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2024/08/28

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 潮江村之龍

[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。前回の龍巻奇談の続き。]

 

   潮江村(うしほえむら)之(の)龍(りゆう)

 宝暦七年七月廿六日、暴風、洪水し、其上(そのうへ)、潮(うしほ)、入來(いりきたり)て、浦々、破損、多かりし。

 其頃、利幾屋(りきや)五右衞門と云(いふ)者、本御藏前(もとおくらまへ)北側東角(ひがしかど)に居(をり)て、潮江にて、農業をし、此年も稻作しければ、風(かぜ)、氣遣(きづか)ひ、

「潮江へ、立越(たちこし)、可居(をるべし)。」

とて、急(いそぎ)、行(ゆき)けるが、眞如寺橋(しんによじばし)、下り、越戶へ至りける時、わいた風、方(かた)、變り、大風(おほかぜ)、吹來(ふききたり)、

『黑雲(くろくも)、一村(ひとむら)[やぶちゃん注:「一叢」。]、すざまじく、舞下(まひくだ)るよ。』

と、覺へ[やぶちゃん注:ママ。]しが、忽(たちまち)、卷上(まきあげ)られける。

 「天神の馬場」を西へ、眞如寺の「黑門通り」の「馬場」の堤(つつみ)へ落(おち)て、正氣を失ひける折節(をりふし)、潮江(うしほえ)の者、見付(みつけ)て、來(きた)り、肩に掛(かけ)、風雨、漸(やうやく)、しのぎ、人家へ連來(つれき)て、介補(かいほ)[やぶちゃん注:「介抱」に同じ。]せし、とかや。

 兩足、折れて、暫(しばらく)煩(わづら)ひけるが、後(のち)、快(こころよ)く、杖にて、往來せし也。

 眞如寺本堂の破損は、此時の事也。

 五右衞門も、龍に卷かれたる物ならん。

 

[やぶちゃん注:「潮江村」(現代仮名遣「うしおえむら」)先行する「吉田甚六宅光物」のロケーションで既出既注であるが、これは、高知市市内の鏡川(かがみがわ)河口南岸の地区(JR四国の高知駅の真南一キロメートル附近から、「潮江橋」を渉った鏡川右岸の広域の旧地名で、浦戸(うらど)湾奥部の近世以来のかなり広い干拓地である。まず、「ひなたGPS」で示す。行政地名としての「潮江」はないものの、グーグル・マップ・データのここで「潮江」を冠した城跡・天満宮や施設が確認出来る。

「本御藏前」不詳だが、旧高知城内の東のここ(グーグル・マップ・データ)には、土佐藩の重要な産業であった紙及び筆を貯蔵する「長崎蔵」があった(「高知市」公式サイト内の『高知市広報「あかるいまち」』の『歴史万華鏡コラム』(二〇二二年三月号)の「高知城と長崎蔵」を参照されたい)。但し、ここは城内であるから、当時の市街地で、屋号まで持つからには、相当に富裕とは思われるが、農民が城内に住もうはずはないから、私はこの蔵の前身が、この城の東の端に置かれており、その東側の町屋を「御藏前」と呼んでいたのではないかと推定した(後に「元御藏前」となる)。位置的にも潮江地区に近く、極めて自然である。

「眞如寺橋」恐らく、「ひなたGPS」の国土地理院図の「天神大橋」の前身の橋名であろう(明治の廃仏毀釈で、名を「潮江天満宮」(グーグル・マップ・データ)の方にズラして、以下に記すように復讐を果たしたのであろう)。その別当寺であろう(後文を見よ)直近東に現在の曹洞宗日輪山真如寺がある(南の後背の山は「真如寺山」というが、通称は、ご覧の通り、「筆山」である)。この寺は、山内一豊が遠江国掛川領主であった頃、当時、そこにあった真如寺の在川禅師へ参禅し、後に彼の土佐入封に伴い、慶長六(一六〇一)年、在川を開山として当地に伽藍を建立、真乗寺と名付けたのに始まる。当地には潮江天満宮があり、天満宮を西方に移して跡地に建造したと伝える。真乗寺は、その後、山内氏の菩提寺として栄え、二代忠義の時、真如寺と改称した。本書「南路志」によると、境内には惣門・座禅堂・鐘楼堂・本堂・客殿・庫裏・御霊殿・浴室などが立並び、回廊が廻(めぐ)らされ、塔頭に香積(こうしゃく)院・興陽(こうよう)軒・般舟(はんじゅ)院があった(以上の真如寺の詳細部分は平凡社「日本歴史地名大系」に拠った)。

「越戶」「ひなたGPS」の両地図を調べて見たが、この名はなかった。しかし、以下の「五右衞門」が吹き飛ばされた経緯を示す地名の順序から位置関係から考えると、彼の田圃は、「眞如寺山(筆山)」を東に回り込んだ「塩屋崎」等の鏡川河口の広い田圃ではなく、逆の西方向であろうと踏んだ。すると、山の北西の麓に「河瀨」(前のリンク地図はそこを中心に配した)の地名を見出した。ここには「神田川」という小流れが東北方向に流れて、鏡川に注いでいる。「越戶」という地名は、一般に川の分流地や、水域が何かを乗り越える地区を指すから、この附近ではないかと考えた。なお、ここには既に明治の段階で「湿田」の地図記号が打たれてある。

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