうの事をや、いふべし。
此ものがたり、今、孫〻(そんそん)の代なるがゆへ、くはしくは、しるさず。
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