「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 同郡小浦之怪異
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。「同郡(どうこほり)」は前回と同じ、「幡多郡(はたのこほり)」を指す。]
同郡小浦(こうら)之(の)怪異
「瀨尾氏筆記」に云(いはく)、
『幡多郡宿毛(すくも)の内、「大嶋(おほしま)」の向ひに「小浦」といふ、有(あり)。此辺(このあたり)に、「鹿崎(しかざき)」といふ磯山(いそやま)、有(あり)。
大嶋の漁人(りよじん)、諸用有(あり)て、父子とも、小浦へ行しに、舟をば、鹿崎につなぎ置(おき)て、暮時、彼所(かのところ)に來り、歸らんと、おもふ折(をり)に、一人(ひとり)の仙人とおぼしきが、立(たち)て居(を)れり。
其姿、髮は、「おどろ」を戴き、「しゆろう」の如く、荒々敷(あらあらしく)て、眼(まなこ)、光り、手足の爪、長く、髮をかくなと[やぶちゃん注:「と」はママ。「近世民間異聞怪談集成」では補正右傍注が『お』とする。成程、「音」で躓かない。]、
「がりがり」
いふて、此人に向ひ、笑ふ故に、漁人も言葉をかけしに、都(すべ)て荅(こたへ)る事もなく、只、笑ふのみ也。
しばし、立(たち)て、山に歸らんとするさま、手前に小川の有(あり)しが、それを一足(いっそく)に、またぎて、向(むかひ)の山の、はげしき峯を、步(あゆ)み行(ゆく)事、平地のごとし。
間(あひだ)に、木(こ)の實を取(とり)て、喰ふて、又、笑ふ。
しばらくして、山に入れり、と。
その人に、あひて、直(ぢき)に話せるを、しるす。
あやしき事也。
[やぶちゃん注:「瀨尾氏筆記」先行する「海犬」にも出たが、不詳。但し、土佐藩士系図に「瀬尾」は二家ある。
『「大嶋」の向ひに「小浦」といふ、有』高知県宿毛市小筑紫町内外ノ浦(こづくしちょうないがいのうら)。「ひなたGPS」の戦前の地図で、「小浦」の旧地名が確認出来る。「大島」は、その西北西の宿毛湾を隔てた湾奥にある大きな島(住所は宿毛市大島)である。因みに、戦前の地図でも、既に陸と道路(片島を経由)で繋がっているのが判る。
『「鹿崎」といふ磯山』やはり、「ひなたGPS」で「小浦」の北北西直近に「鹿崎」の地名が確認出来る。思うに、その二箇所の間を挟む、則ち、「小浦」の北の後背部が国土地理院図で見ると、五十三メートルの独立ピークがあり、その鹿崎側の麓は、岩礁帯の記号が振られていて、グーグル・マップ・データ航空写真で見ても岩礁であり、ストリートビューのこれで、確かにそれが視認出来る。古くは現代の田ノ浦漁港はなく、則ち、ピークの東北部を除く部分が岩礁であったと考えてよい。父子は鹿崎に舟を舫(もや)っておいたのだから、仙人は、このピークから鹿崎方向へ、ほいほいと軽い足で歩み、国土地理院図の水準点5.6の南にある、この小川(ストリートビュー)を一足で越えたのであろう(この川幅は、短く見積もっても、河口部で五メートル、少し遡っても、三メートルはある)。而して鹿崎の地名の記された箇所のここの斜面(ストリートビュー)を尾根に向かって軽々と一気に駆け上ったと私は考える。]
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