「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 西寺半鐘
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。前回までの龍巻奇談と親和性がある。]
西寺(にしでら)半鐘(はんしよう)
西寺の半鐘は、模樣に、諸魚を鑄(い)たる由。
「旱魃(かんばつ)の時は、山上(さんじやう)の池に入(いり)て、雩(アマゴイ[やぶちゃん注:ママ。])する也。若(もし)、降(ふら)ざれば、磯(いそ)へ入るに、忽ち、浪、立(たち)て、雨、降(ふる)。」
と、いふ。
又、阿州、鈴ヶ森觀音の境内に、寺、有(あり)。此寺の茶釜の模樣も、諸魚を鑄付(いりつけ)たる、と也。
此茶釜は、徃古(わうこ)より、磨(みが)く事、不成(ならず)。
或時、旅人、來(きたり)て、いふ。
「聞及(ききおよび)し茶釜也(や)。模樣、分り不申(まうさず)、見ずして歸るも、殘(なごり)多(おおき)也(なり)。」
とて、鼻紙を、水にぬらし、ふきけるを、寺主(てらぬし)、見付(みつけて)、驚(おどろき)て云(いはく)、
「此釜を磨く時は、忽(たちまち)、風波に及(およぶ)故(ゆゑ)、古(いにしへ)より、磨(みがく)事、なし。足下(そつか)、今、是を、ふきたり。早く、下山し玉(たま)へ。必(かららず)、怪(あやし)み、有(ある)べし。」
と云(いひ)ければ、彼(かの)男(をとこ)も、驚き、急(いそぎ)て、下山するに、俄(にはか)に、空、かき曇(くもり)、雷(かみなり)、鳴(なり)て、道半(みちなかば)より、大雨(おほあめ)、降來(ふりきたり)、漸(やうやう)、下山しける、とぞ。
[やぶちゃん注:「西寺」「西寺怪異」で既出既注。再掲すると、「西寺」は室戸岬の西の根方にある第二十六番札所金剛頂寺(こんごうちょうじ)の別称。これは、室戸岬で、岬の先端部にある第二十四番札所最御崎寺(ほつみさきじ)を「東寺」と呼び、その対称名である(孰れもグーグル・マップ・データ)。
「雩」音「ウ」。この漢字は「夏の旱(ひで)りの時に、舞い踊り祈る雨乞いの祭礼」を指すほかに、「空に架かる虹」をも指し、これは別名「螮蝀」(ていとう)・「蝃蝀」(せつとう)とも呼ぶが、「虹」は古来、民俗社会では「龍」の一種と考えられていた。
「山上の池」「ひなたGPS」で国土地理院図を見ると、同寺の後背には、全部で四つの池を確認出来る(西側の垂直三角形の下方の流れにあるそれは数えない)ものの、東側の二箇所は、地図上の形状でも判る通り、グーグル・マップの航空写真で見ると、人工的に堰き止めて作ったもので、「山上」でもないので、除去出来る。小さな丸い池が、手前にあり(こちらはグーグル・マップの地図では示されていない)、奥に少し大きな池がある。しかし、グーグル・マップの航空写真のここで、中央の下方と上方で、確認出来るので、小さな方も明らかに現存する。なお、「ひなたGPS」の等高線を見るに、高さは同じである。個人的には手前の小さな丸い方が、映像的には「旱りの雨乞い」で入るに、いい感じはする。
「阿州、鈴ヶ森觀音」現在の板野(いたの)郡松茂町(まつしげちょう)長岸(ながぎし)にある、慶長七(一六〇二)年に阿闍梨継果(けいか)を開山として建立された阿波国の福聚山(ふくじゅさん)無量院觀音寺か? 本尊は十一面観世音菩薩(公式サイトの「沿革」に拠った)である。しかし、この観音を「鈴ヶ森觀音」と呼んだ記載は、ネット上には見当たらない。識者の御教示を乞うものである。]
« 「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 潮江村之龍 | トップページ | 「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 幡多郡下山橘村雨乞 »