「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 娑羅雙樹
しやらさうじゆ
娑羅雙樹
飜譯名義集云娑羅此云堅固冬夏不凋故名堅固其樹
類檞而皮青白葉甚光潤四樹特髙其林森聳出於餘林
也故華嚴經音義翻爲髙遠佛入涅槃已四方雙樹皆悉
埀覆如來其樹慘然皆悉變白
△按娑羅本名也雙樹其林也俗通曰娑羅雙樹比叡山
有之其花白單瓣狀似山茶花而昜凋酉陽雜組云娑
羅樹花如蓮與此異【和州長谷寺有一株】
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しやらさうじゆ
娑羅雙樹
「飜譯名義集《ほんやくみやうぎしふ》」に云はく、『「娑羅」は、此《こなた》[やぶちゃん注:「中國」。]に云《いふ》「堅固」≪なり≫。冬・夏≪も≫、凋まず。故に、「堅固」と名づく。其の樹《じゆ》、檞(かしは)に類して、皮、青白《せいはく》。葉、甚《はなはだ》、光潤《くわうじゆん》≪として、かの≫四樹≪は≫、特に、髙く、其の林森《りんしん》≪に≫、餘林《よりん》に《✕→から拔きん出て、》出づ。故に、「華嚴經」の音義に《✕→「華嚴經音義《けごんきやうおんぎ》」に》翻《やく》して、『髙遠』と爲《な》す。佛《ブツダ》、涅槃《ねはん》に入《いり》、已《すで》に、四方の雙樹、皆、悉《ことごと》く、埀《たれ》て、如來を覆《おほ》ふ。其の樹、慘然として、皆、悉く、白《しろ》に變ず。』≪と≫。
△按ずるに、「娑羅」の本名《ほんみやう》なり。「雙樹」とは、其の林《はやし》なり、俗、通《つう》じて、「娑羅雙樹」と曰《い》ふ。比叡山に、之れ、有り。其の花、白≪の≫單瓣(ひとへ)≪にして≫、狀《かたち》、「山茶花(さゞんくは)」に似て、凋み昜《やす》し。「酉陽雜組」に云はく、『娑羅樹の花、蓮《はちす》のごとし。』と云《いふ》≪は≫、此れと≪は≫、異《い》なり【和州、「長谷寺」にも、一株《ひとかぶ》、有《あり》。】。
[やぶちゃん注:「娑羅雙樹」「娑羅」は、
双子葉植物綱アオイ目フタバガキ科サラノキ属サラソウジュ Shorea robusta
である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。漢字表記は『沙羅双樹』と『娑羅双樹』の二つがある。『常緑高木』で、「シャラソウジュ」「サラノキ」「シャラノキ」『ともいう』。但し、『これらの名で呼ばれ、日本の寺院に聖樹として植わっている木の』殆んどは、『本種ではなく』、『ナツツバキ』(ツツジ目ツバキ科ナツツバキ(夏椿)属ナツツバキ Stewartia pseudocamellia )『である』。『ラワンの一種レッドラワン』(red lauan: Stewartia negrosensis )『と同属である』。『幹』の高さは、三十メートル『にも達する。春に白い花を咲かせ、ジャスミンにも似た香りを放つ』。『耐寒性が弱く、日本で育てるには』、『温室が必要である。こうした植物園の例としては、草津市立水生植物公園みずの森や新宿御苑がある。日本の気候では育たないため、日本各地の仏教寺院では』、『本種の代用としてツバキ科のナツツバキが植えられており、「サラソウジュ」やその別名で呼ばれている』。『インドから東南アジアにかけて広く分布』する。『沙羅樹は』、『神話学的には』、『復活・再生・若返りの象徴である「生命の木」に分類されるが、仏教では』、『二本並んだ沙羅の木の下で釈尊が入滅したことから般涅槃』(はつねはん:完全な涅槃を言う。釈迦の入滅を「大般涅槃」(だいはつねはん)とも言う)『の象徴とされ、沙羅双樹とも呼ばれる』。『サンスクリット』語『では』、「シャーラ」、又は、「サーラ」『と呼ばれる。日本語の沙羅樹の「シャラ」または「サラ」は』、『これに由来している。 現代ヒンディー語での名はサール』である。『釈迦がクシナガラ』(漢名「拘尸那掲羅」。ここ。グーグル・マップ・データ)『で入滅(死去)したとき、臥床』(がしょう)『の四辺にあったという』。四双八本の『沙羅樹』であったと伝える。『時じくの花を咲かせ、たちまちに枯れ、白色に変じ、さながら鶴の群れのごとくであったという(「鶴林」』(かくりん:釈迦入滅の場所。釈迦が クシナガラ城で入滅した時、そこを取り巻いていた沙羅双樹が白鶴のように、真っ白に枯れたというところから言う。転じて「釈迦の死」や、「僧寺」・「僧寺の樹林」、広く「人の臨終」の意などに使う)『の出典』である。『以上のように』、『伝本により』、『木の本数には異同がある。しかし、いずれにせよ「双」は元々の樹木の名に含まれておらず、二本』、若しくは、『二本組ずつになった木の謂』い『である』。仏教で言う「三大聖樹」があるが、他の二種は、『釈迦が生まれた所にあった木』とされるのが、「無憂樹」(マメ目マメ科デタリウム亜科 Detarioideaeサラカ属ムユウジュ Saraca asoca )、『 釈迦が悟りを開いた所にあった木』とされるのが、「印度菩提樹」(バラ目クワ科イチジク属インドボダイジュ Ficus religiosa )である。『かつて東南アジア、とりわけ』、『マレー半島近隣で用材として』、『家屋の建築や』、『カヌー(舟)等に広く使用された。樹脂は香料や船板の水漏れ防ぐための槙皮(まいはだ)』(「まきはだ」の音変化。通常は、ヒノキやコウヤマキの甘皮を砕いて、繊維としたもので、舟や桶などの水漏れを防ぐために、材の合わせ目や継ぎ目に詰め込む材を言う。「のみ」「のめ」とも呼ぶ)『として』、また、『種子胚芽から取れる油は』、『地域によって燈火や料理に用いられる』とある。
「飜譯名義集《ほんやくみやうぎしふ》」南宋の法雲の編になる梵漢辞典。全七巻。一一四三年の成立。仏典の重要な梵語二千余語を六十四編に分類し、字義と出典を記したもの。二十巻本もある。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の古活字版の画像を探し、この画像が、それである(左丁の一行目下方から始まっている)。若干、漢字表記に違いがあるが、問題はない。「材木篇第三十一」の「沙羅」の項である。実際には、割注行で十四行に及ぶ、長い記載からの一部を抜いたものである。
「檞(かしは)」上記画像では「槲」となっている。日中ともに、ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ節カシワ Quercus dentata で問題ない。しかし、「檞(かしは)に類して」は誤りである。
『「華嚴經」の音義に《✕→「華嚴經音義《けごんきやうおんぎ》」に》』東洋文庫の巻末の「書名注」に、『華厳経音義 『新訳大方広仏華厳経音義』二巻。唐の慧苑(えおん)撰。『新訳大方広仏華厳経』八十巻から難語を拾い、その音を示し』、『宇義を解釈したもの。本書に基づいて、わが国の奈良時代に『新訳華厳経音義払記』二巻(撰者未詳)があり、発音・意義の注に加えて万葉仮名で和訓を施している。ほかに『新訳華厳経音義』一巻、喜海(鎌倉時代、高山寺明恵の弟子)撰があるが、これは音を示すにとどまっている。』とある。
「慘然として」ひどく悲しむことを言う。「娑羅雙樹」の木が、主語である。
『比叡山に、之れ、有り。其の花、白≪の≫單瓣(ひとへ)≪にして≫、狀《かたち》、「山茶花(さゞんくは)」に似て、凋み昜《やす》し。』これは、花の説明から、既に述べた、ナツツバキで間違いない。「山茶花(さゞんくは)」はツツジ目ツバキ科 チャノキ連ツバキ属サザンカ Camellia sasanqua 。
「酉陽雜組」中唐の詩人段成式(八〇三年?~八六三年?)の膨大な随筆。「酉陽雑俎」とも書く。その「卷十八 廣動植之三」。「中國哲學書電子化計劃」のガイド・ナンバー「24」の箇所にあるものを、一部、正字化し、句読点代え、記号も使ったものを示す(太字下線は私が附した)。
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娑羅、巴陵有寺。僧房床下忽生一木、隨伐隨長。外國僧見曰、「此娑羅也。」元嘉[やぶちゃん注:四二四年~四五三年。]初、出一花如蓮。天寶[やぶちゃん注:七四二年~七五五年。]初、安西道[やぶちゃん注:盛唐の開元六(七一八)年に安西四鎮節度使が置かれた。官庁は現在の新疆ウイグル自治区の庫車(クチャ:グーグル・マップ・データ。以下同じ)に置かれた。貞元六(七九〇)年に廃止。]進娑羅枝、狀言、「臣所管四鎭、有拔汗那[やぶちゃん注:フェルガナ(Farg'ona)。現在はウズベキスタン共和国東部の都市。私はエイゼンシュタインの映画「フェルガナ運河」で、よく知っている。]最爲密近、木有娑羅樹、特爲奇絕。不庇凡草、不止惡禽、聳幹無慚於松・栝[やぶちゃん注:ヒノキ。]、成陰不愧於桃李。近差官拔汗那使、令採得前件樹枝二百莖。如得託根長樂、擢穎建章。布葉埀陰、鄰月中之丹桂、連枝接影、對天上之白楡。」。
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『和州、「長谷寺」にも、一株《ひとかぶ》、有《あり》。』同前で、ナツツバキである。]
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