「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 幡多郡沖之嶋怪異
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。]
幡多郡(はたのこほり)沖之嶋(なかのしま)怪異(かいい)
「沖ノ嶋」住(ぢゆう)、三浦氏、家僕(かぼく)、近年、沖嶋(おきのしま)の山中にて、異形(いぎやう)の物に逢(あひ)たる由。
早朝、山へ、薪(たきぎ)を取(とり)に行(ゆき)けるに、山の尾崎(おさき)に、朝日に向ひ、立(たち)たるもの、有(あり)。
ふと、見たるに、其尺、八尺[やぶちゃん注:二・四八メートル。]斗(ばかり)も有(ある)べし。
火の如く赤き、髮を被(カブ)りて、立(たち)て居(をり)けるを見るに、身の毛、よだちて、二目(ふため)と見る事も怖敷(おそろしく)、地に伏(ふし)て居(をり)、良(やや)久敷(ひさしく)して、少し、首を擡(モタゲ)て見れば、何地(いづち)へ行(ゆき)けん、不知成(しらずなり)ければ、速足(ハヤあし)を出(いだ)して、山下(やました)へ迯歸(にげかへ)ける、と、なむ。
飯沼半吾宅にて、右の僕(しもべ)、中川半右衞門に咄ける、と也。
寛延二年八月十六日の事也。大方(おほかた)、「狒〻(ヒヽ)」成(なる)べし。深山には、たまたま、出(いで)て、人を害(そこな)ふ、と、いふ。
又、谷氏の説には、
「四熊(シクマ)也。」
と云(いふ)。
又、
「『猩〻《ひひ》』にても、可(あるべし)有。『猩〻は、髮、長く、色、赤き。』由(よし)。仁獸(じんじゆう)にて、物を不害(がいせず)。」
と、云へり。
此(この)事、「胎謀記事」に見へたり。』。
[やぶちゃん注:前々篇・前篇と同じく、国立国会図書館デジタルコレクションの「土佐鄕土民俗譚」(寺石正路著・昭和三(一九二八)年日新館書店刊)の「第廿一 山猫並怪獸」の章の、「其七十六 怪獸」の第三段落に本篇が載る。
「沖ノ嶋」現在の島嶼住所である高知市宿毛市沖の島町にある「沖の島」(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、『宿毛湾港』『から南西へ約』二十五キロメートル離れた『太平洋上に浮かぶ離島・有人島である。標高』四百四メートル『の妹背山』(いもせやま)『を中央に頂き、水量豊かな谷川がある。全島が花崗岩で形成されて』おり、『海岸部は大部分が断崖絶壁であり』、『平地は少ない』。『また、周りには透明度』三十『メートルの海が広がり、日本一の魚種の宝庫といわれている』とあり、また、この島は、『島内に令制国』時代『の国境があり、土佐国』と『伊予国にまたがってい』た、当時は特殊な島であったのである。
「山の尾崎」山の背の筋の端。尾根の先頭。
「飯沼半吾」土佐藩に飯沼半吾・飯沼友衛家系図が残る。
「中川半右衞門」不詳。
「寛延二年八月十六日」グレゴリオ暦一七四九年九月二十七日。
「狒〻(ヒヽ)」「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類 寺島良安」では、引用された「本草綱目」で、李時珍は、「猩猩」を、現在の真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科オランウータン(旧ショウジョウ)属 Pongo を想定していることは明らかである。無論、本邦にいるべくもない。次の、「四熊(シクマ)」も「ヒグマ」の近代(明治期)までの古称で、無論、違う。言わずもがなだが、ロケーション、及び、身長の高さ・赤毛の髪というところから、密入国した宣教師、或いは、難破した南蛮船乗組員の成れの果てと見て取れる。]
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