「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 安喜郡白濵之起龍
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。]
安喜郡(あきのこほり)白濱(しらはま)之(の)起龍(きりゆう)
龍の起(おこ)るにも、色々、ありけるが、
「先年、白濵にて、夜分、大風(おほかぜ)、吹(ふき)、沖の方《かた》より、龍、起りけるに、一面、火の如くに成(なり)て通りけるに、翌日、見れば、木など、焦(こげ)ける。」
と也。
龍の火(ひ)たる事、いちじるし。
又、
「上瀧(かみたき)などには、風雨の烈(はげし)き時は、必ず、起る。」
と也。
「空中、火の如くに見ゆる。其時は壳鐵畑(カラてつぱう)を放(はな)し、聲を上(あげ)て、追ひ廽(まは)る。」
と也。
一とせ、田野浦にて、龍の通りたる事、有。其道筋の家、悉(ことごと)く、倒(たふ)れける。
[やぶちゃん注:この龍とは、落雷を伴う強力な台風の通過を指していよう。ここに示された地域は、高知県、及び、以下の安芸郡や室戸岬は、場所的にも台風の直撃を食らい易い位置に当たる。
「安喜郡」現在の高知県東部にあった広域の「土佐安藝郡」の旧名の一つ。旧郡域をビジュアルに見るのは、当該ウィキの地図がよい。平凡社「日本歴史地名大系」によれば、現在の東洋町(とうようちょう)・北川(きたがわ)村・奈半利町(なはりちょう)・田野(たの)町・安田町・馬路(うまじ)村・芸西(げいせい)村で、『高知県の東端に位置し、南は当郡を割いて成立した室戸市、北西は同じく安芸市であるが、その西にある芸西村は現安芸郡の飛地となっている。北東は徳島県海部(かいふ)郡。南東は太平洋、南西は土佐湾に面する。北方の県境に近い甚吉森(じんきちがもり』:標高千四百二十三・三メートル)『・千本山』(せんぼんやま:同千八十四・四メートル)『などの馬路村魚梁瀬(やなせ)の山並が、まっすぐ南下して太平洋に突出したのが室戸市の室戸岬で、この山地は年間降水量』三千『ミリを超え、山ひだに刻まれた谷は深く、流れは速い』。三つの大きな河川は、『山地から』、『すぐ』、『海に注ぐため、扇状地と氾濫原の別がなく、平野らしい平地はない。室戸市・安芸市を分置する以前の旧安芸郡は、大きく四つの地域に分けられ、阿波と海岸続きで接し』、『甲浦(かんのうら)港をもつ現東洋町の地区、室戸岬を要』(かなめ)『に』、『扇形を描く現室戸市地区、奈半利・安田両河川流域の中芸地区、現安芸市と芸西村を合せた安芸西部地区に区分された』。『郡名は「続日本紀」神護景雲元』(七六七)年『六月』二十二『日』の『条に』「土左國安藝郡少領」と見えるのが『早い。戦国時代末期、長宗我部元親が安芸郡を掌握した時、表記を「安喜」に改めたといわれ、近世には安芸・安喜が混用され』た『が、明治四』(一八七一)年、『安芸に統一された』(太字下線は私が附した)とあった。
「白濵」現在の高知県安芸郡東洋町白浜(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「上瀧(かみたき)」この地名は現在の高知県内に存在しない。そうして探すうちに、気になる場所を見出した。高知県長岡郡本山町(もとやまちょう)下関(しもぜき)にある二箇所の清流中の滝である。川の名は吉野川に注ぐ支流の渓流「行川」(なめかわ)で、位置は高知から東北部の渓谷である。上流にあるのが、「上轟」(かみとどろ)で、直近の川下に「下轟」があるのである。取り敢えず、私はこの「上轟」を「上瀧」の否定候補地としておく。
「田野浦」高知県の土佐湾の安芸郡の西南西の対称位置にある幡多(はた)郡黒潮町田野浦。]
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