「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 海犬
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。標題は「うみいぬ」と訓じておく。なお、底本、及び、国立公文書館本ともに、「瀨尾氏筆記に云……」の行は、行頭で、一字、突き出て、話柄の新規起こしの形を採っているが、これは、明らかに続いた語りであるので(「目録」にも相当する独立標題は存在しないことからも断定出来る)、続き文とした。「近世民間異聞怪談集成」もそうした処理をしてある。]
海犬(うみいぬ)
先年、内藤惣三郞、浦役(うらやく)の時、或(ある)浦にて、二月朔日(ついたち)の夜(よ)、猟舩(りやうせん)、沖へ乘出(のりいで)、魚を釣(つり)けるに、俄(にはか)に、浪(なみ)、立(たち)、舩も、危(あやう)く見へ[やぶちゃん注:ママ。]けるが、舩の舳(へさき)の方(かた)を、何かは不知(しらず)、かぶる[やぶちゃん注:「齧(嚙)(かぶ)る」で、「かじる」の意。]樣(やう)に聞へ[やぶちゃん注:ママ。]ければ、急ぎ、漕戾(こぎもど)り、漸(やうやく)、難(なん)を遁(のがれ)ける。翌日、見れば、幅五步(ぶ)斗(ばかり)の歯の跡、有(あり)て、何(なんの)齒成(なる)事、誰(たれ)も知(しる)人、なかりし。[やぶちゃん注:「五步」この「步」は、国立公文書館本でも同じなので、失われた原本自体のの「分(ぶ)」の通音誤記と思われる。距離単位の「步」(ぶ)はあるが、「一步」は一・八二八メートルで、「九步」となると、十六・四五メートルにもなってしまうからである(一人乗りの小舟で、これは、ない)。「五分(ぶ)」なら、一・五二センチメートルとなり、リアルである。]
或古老の云(いふ)、
「『海犬』にて可有(あるべし)。」
とぞ。
「瀨尾氏筆記」に云(いはく)、『幡多郡、外浦、内浦の事にか、其所(そのところ)は忘れたり。此浦の猟師、沖立(おきだち)して、夜分(やぶん)、歸帆の節、海中(うみなか)にて、舟を引留(ひきと)むゆゑ、漁人(れうじん)、あやしみ、樣々、祈念して、漸(やうやく)に、舟、進み得て、歸れり。「翌朝、楫(かぢ)を、改(あらた)め見れば、歯の跡、六、七ヶ所、有(あり)、其內(そのうち)、二ヶ所に歯の折込(をれこみ)たる有(あり)て、取(とり)たり。」と。宮林へ、もち來り、我も見たりしに、一つは、一寸斗(ばかり)も有(ある)べし。一つは、五步(ぶ)[やぶちゃん注:同前。]斗も有(あり)て、色、甚(はなはだ)、白し。「如何成(いかなる)ものにか、有(あり)し。」[やぶちゃん注:文末が終止形なのはママ。但し、寧ろ、強い疑問で、お手上げの、「一体、如何なる物のものであるかは、まるで判らぬ!」という正体不明への不安な詠嘆として、逆に、破格が、寧ろ、しっくりくる。]と、漁人も、いへり。』。[やぶちゃん注:「と」が欲しい。]
[やぶちゃん注:この「海犬」とは、恐らく、中・大型のサメであろう。特に、不詳の「瀨尾氏筆記」の実見部で『色、甚、白し。』というのが、同定比定の極めつけとなる(以上の種までは同定出来ない。但し、候補は挙げられる。所謂、「人喰いザメ」がご希望ならば、本邦では、土佐湾が、ぎりぎり棲息域の北限に入る、軟骨魚綱板鰓亜綱メジロザメ目イタチザメ科イタチザメ属イタチザメ Galeocerdo cuvier だろう)。御存知と思うが、サメの歯は、先端が尖った鋭い歯ばかりで、しかも、種によって、口吻内の上下の顎に六~二十列もあり、噛みついて歯が折れても、後続する予備の歯が繰り出すようになっている。そもそも、サメ類の歯そのものが、実は抜け易いのである。これは、ヒトの歯と異なり、歯を支える歯槽骨や歯根膜がないことによる。
「内藤惣三郞」不詳。但し、土佐藩士系図に「瀬尾」は二家ある。
「浦役」海村で、浦方や漁業を管理・巡察・警備する役目。藩から、海賊や不正を取り締まるために命ぜられた村の役職であろう。
「瀨尾氏筆記」不詳。]
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