「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 目録・桑
[やぶちゃん注:「目録」は以下の標題の通り、次の「卷第八十五」もセットになっているが、ここでは、分離する。
底本・凡例その他は、初回を参照されたい。「目録」の読みはママである。本文同様、濁点落ちが多い。表示不能な異体字は当該項で示す。
因みに、「灌木」とは、小学館「日本国語大辞典」によれば、『丈が低く、幹が発達しない木本植物。ツツジ、ナンテンなどの類で、幹と枝とが区別しにくく、二~三メートル以内のもの。現在では低木という』とあり、「喬木」の反対語とする。]
和漢三才圖會卷第八十四之五目録
第之八十四
灌木類
桑(くは)
桑白皮(さうはくひ) 【桑椹】
柘(やまくは)
奴柘(いぬくは)
楮(かうぞう) 【かち】
[やぶちゃん注:「かうぞう」はママ。本文でも、そうなっている。]
枳殻(きこく) 【枳實】
枸橘(げす)
巵子(くちなし)
酸棗仁(さんそうにん)
白棘(はくら)
蕤核(すいかく) 【とりとまらす】
楤木(たらのき)
山茱臾(さんしゆゆ)
胡頽子(ぐみ)
金櫻子(のいばら)
郁李仁(いくりにん)
䑕李(むらさきしきぶ)
女貞(いぬつばき) 【ねづもち ひめつばき】
冬青(まさき)
狗骨(ひいらぎ)
黐樹(もちのき)
馬醉木(あせぼ)
吉利子樹(きりししゆ)
衛矛(にしきゞ)
狗骨南天(ひらきなんてん)
五加皮(ごかひ) 【むこぎ】
枸杞(くこ)
地骨皮(ぢこつひ)
溲疏(ちやうせんくこ)
楊櫨(うつき)
𣠽樹花(はしくは)
石南(しやくなぎ)
牡櫨(なまゑのき)
[やぶちゃん注:「ゑ」はママ。当該項で考証するが、この「ゑ」は「柄」であろうと思われるので、「え」の誤りであろう。]
蔓荊子訓(まんけいし)【はなばひ】
紫荊(すはうのき)
木槿(むくげ)
扶桑(ふさう) 【ぶつさうげ】
白槿(はつきん)
木芙蓉(ほくふやう)
[やぶちゃん注:「やう」はママ。]
山茶花(さゞんくは)
海石榴(つばき)
蜀茶花(からつばき)
蠟梅(らうばい) 【をうばい】
伏牛花(ふくきうくは)
宻蒙花(みつもうくは)
木棉(ぱんや)
柞(くしのき)
黃楊(つげ)
賣木子(ちさのき)
𮅑樹(かうしゆ)
木天蓼(きまたゝひ)
藤天蓼(またゝび)
接骨木(にわとこ)
𣛴木(かんぼく)
大空(たいくう)
椐(ごねづ)
粉團花(てまり)
山牡丹(やまほたん)【附リ與曽々女(ヨソソメ)】
小粉團花(こてまり)
笑靨花(しゞめはな)
糏花(こゞめはな)
虎茨(こじ)
近雀花(きんしやくくは)
八手木(やつでのき)
列珠花(れたまのき)
梅嫌木(うめもとき)
瓢樹(ひよんのき)
珊瑚樹(さごじゆ)【附リ權𬜻(ゴンズイ)】
榊(さかき)
柃(ひさゝき) 【びしやしやこ】
山橘(やまたちはな)
平地木(からたちはな)
青木(あをき)
夏黃櫨(なつはぜ)
伊比桐(いひぎり)
讓葉木(ゆづりは)【附リ計羅(けら)】
三杈木(みつまたのき)
百日紅(ひやくじつこう)
猿滑(さるすべり)
加豆於之美(かつおしみ)
山茶科(りやうぶ)
槭樹(しくじゆ)
臭𦶓(さうこう)
[やぶちゃん注:「さう」はママ。本文でも同じ。「臭」は歴史的仮名遣は「しう」。]
白丁花(あくちやうけ)
䑕取樹(ねすみとり)
和漢三才圖會卷八十四
攝陽 城醫法橋寺島良安尙順編
灌木類
[やぶちゃん注:上部に桑の「椹」(み:実)の添え図とキャプションがある。]
くは 子名椹
桑【音莊】 【和名久波】
サン
本綱桑箕星之精蠶所食葉之神木也有數種
白桑其葉大如掌厚○雞桑葉而花薄○子桑先椹而後
[やぶちゃん注:ここ以降の「○」の記号は良安が、続いているのを、読み易くするために打ったものである。されば、「≪と≫」を入れるべくもないほどのなので、訓読では、殆んどを二重鍵括弧を前後に入れるに留める。後も、今までにない、目を背きたくなる激しい継ぎ接ぎであるが、殆んど単漢字や熟語を組み合わせたジグソー・パズルのような呆れた仕儀であり、最早、二重鍵括弧で分離出来ない有様であった。]
葉○山桑葉尖而長○女桑小而條長皆以子種者不若
檿條而分者桑生黃衣謂之金桑其木必將稿矣桑以構
接則桑大根下埋龜甲則茂盛不蛀
桑白皮 桑根白皮
○桑寄生【見寓木類】
[やぶちゃん注:「【見寓木類】」は良安の割注。]
氣味【甘辛寒】 治水腫喘滿去寸白治小兒天弔驚癇客忤
如瀉白散能瀉肺火治喘嗽其火從小便去【伹肺虛而小便利者
不宜用之】又用桑白皮作線縫金瘡腸出更以熱雞血塗之
凡使采十年以上向東畔嫩根銅刀刮去青黃薄皮一
重取裏白皮切焙乾用其皮中涎勿去之藥力俱在其
上也【忌鐵及鉛】木之白皮亦可【出地上根有毒不可用】
用煑汁染褐色久不落
桑椹 一名文武實
有烏白二種單食止消渴治關節痛久服不飢安神䰟令
[やぶちゃん注:「䰟」は「魂」の異体字。]
人聰明白髮變黒【黒椹一斤蝌蚪一斤甁盛封閉懸屋頭一百日盡化爲黒泥以染白髮染妙】
山かつのそのふの桑のくはまゆの出やらぬ世は猶そ悲しき衣笠内府
△按桑養蠶之地皆多之栽有不實者俗謂之男桑其桑
椹初青白漸々赤色熟黑味甜木堅實黃白色有橒堪
爲箱噐
古今醫統云白桑葉大而無子蠶食之繭厚𮈔堅而倍
常取枝可壓熟地
桑葉 四月茂盛時采之又十月霜後多落葉時少殘葉
名神仙葉卽采之與前葉同陰乾擣末服【丸散煎湯任意】或代
茶飮之能止消渴除脚氣水腫及勞熟咳嗽
*
くは 子《み》を「椹《じん》」と名づく。
桑【音「莊」。】 【和名、「久波」。】
サン
「本綱」に曰はく、『桑は「箕星《きせい/みぼし》」の精≪にして≫、蠶(かいこ)、葉を食《くふ》所の神木なり。數種、有り。』≪と≫。
『白桑は、其の葉、大にして掌《てのひら》のごとく、厚し。』。○『雞桑《けいさう》は、葉、花ありて、薄し。』。○『子桑《こぐは》は、椹《み》を先《さき》にして、葉を後《あと》にす。』。○『山桑《やまぐは》は、葉、尖《とがり》て、長し。』。○『女桑《めぐは》は、小にして、條《こえだ》、長し。皆、子《み》を以《もつて》種《うう》る者≪は≫、條《えだ》を檿(さ)して分《わか》つ者に若(し)かず。桑、黃≪いろき≫衣≪ころも≫を生ず≪る者は≫、之れを「金桑《きんくは》」と謂ふ。其の木、必ず、將《まさ》に稿(か)れんとす。桑を以《もつて》、構(かうぞ)に接(つ)ぐ時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。後も同じ。]、則ち、桑、大なり。根≪の≫下に、龜甲《きつかふ/かめのかふ》を埋む時は、則ち、茂《しげりて》、盛《さかん》にして、蛀(むしい)らず。』≪と≫。
さうはくひ
桑白皮『桑の根の白皮なり。』
○『桑寄生《さうきせい》』【「寓木類」を見よ。】
『氣味【甘辛、寒。】』『水腫・喘滿《ぜんまん》を治し、寸白《すばく》を去り、小兒の天弔《ひきつけ》・驚癇・客忤《かくご》を治す。「瀉白散《しやはくさん》」のごとき≪は≫、能《よく》、肺≪の≫火《くわ》を瀉して、喘-嗽《せき》を治す。其の火、小便より、去る【伹《ただし》、肺虛にして、小便の利《り》する者、之れを用ふるに宜《よろし》からず。】。又、桑白皮を用ひて、線(いと)作《つくり》、金瘡《かなさう》の、腸(わた)、出《いづ》るを縫(ぬ)ひて、更に熱《あつき》雞《にはとり》≪の≫血《ち》を以つて、之れを塗る。凡そ、≪それに≫使ふに、十年以上、東の畔《みづぎは》に向《むき》たる嫩根(わか《ね》)を采り、銅の刀にて、刮(こそ)げ去り、青黃《あをきいろき》薄皮、一重《ひとへ》を、裏の白皮を取りて、切《きり》、焙乾(あぶりかはか)して、用ふ。其の皮の中≪の≫涎《よだれ》[やぶちゃん注:粘り気のある樹液。]、之れを去ること、勿《な》かれ。藥力《やくりき》、俱に其の上に在≪れば≫なり【鐵、及び、鉛を忌む】。木の白皮も亦、可なり【地の上に出づる根には、毒、有《あ》≪れば≫、用ふべからず。】。』≪と≫。
『煑汁を用ひて、褐色を染む。久しく、落ちず。』≪と≫。
くはのみ
桑椹『【一名、文武實《ぶんぶのみ》】。』
『烏《くろ》・白の二種、有り。單《たんに》食して、消渴《しやうかつ》を止め、關節痛を治す。久≪しく≫服すれば、飢へ[やぶちゃん注:ママ。]ず、神䰟《しんこん》を安《やす》んじ、人をして聰明ならしむ。白髮、黒に變ず【黒≪き≫椹一斤[やぶちゃん注:明代の「一斤」は五百九十六・八二グラム。]、蝌蚪(かいるのこ)[やぶちゃん注:オタマジャクシ。]一斤、甁に盛り、封閉《ふうへい》して、屋《おく》≪の≫頭《あたま》[やぶちゃん注:家屋内の天井の頂点。]に懸け、一百日≪せば≫、盡《ことごとく》、化《くわ》≪して≫、黒≪き≫泥と爲るを以つて、白髮を染む≪れば≫、妙≪なり≫。】。』≪と≫。
山がつの
そのふの桑の
くはまゆの
出でやらぬ世は
猶《なほ》ぞ悲しき 衣笠内府
△按ずるに、桑は、蠶《かひこ》を養(か)ふの地、皆、多く、之れを栽う。實らざる者、有≪れば≫、俗、之れを「男桑《をぐは》」と謂ふ。其の桑の椹は、初め、青白、漸々(ぜんぜん)に、赤色。黑に熟し、味、甜《あま》し。木、堅實≪にして≫、黃白色。橒(もく《め》)、有り、箱・噐《うつは》に爲《つく》るに堪《へたり》。
「古今醫統」に云はく、『白桑は、葉、大にして、子、無し。蠶、之れを食へば、繭(まゆ)、厚く、𮈔《いと》、堅くして、常に倍《ばいす》。枝を取《とり》、熟≪させて≫地に壓《さ》すべし。』≪と≫。
桑≪の≫葉 四月、茂-盛(さかり)の時、之れを采る。又、十月、霜の後には、多く、落葉する時、少し、殘る葉を、「神仙葉《しんせんえふ》」と名づく。卽ち、之れを采り、前の葉と同≪じく≫【陰乾《かげぼし》】≪し≫、擣《つきて》、末《まつ》≪に≫して、服《す》【丸≪藥≫・散≪藥≫・煎湯《せんとう》≪藥≫、意に任《まかす》。】。或いは、茶に代(か)へて、之れを飮めば、能《よく》、消渴を止め、脚氣・水腫、及び、勞熱・咳嗽《せきがい》を除く。
[やぶちゃん注:これは、日中ともに、
双子葉植物綱類バラ目クワ科クワ属 Morus
で一致する。但し、以上の「本草綱目」からの引用には、本邦には自生しない種も含まれているので、それらは個別に後で注する。例によって当該ウィキ(クワ属)を引く(注記号はカットした)。『クワ(桑)は、クワ科クワ属の総称』。『品種が多い。カイコ』(鱗翅目カイコガ科カイコガ亜科カイコガ属カイコガ Bombyx mori 。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蠶」を見られたい)『の餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用される。土留色』(どどめいろ:当該ウィキによれば、『とは、その名前は知られているが』、『正確な定義のない色。方言では桑の実、また青ざめた唇の色や、打撲などによる青アザの表現に用いられ、赤紫から青紫、黒紫を指す』。『英語では桑の実の色』『マルベリー』(Mulberry)『はラベンダー色に似た色を指す』。『桑の実を利用した食品や染めものに言われることもある』。『この言葉は人や地方によって解釈が異なるものであるが、主には桑の実が関連する色である。「どどめ」とは、埼玉県や群馬県など関東の養蚕が盛んな地域で古くから使われている方言であり、蚕のエサである桑になる実の事を指す。それが転じて』、『どどめ色は桑の実の色として使われる。桑の実は熟すにつれて赤色から黒紫色へと変化するため、人によって意味する色が異なる原因にもなっている。また比喩表現としては特に熟した桑の果実を潰した際に紫色の汁が皮膚に付いたその状態にちなんで、青ざめた唇や青アザになった皮膚を表現する』。『他には土木業界において「土留め(どどめ、またはつちどめ)」という処置を施す際に使う板が汚れた泥色になったことを言うという説がある。なおその木材に桑の木の板が使われることもあり、また』、『堤防の植木として桑が植えられることもあるが、関連は不明である』とあった)『は』、『この植物の実の色を指すこともある』。『クワの名の由来は、カイコの「食う葉」が縮まったとも、「蚕葉(こは)」の読みが転訛したともいわれている。山に自生するヤマグワなどの種類があり、別名カイバともよばれている。果実は人気のベリーの仲間で、庭に植えられるマルベリー(英: Mulberry)があるほか、クワの果実は地方により俗にドドメともよばれている』。『クワ科クワ属は、北半球の暖帯もしくは温帯地域に』十『数種が分布する。中国北部から朝鮮半島にかけての原産といわれ、日本へは古代に渡来したと考えられている。日本には、北海道から九州まで全国に分布する。養蚕のために広く栽培されるほか、かつて盛んだった時期の名残で、放置されて野生化したものが土手や畑のわきなどでも見られる』。『落葉性の高木または低木で、高さは』五『メートル』『から大きいものは』十『メートル以上に達するが、ほとんどは灌木で、栽培するものは低木仕立てが多い。幹の目通り直径は、約』五十『センチメートル』『になり、樹皮は灰色を帯びる。葉は有柄で互生し、葉身は薄く、表面はつやのある濃い緑色でざらつく。葉縁にはあらい鋸歯がある。葉の形は変化が大きく、切れ込みのない葉や、切れ込みがあるもの葉などさまざまである。大きい木では葉の形はハート形に近い楕円形だが、若い木では葉に多くの切れ込みが入る場合が多い。葉には直径』二十五~百『マイクロメートル』『ほどのプラント・オパールが不均一に分布する』。『花期は春』四月頃で、『雌雄異株または同株。花弁のない淡黄緑色の小花を穂状に下げて開花する。花序は新枝の下部にあって、雄花は枝の先端から房状に雄花序が垂れ下がり、雌花は枝の基部(下部)の方に集合してつく。雌花の雌しべの花柱は長さ』二~二・五『センチメートル』『で、先が浅く』二『裂する。花柱はヤマグワ』( Morus bombycis )『では明らかで、果実になっても花柱の残りがついている』。『果実は』五~六月頃に『結実し、緑から黄、赤と変化し、初夏に黒紫色に熟す。果実は多くの花が集まった集合果で、キイチゴのような、柔らかい粒が集まった形で、やや長くなる。粒のひとつひとつは、萼が肥厚して種子を包み込んだ偽果である。熟した赤黒い果実は、甘くて生でも食べられる。果実は人間はもとより、野鳥にとっての重要な飼料になる。果実には子嚢菌門チャワンタケ亜門』ズキンタケ綱ビョウタケ(鋲茸)目ビョウタケ科ビョウタケ属キツネノヤリタケ(狐槍茸: Scleromitrula shiraiana )や、ビョウタケ目キンカクキン(菌核菌)科キツネノワン(狐の椀: Ciboria shiraiana )が『寄生することがあり(クワ菌核病)、感染して落下した果実から子実体が生える』。以下、『クワは変種や、品種が多い』と冒頭に記す「主な種類」のリスト。漢字名・学名は信頼出来る別なサイトやページで補塡し、並べ方も一部で変更した。
ログワ(ロソウ:魯桑) Morus lhou (中国原産で、栽培種でもある)
ヤマグワ Morus australis (後に詳述される)
ハマグワ (浜桑) Morus australis f. maritima(ヤマグワの品種)
ナガミグワ(長実桑) Morus laevigata
ケグワ(毛桑) Morus tiliaefolia
オガサワラグワ(小笠原桑) Morus boninensis (小笠原諸島だけに分布する固有種)
テンジクグワ(天竺桑) Morus serrata (ヒマラヤから中国南西部原産。英名Himalayan mulberry(ヒマラヤン・マルベリー)
レッドマルベリー Morus rubra (北アメリカ東部から中央部に自生する)
マグワ(真桑) Morus alba (後述する)
クロミグワ(黒実桑) Morus nigra (後述する)
ブラックマルベリー/アフリカマルベリー(英名:black mulberry or African mulberry) Afromorus mesozygia :シノニム Morus mesozygia )
なお、以下、『登録品種としてポップベリー、ララベリーがある』とするが、この名の正式な基原種及び品種学名を探し得なかった。
以下、「ヤマグワ」の項。『日本全土に自生するヤマグワは、養蚕のために栽培される種であり、多数の栽培品種がある。中国から伝来したマグワとの雑種もあり、種はさまざまである。日本の養蚕では一之瀬(一瀬桑)という品種が普及した。この品種は、明治』三十一(一八九八)年頃、『山梨県西八代郡上野村川浦(現在の同県同郡市川三郷町)で一瀬益吉が、中巨摩郡忍村(現在の中央市)の桑苗業者から購入した桑苗』(品種名「鼠返し」)『のうちから、本来の鼠返しとは異った性状良好なる個体を発見し、これを原苗としたものである。このほか日本では、ノグワ(野桑)』(この和名は調べた限りでは、ヤマグワ・ケガワの異名である)、『オガサワラグワ(小笠原桑)、シマグワ(島桑)』(これは「林野庁」の「西表森林生態系保全センター」の同種のデータ(PDF)によれば、ヤマグワで、そこでは正式和名を「シマグワ」としている)『など、南西日本の分布に由来することから名づけられた種がある。シマグワは別名をリュウキュウグワ(琉球桑)ともいい、台湾の大部分に分布する系統に由来する。伊豆諸島に生育するクワ属もシマグワとして珍重される』。『中国には原産で栽培種でもあるマグワ(真桑)やロソウ(魯桑)があるほか、中国北東部・朝鮮北部・モンゴルにかけて分布するモウコグワ(蒙古桑)』(中文名「蒙桑」: Morus mongolica :モンゴル・中国原産)『や、その変種で』、『葉の両面に著しく毛が多いオニグワ(鬼桑)』(Morus mongolica var. diabolica )『とよばれる種がある』とあるが、現在の中文名は「山桑」であった(「維基百科」の「山桑」を参照)。これによって、「本草綱目」の「山桑」は、本邦のヤマグワと安易に同種とすることは出来ない可能性が非常に高くなったと言うべきである。『ヤマグワ(山桑、学名:Morus australis 』:シノニム『 Morus bombycis )は、クワ科クワ属の落葉高木。養蚕に使われるクワに対する、山野に自生するクワという意味でよばれている。中国植物名(漢名)は鶏桑(けいそう)という』(「維基百科」の同種のページ「小桑樹」で正式種中文名に「雞桑」とある)。『学名の一つである Morus bombycis は、カイコの学名である Bombyx に由来する。日本、南千島、樺太、朝鮮半島、中国、ベトナム、ミャンマー、ヒマラヤに分布する。日本では北海道から九州まで、各地の山野に自然分布する』。『自然の状態では樹高』十『メートル』、『幹径では』六十『センチメートル』『まで生長する』。『枝振りは』、『やや』、『まとまりがなく、横に広がる傾向がある。樹皮は茶褐色や灰褐色で、若い木は滑らかだが』、『後に縦方向に不規則な筋が入り裂ける。一年枝は褐色で』、『ほぼ無毛である。葉は長さ』八~二十センチメートル、『葉縁に鋸歯がある卵形や広卵形であるが』、一~三『裂して不整な裂片を持つものも多くあり、基部は円形あるいは浅い心形で、さまざまな形がある』。『開花期は』四~五『月。ほとんどが雌雄異株であるが、ときに雌雄同株。花は小さくて目立たず、花後』の六~七月『に』、『つく果実は』一センチメートル『ほどの集合果で「ドドメ」などとよばれており、はじめ赤色であるが』、『夏に熟すと黒紫色になり、食用にされる』。『完熟果実を食べると唇や舌が紫色に染まり、昔は子供たちのおやつによく食べていた』。『冬芽は卵形で褐色をしており、芽鱗の縁は色が淡い。枝先の仮頂芽と互生する側芽はほぼ同じ大きさである。葉痕は円形や半円形で、維管束痕は多数が輪状に並ぶ。冬芽や枝の樹皮はサルの冬の食糧で、かじり取られた跡が見られることがある』。『養蚕用に栽培されることも多い。日本では一般には養蚕には用いられていない種であるが、栽培桑の生育不良で飼料不足となるときに用いられた。霜害に強く、栽培桑が被害を受けたときに備えて』、『養蚕地帯では』、『霜害が』、『割合』『に少ない山地に植えて置き、栽培桑の緊急時の予備とした。しかし、ヤマグワの葉質は栽培桑よりも硬いため、カイコの成長が遅くなり、飼料としては性質は劣る。北海道では、栽培種のクワの生育が困難だったため、開拓初期に各地でさまざまな試行錯誤が行われ、ヤマグワを用いて養蚕が行われた時もあった』。『若芽や若葉を採取して、よく茹でてから水にさらして、おひたし、和え物、煮物などにして食べられる。黒紫色に熟した「桑の実」は、甘くて美味しいと評されていて、一度にたくさん採れるのでジャムをつくることもできる。焼酎を使った果実酒は、強壮薬としての作用があるといわれる』。
以下、「マグワ」の項。『マグワ(真桑)は養蚕に使われるクワで、名称はヤマグワに対するものである。別名をトウグワ(唐桑)ともいい、中国から朝鮮にかけての地域が原産である。中国植物名(漢名)は桑(そう)という。紀元前にインドや日本に伝わり、シルクロードを経て』十二『世紀にヨーロッパへと伝えられた』。
以下、「利用」の項。『カイコがクワの葉を食べて絹糸を作るので、養蚕などのため栽培され、挿し木で繁殖される。強い繊維質を持つことから、製紙の原料にもなっている。クワの果実はヤマグワやマルベリーなど、どの種類も食用に利用できる』。『薬用では、マグワ(漢名:桑)、ヤマグワ(漢名:鶏桑)が使われる。根皮はソウハクヒ(桑白皮)とも呼ばれ成分本質』『が専ら医薬品に指定されている。葉・花・実(集合果)は「非医」扱い。有効成分として、葉にはペクチン、干した葉には蛋白質、フラクトース、グルコース、ペントザン、ガラクトンや、鉄、マンガンなどのミネラル類、葉緑素などが含まれている。果実には、転化糖、リンゴ酸、コハク酸、色素のシアニジン(アントシアニンの』一『種)、ビタミンA・』B1『・C、イソクエルシトリンなどを含む。また漢方で利用される根皮には、アデニン、ベタイン、アミリン、シトステロールなどを含んでいる』。『クワの根皮は桑白皮(そうはくひ)、葉は桑葉(そうよう)、枝は桑枝(そうし)、果実は椹(たん)または桑椹(そうじん)、もしくは桑椹子(そうしんし)という生薬である。桑白皮は、秋から冬にかけて根を掘り採って水洗いし、外皮を剥いで白い部分だけを刻み、天日干しをして調整される。葉は晩秋の霜が降った後に、枝は初夏に採集して天日乾燥させ調製する。果実と葉は乾燥させて調製されるが、生も用いられる』。『利尿、鎮咳、去痰、消炎、強壮などの作用があり、漢方では桑白皮を鎮咳、去痰に配剤され、五虎湯(ごことう)、清肺湯(せいはいとう)などの漢方方剤に使われる。民間では、根皮は咳、喘息、むくみ、高血圧予防目的や強壮。葉は咳、めまい、ふらつき、頭痛、病後の体力回復、滋養強壮、低血圧の補血。枝は関節痛、むくみ。果実は倦怠疲労、不眠、かすみ目、便秘に用いられる。民間療法で』も『服用する用法が知られる。煎汁の服用法では、ほてりや熱があるときなどに用いられるが、胃腸が冷えやすい人へは使用禁忌とされている』。『多少』、『未熟で紅紫色の果実を桑椹(そうじん)といって』、『焼酎』『に』『漬け込んで、冷暗所に』三ヶ『月ほど保存して桑椹酒を作り、低血圧、冷え症、不眠症などの滋養目的に、就寝前に』『飲まれる。同様に、果実と根皮を』『焼酎に漬けたもの』も『飲まれる』。『民間では、乾燥葉を茶の代用品とする、いわゆる「桑茶」が飲まれていた地域もあり、中風の予防にする。桑茶にするクワの葉は、大きく生長した葉を収穫して天日で乾燥し、揉み潰して堅い部分を除いて』、『すり鉢などで細かくすり潰したものを、抹茶のように湯を注いで飲む。効能として、便秘改善、肝機能強化、脂肪の抑制、糖尿病予防などの研究報告もされている』。『桑葉には1-デオキシノジリマイシン(1-deoxynojirimycin; DNJ)が含まれていることが近年の研究で明らかになった。DNJ はブドウ糖の類似物質(アザ糖類の一種、イミノ糖)であり、小腸において糖分解酵素のα-グルコシダーゼに結合することで』、『その活性を阻害する。その結果、スクロースやマルトースの分解効率が低下し、血糖値の上昇が抑制されるなどの効果がラットを対象にした動物実験で報告されている。クワを食餌とする蚕のフンを乾燥させたもの(漢方薬である蚕砂)も同様の効果がある』。『春に枝先の開いたばかりの若芽や、まだ緑色が濃くならないうちの若葉は、軟らかいうちに摘み取って食べられる。摘んだ若葉は生で天ぷらや掻き揚げにしたり、さっと茹でて水にさらし、おひたしや和え物、汁の実、塩味をつけて炊いた米飯に混ぜたクワ飯などにして食べられる。食味は淡泊で美味と評されている。乾燥してお茶代わりに飲むクワ茶にもできる』。『キイチゴの実を細長くしたような姿で、赤黒く熟した果実は、「桑の実」「どどめ」「マルベリー (Mulberry)」「クワグミ」とよばれ、生のまま食用にしたり、桑酒として果実酒の原料、シロップ漬け、ジュースの材料となる。赤黒く熟した果実は、ジャムにすると芳香と甘みに優れている。カフカス地方やアルメニア産のクロミノクワや、アメリカ産のアカミノクワは、いずれも生食用にしたり』、『加工してジャムなどに利用する』。『その果実は甘酸っぱく、美味であり、高い抗酸化作用で知られる色素・アントシアニンをはじめとする、ポリフェノールを多く含有する。蛾の幼虫が好み、その体毛が抜け落ちて付着するので食する際には十分な水洗いを行う必要がある』(私は幼少期、藤沢市になる裏山で、野イチゴに次いで、しばしば採って食べた。何かが舌にいらいらしたものだったが、実の間の毛みたいなものが引っ掛かるのだと思って、あの美味さには負け、一杯、食べたものだったが、ウヘエ! 毛虫の毛カイ! アジャパー!!……あの頃の家の周辺は、しかし、ヤマノイモやアケビ、ノビルにセリが自生して豊穣だったなぁ……)。『また、非常食として桑の実を乾燥させた粉末を食べたり、水に晒した成熟前の実をご飯に炊き込むことも行われてきた。なお、クワの果実は、キイチゴのような粒の集まった形を表す語としても用いられる。発生学では動物の初期胚に桑実胚、藻類にクワノミモ(パンドリナ』( Pandorina は細胞群体を作る鞭毛藻類の一種群である、緑色植物亜界緑藻植物門緑藻綱ボルボックス目ボルボックス科パンドリナ属 Pandorina )細胞が互いに密接にくっついているのが特徴)『)などの例がある』。『養蚕の歴史は古く、中国では紀元前』三千『年ごろ、日本では弥生時代中期から始められたと考えられている』。『桑を栽培する桑畑は地図記号にもなり、日本中で良く見られる風景であった。養蚕業が最盛期であった昭和初期には、桑畑の面積は全国の畑地面積の』四『分の』一『に当たる』七十一『万ヘクタールに達したという。しかし、生産者の高齢化、後継者難により生糸産業が衰退した。そのため、桑畑も減少し』、二〇一三『年の』二万五千分の一『地形図図式において桑畑の地図記号は廃止となった。新版地形図やWeb地図の地理院地図では、同時に廃止された「その他の樹木畑」と同様、畑の地図記号で表現されている』。以下、「木材としてのクワ」。『クワの木質はかなり硬く、磨くと深い黄色を呈して美しいので、しばしば工芸用に使われる。しかし、銘木として使われる良材は極めて少ない。特に良材とされるのが、伊豆諸島の御蔵島や三宅島で産出される「島桑」であり、緻密な年輪と美しい木目と粘りのあることで知られる。江戸時代から江戸指物に重用され、老人に贈る杖の素材として用いられた。国産材の中では最高級材に属する。小笠原諸島の母島には、島の固有種であるオガサワラグワの大木が点在していた。だが銘木として乱伐され、現在ではほとんど失われている』。『また』、『古くから弦楽器の材料として珍重された。正倉院にはクワ製の楽琵琶や阮咸が保存されており、薩摩琵琶や筑前琵琶もクワ製のものが良いとされる。三味線もクワで作られることがあり、特に小唄では音色が柔らかいとして愛用されたが、広い会場には向かないとされる』。『なお、幕末には桑の樹皮より綿を作る製法を江戸幕府に届け出たものがおり』、文久元(一八六一)『年には幕府から』、『これを奨励する命令が出されているが、普及しなかったようである。桑の樹皮から繊維(スフ)』(植物体の中に含まれる繊維素を取り出して化学薬品で一度溶解した後に繊維状に再生した化学人造短繊維であるビスコース・レーヨン(Viscose rayon)であるステープル・ファイバー(staple fiber)の和製似非英語)『を得る取り組みは、第二次世界大戦による民需物資の欠乏が顕著となり始める』『昭和一七(一九四二)年頃『より戦時体制の一環として行われるようになり、学童疎開中の者も含め』、『全国各地の児童を動員しての桑の皮集めが行われた。最初』、『民需被服のみであった桑の皮製衣服の普及は、最終的に』昭和二〇(一九四五)年頃『には日本兵の軍服にまで及んだが、肌触りに難があったことから』、『終戦とともにその利用は廃れた』。『現在の中国新疆ウイグル自治区にあるホータン周辺の地域では、ウイグル人の手工業によって現在も桑の皮を原料とした紙(桑皮紙)の製造が行われている。伝承では、蔡倫よりも古く』、二千『年以上の製紙歴史があると言われているが、すでに宋の時代『(十二世紀頃)、『和田の桑皮紙は西遼の公文書などで使用されていた。新疆では、清及び民国期の近代に至るまで、紙幣や公文書、契約書などの重要書類に桑皮紙が広く使用されていた』。『中国の元王朝では、紙幣である交鈔』(こうしょう:金王朝と元王朝の時代に発行された紙幣の呼称)『の素材としてクワの樹皮が用いられた。中国広西チワン族自治区来賓市などでは、養蚕に使うために切り落とすクワの枝を回収して、製紙原料にすることが実用化されている。新たに年産』二十『万トンの工場建設も予定されている』。『カイコガとその祖先とされるクワコ以外にもクワを食草とするガの幼虫がおり、クワエダシャク、クワノメイガ、アメリカシロヒトリ、セスジヒトリなどが代表的。クワエダシャクの幼虫はクワの枝に擬態し、枝と見間違えて、土瓶を掛けようとすると落ちて割れるため「土瓶割り」という俗称がある。クワシントメタマバエもクワの木によく見られる。カミキリムシには幼虫がクワの生木を食害する種が極めて多く、クワカミキリ、センノカミキリ、トラフカミキリ、キボシカミキリ、ゴマダラカミキリなどが代表的である。これらのカミキリムシは農林業害虫として林業試験場の研究対象となっており、実験用の個体を大量飼育するため、クワの葉や材を原料としソーセージ状に加工された人工飼料も開発されている。なお、オニホソコバネカミキリも幼虫がクワの材を専食するカミキリムシであるが、摂食するのが農林業に利用されない巨大な古木の枯死腐朽部であるため』、『害虫とは見なされていない』(蛾の学名は面倒なので示さない)。『養蚕の普及とともにクワの栽培も広がりを見せたが、春一番目に発芽した葉は遅霜の被害に遭いやすかった。長野県では』大正一三(一九二四)年には百三万円、昭和二(一九二七)年には一千万円とも『見積もられる被害を出している。霜害に遭うと葉は黒く変色して』しまい、『養蚕には使用できなくなるので二番目の発芽を待つしかなく、春蚕の生産に大きな影響を与えた』。また、『古代バビロニアにおいて、桑の実はもともとは白い実だけとされるが、赤い実と紫の実を付けるのは、ギリシャ神話の』「ピュラモスとティスベ」という『悲恋による』、『この二人の赤い血が、白いその実を染め、ピュラモスの血が直接かかり』、『赤となり、ティスベの血を桑の木が大地から吸い上げて紫になったとされている』。『桑の弓、桑弓(そうきゅう)ともいい、男の子が生まれた時に前途の厄を払うため、家の四方に向かって桑の弓で蓬の矢を射た。起源は古代中華文明圏による男子の立身出世を願った通過儀礼で、日本に伝わって男子の厄除けの神事となった。桑の弓は桑の木で作った弓、蓬の矢は蓬の葉で羽を矧』は『いだ』『矢』がそれであった。さらに、『養蚕発祥の地、中国においてはクワは聖なる木だった』。幻想『地理書』である「山海経」において』、十『個の太陽が昇ってくる扶桑という神木があったが、羿(げい)という』伝説の名『射手が』九『個を射抜き』、『昇る太陽の数』を一『個にしたため、天が安らぎ、地も喜んだと書き残されている。太陽の運行に関わり、世界樹的な役目を担っていた。詩書』「詩經」に『おいてもクワはたびたび題材となり、クワ摘みにおいて男女のおおらかな恋が歌われた。小説』「三國志演義」では、かの猛将『劉備の生家の東南に大きな桑の木が枝葉を繁らせていたと描かれている』。『日本においてもクワは霊力があるとみなされ、特に前述の薬効を備えていたことからカイコとともに普及した。古代日本ではクワは箸や杖という形で中風を防ぐとされ、鎌倉時代』の栄西の書いた「喫茶養生記」には、「桑は、是れ、又、仙藥の上首」と、『もてはやされている』。古くからの成語として、「桑原、桑原。」があり、これは、『雷』除けの『まじないとして広く使われた言葉であるが、最も知られている由来は』、『桑原村の井戸に雷が落ち、蓋をしたところ』、『雷が「もう桑原に落ちないから逃がしてくれ」と約束したためという説があり、これにはクワ自体は関わりがない。しかし、諸説の中には宮崎県福島村でクワの上に雷が落ち、雷がけがをしたので落ちないようになったという説、沖縄県では雷がクワのまたに挟まれて消えたため』、『雷鳴の折には「桑木のまた」と唱えるようになったという説もある』。「ことわざ・慣用句」の項。「滄桑の変」は、『桑田滄海ともいい、クワ畑がいつのまにか海に変わるような天地の激しい流転の意』で、西晋・東晋時代の葛洪の著したと伝えられる「神仙傳」『が出典であり、仙女の麻姑』(まこ)『が』五百『年間の変化として話した内容から生まれた。月日の流れの無常を示す言葉として、唐代の劉廷芝の詩にも使われている』。「蓬矢桑弓(ほうしそうきゅう)」は、『もともとは上記にある中華・日本においての男子の祭事や神事であるが、払い清めをあらわす言葉の比喩として万葉集や古事記にも用いられ、「蓬矢」・「桑弓」それぞれ単独でも同じ意味を持つ』。「桑中之喜(そうちゅうのき/そうちゅうのよろこび)」は、『畑の中で男女がひそかに会う楽しみのこと。中国では、桑畑の中や桑の木を目印としてその下で逢引をしていたと言われ』、「詩経」の「鄘風」(ヨウフウ)には、『桑畑で美女を待つ「桑中」という詩が記載されている。永井荷風の随筆にも、色事について書いた「桑中喜語」がある』とある。なお、ウィキには、独立項の「マグワ」と、「ヤマグワ」、及び、「クロミグワ」等が、より詳細に書かれてあるが、前記引用とダブるところがあるので、引用しない。各人で見られたい。
本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十六」の「木之三」「灌木類」(「漢籍リポジトリ」)の冒頭の「桑」(リンク先の最終項)の長い記載を、腑分けするように、テツテ的にバラバラにして、強引に継ぎ接ぎしている。中には、繋ぎ方が悪くて、実際に綴られていることとは、ちょっと違う箇所が複数あるが、特に致命的ではないので、特に指示はしない。御自分で見られたい。
『子《み》を「椹《じん》」と名づく』「廣漢和辭典」によれば、大項目「一」の『①あてぎ。木などを切り割るとき、下にあてる台。また、首切り台。』とし、『②まと』=「的」、『③きぬた。⇒砧・碪』とした後、大項目「二」で、『①桑の実。⇒葚』とあった。なお、以下、『②木に生えるきのこ』とあり、更に国字として、『木の名。さわら。』(裸子植物亜門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科 ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera )とある。
「箕星《きせい/みぼし》」二十八宿の一つである、箕宿(きしゅく)。現行では、「射手座」の東半分の四星 (ζ(ゼータ)・τ(タウ)・σ(シグマ)・φ(ファイ))。南斗六星の頭部の方形を箕の形に見立てた和名。但し、地域により、北斗七星の四角形を指す場合もあり、一定しない。
「蠶(かいこ)」当該ウィキによれば、『養蚕は少なくとも』五千『年の歴史を持つ』。『中国の伝説によれば』、『黄帝の后』である『西陵氏が、庭で繭を作る昆虫を見つけ、黄帝にねだって飼い始めたと言われる』とあり、『東晋時代の』四『世紀』『に書かれたとされる』とし、終わりの方の「中国」の項に、干宝が著した志怪小説集「搜神記」の「卷十四」には、『次のような話がある』。『その昔、ある男が娘と飼い馬を置いて遠くに旅に出る事になった。しばらく経っても父親が帰ってこない事を心配した娘は馬に向かって冗談半分で「もし、お前が父上を連れて帰ったら、私はあなたのお嫁さんになりましょう」と言った。すると、馬は家を飛び出して父親を探し当てて連れ帰ってきた。ところが馬の様子がおかしい事に気付いた父親が娘に問いただしたところ』、『事情を知って激怒し、馬をその場で射殺してしまった。その後、父親は馬の皮を剥いで毛皮にするために庭に放置して置いた。そんなある日、娘は庭で馬の皮を蹴りながら「動物の分際で人間を妻にしようなどと考えるから、このような目にあうのよ」と嘲笑した。すると、娘の足が馬の皮に癒着してそのまま皮全体で娘の全身を覆いつくした。身動きが取れなくなった娘は転倒してそのまま転がりだして姿を消してしまった。これを見た父親が必死に探したものの、数日後に見つけたときには』、『馬の皮は中にいた娘ごと一匹の巨大なカイコに変化していたという』(引用元には、まことしやかに「馬頭娘」という題名みたようなものが丸括弧に入って、この最後にあるが、「搜神記」は私の愛読書であるが、同書の各篇には、標題は存在しないし、本文中にも「馬頭娘」等という文字列は、ない。これは、北宋初期(九七七年~九八四年)に成立した「太平廣記」に引かれた中唐以前に書かれたと推定される「原化傳拾遺」(不詳。ある論文では中唐に成立した小説集「原化傳」よりも遙かに古形の話であり、「原化傳」とは縁も所縁もないとしてあった)の「昆蟲七」の「蠶女」がそれ。二篇ともに後に原文を示しておく)。『この話をモチーフとしたと思われる伝説は日本国内にも伝わっており、柳田國男の』「遠野物語」にも』、「おしら様信仰」『にからんで』、『類似した話が載せられている』。但し、『中国におけるストーリーとは異なり、娘は馬と恋愛関係となり、殺された馬の首に縋りつくなど』、『娘と馬の関係が異なっている』とする(これは、私の『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 六九~七一 「おひで」ばあさまの話(オシラサマ他)』の「六九」を見られたい。確かに、これは以下に示す「搜神記」に似ている部分が多々あるが、そこの注で書いた通り、私は、「搜神記」を元にした翻案伝承であるとは考えていない。謂わば、たまたま偶然に生じた民話の平行進化である考えている)。まず、「搜神記」の「第十四卷」の当該原文を「中國哲學書電子化計劃」のこれを参考に、一部の漢字を正字化し、コンマを読点に代え、記号・改行・段落も加えて示す。
*
舊說、太古之時、有大人遠征、家無餘人、唯有一女。
牡馬一匹、女親養之。窮居幽處、思念其父、乃、戲馬曰、
「爾能爲我迎得父還、吾將嫁汝。」
馬既承此言、乃、絕韁而去。
逕至父所。父見馬、驚喜、因取而乘之。馬望所自來、悲鳴不已。
父曰、
「此馬無事如此、我家得無有故乎。」
亟乘以歸。
爲畜生有非常之情、故厚加芻養。
馬不肯食、每見女出入、輒喜怒奮擊。
如此非一。
父怪之、密以問女、女具以告父、
「必爲是故。」
父曰、
「勿言。恐辱家門。且莫出入。」
於是伏弩射殺之。暴皮於庭。
父行、女以鄰女於皮所戲、以足蹙之曰、
「汝是畜生、而欲取人爲婦耶。招此屠剝、如何自苦。」
言未及竟、馬皮蹷然而起、卷女以行。
鄰女忙怕、不敢救之、走告其父。
父還求索、已出失之。
後經數日、得於大樹枝間、女及馬皮、盡化爲蠶、而績於樹上。
其蠒[やぶちゃん注:「繭」と同義。]綸理厚大、異於常蠶。鄰婦取而養之。其收數倍。因名其樹曰「桑」。
「桑」者、「喪」也。
由斯百姓競種之、今世所養是也。言桑蠶者、是古蠶之餘類也。
案「天官」、『辰、爲馬星。』、「蠶書」曰、『月當大火、則浴其種。』。是蠶與馬同氣也。「周禮」、『敎人職掌、票原蠶者。」注云、「物莫能兩大、禁原蠶者、爲其傷馬也。」。漢禮、皇后親採桑祀蠶神、曰、「菀窳婦人」・「寓氏公主」。公主者、女之尊稱也。菀窳婦人、先蠶者也。故今世或謂蠶爲女兒者、是古之遺言也。
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干宝の評言部が、素人には判り難いので、東洋文庫版(竹田晃氏訳・昭和三九(一九六四)年初版)より引用する。
《引用開始》
『天官』を調べてみると、
「辰星は馬である」
とあり、また『蚕書』には、
「月がちょうど大火星のところに来たときに、蚕の卵を川の水で洗う」
とある。これは蚕と馬が同じ気からできているためである。また『周礼』には人の職業を述べているところで、
「一年に二度繭をつくる蚕を飼うことを禁止する」
とあり、注によれば、
「およそ二つの物がそろって大きくなるということはあり得ない。年に二度繭をつくる蚕を禁じたのは、それが馬を害するからである」
という。また漢代の礼制によれば、皇后が手ずから桑の葉を摘んで蚕神を祀ったということである。そして蚕神の名は、「菀窳(えんゆ)[やぶちゃん注:歴史的仮名遣は「ゑんゆ」。]婦人」とか「富氏公主」とよんだ。公主とは婦人に対する尊称である。菀窳婦人は蚕の先祖である。だから今日でも、蚕を娘と呼んでいる人もあるが、これは昔から伝えられている呼びかたなのである。
《引用終了》
後に、以下の竹田氏の注がある。判り切った一つを外して、総てを示す。
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・『『天官』 天文に関する書。史記の天官書とも考えられる。天官書にはこのとおりの記述はないが、「辰星が天馬と呼ばれる」という句がある。』。
・『辰星 星の名、二十八宿の一。房宿とも呼ばれる。蒼竜の形をしている。竜は天天馬であるから、「辰星は馬」ということになる。なお辰星は農業の季節をつくると考えられていた』。
・『『蚕書』 養蚕に関する書。現在は伝わっていない。』。
・『大火星 辰星のなかの星。アンタレス星。』。
・『蚕と馬が…… 蚕は別名竜精と呼ばれるように、馬と同じ気から発生したと考えられていた。』。
・『一年に…… 『周礼』夏官・馬質の項に見える。注の意味は、蚕だけが大きくなると、同じ気から生じた馬が弱るというのである。』。
・『漢代の…… このことは『後漢書』礼儀志に見える。』。
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次に、「太平廣記」の「蠶女」。同じく「中國哲學書電子化計劃」のこれで、同じ仕儀で手を加えた。
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蠶女
蠶女者、當高辛帝時、蜀地未立君長、無所統攝。其人聚族而居、遞相侵噬。蠶女舊跡、今在廣漢、不知其姓氏。
其父爲隣邦掠【「邦掠」原作「所操」、據明鈔本改。】去、已逾年、唯所乘之馬猶在。
女念父隔絕、或廢飮食、其母慰撫之。因告誓於衆曰。
「有得父還者、以此女嫁之。」
部下之人、唯聞其誓、無能致父歸者。
馬聞其言、驚躍振迅、絕其拘絆而去。
數日、父乃乘馬歸。自此馬嘶鳴。不肯飮齕。
父問其故。
母以誓衆之言白之。
父曰、
「誓於人、不誓於馬。安有配人而偶非類乎。能脫我於難、功亦大矣。所誓之言、不可行也。」
馬愈跑、父怒、射殺之、曝其皮於庭。
女行過其側、馬皮蹶然而起、卷女飛去。
旬日、皮復栖於桑樹之上。
女化爲蠶、食桑葉、吐絲成繭、以衣被於人間。
父母悔恨、念之不已。
忽見蠶女、乘流雲、駕此馬、侍衞數十人、自天而下。謂父母曰、
「太上以我孝能致身、心不忘義、授以九宮仙殯之任、長生于天矣、無復憶念也。」
乃沖虛而去。
今家在什邡綿竹德陽三縣界。每歲祈蠶者、四方雲集、皆獲靈應。宮觀諸化、塑女子之像、披馬皮、謂之馬頭娘、以祈蠶桑焉。稽聖賦曰、
「安有女【「集仙錄」六「安有女」作「爰有女人」】。感彼死馬、化爲蠶蟲、衣被天下是也。」【出「原化傳拾遺」】。
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なお、以上の訳はウィキの「蚕馬」(さんば)にもあり、かなり不全だが、現代語訳もある。
本篇の「本草綱目」の引用は、「卷三十六」の「木之三」「灌木類」(「漢籍リポジトリ」)の冒頭のかなり長い「桑」を、ズタズタに切り張りしたものである。
「白桑」クワ属マグワ Morus alba 。真桑。中文名「白桑」(「維基百科」のこちらを参照)。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『成長が早いクワの一種で』、十~二十メートル『の高さまで成長する。ヒト程度の比較的短寿命の木であるが』、二百五十『歳を超える個体もいくつか知られている。中』『国中央部に自生し、アメリカ合衆国、メキシコ、オーストラリア、キルギスタン、アルゼンチン、トルコ、イラン、インド、その他多くの国で栽培されたものが帰化している』。『絹の商業生産に必要なカイコを飼育するために、広く栽培されている。また、音速の半分という速さで花粉を射出することでも知られている。果実は、熟すと食用になる』。『若木では、葉の大きさは最大』三十センチメートル『の長さになり、深く複雑な裂片を持つ丸い形である。古い木では、葉の大きさは』五~十五センチメートル『で、裂片はなく、根元の部分はハート形であり、先端は丸か尖っており、葉縁は鋸歯状である。通常は温帯では落葉性であるが、熱帯では常緑のものもある』。『花は単性で尾状花序であり、雄花は』二~三・五センチメートル、『雌花は』一~二センチメートル『の長さである。通常、雄花と雌花は別の木に生じるが』、一『本の木に両性の花が生じることもある。果実は、長さ』一~一・五センチメートル『である。野生のものは深紫色でるが、栽培されたものでは、多くは白色から桃色になる。味は甘いが、強い風味を持つレッドマルベリーやクロミグワとは異なり、風味は弱い。果実を食べた鳥等により、種子は広い範囲に運ばれる』。『科学的には、尾状花序から花粉を放出する際を含め、RPM』(Rapid plant movement:植物に於ける急速運動)『の事例として有名である。雄蕊がカタパルトとして働き』二十五『マイクロ秒の間に蓄えた弾性エネルギーを放出する。その結果、動きの速さは音速の約半分』の毎時六百十キロメートル『に達し、植物界の既知の運動の中で、最も速いものとなっている』。『中国では』四千七百『年以上前から、カイコの飼育のためにマグワを栽培してきた。古代ギリシアや古代ローマでもカイコの飼育のために栽培された。少なくとも』二百二十『年には、ローマ帝国皇帝ヘリオガバルスは絹のローブを着用していた』。十二『世紀にはヨーロッパの他の国にも伝わり』、十五『世紀にスペイン帝国に征服された後には、ラテンアメリカにも導入された』。二〇〇二『年には、中国国内において』六千二百六十平方キロメートルが、『この種のために用いられていた』。『インド亜大陸西部からアフガニスタン、イランを経て南ヨーロッパに至る広い範囲で』、一千『年以上にわたり、カイコの飼育のために栽培されてきた』。『最近では、北アメリカの多くの都市部に加えて、道端や植林地の端等の荒れた土地でも広く帰化しており、原生するレッドマルベリーと交雑している。いくつかの地域では広範な交雑が起きており、レッドマルベリーの長期的な遺伝的生存が危惧されている』。『標高』四千メートル『まで生存でき、温帯の他、亜寒帯地域においても栽培されて広く帰化している。貧土壌にも耐えることができるが、弱酸性で水はけが良い砂質または粘土質のローム土を好む』。『葉は、カイコが好む餌として用いられる他、乾期の植物が少ない地域では、ウシやヤギ等の家畜の餌としても用いられる。大韓民国では、桑の葉茶(ポンイプチャ)が作られる。実も食用となり、しばしば乾燥させたり』、『ワインが作られる』。『アメリカ合衆国では、造園用途で、絹生産のためのマグワからのクローンとして、果実をつけないマグワが開発されている。果実なしで木陰を作ってくれる鑑賞樹として用いられている』。品種『シダレグワ( Morus alba f. pendula )は、鑑賞樹として人気が高い』。一八〇〇『年代末から』一九〇〇『年代初めにかけて、デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道のニュージャージー州内のいくつかの大きな駅では、この植物が植えられた。影ができることと』、『甘い実を付けることから、アメリカ合衆国南西部の砂漠都市では、芝生に植えられる木として人気があった。一方、花粉に悩まされる都市も多く、花粉症を増やしたとして非難もされた』。『クワノンG、モラシンM、ステポゲニン-4'-O-β-D-グルコシド、マルベロシドA等の様々な抽出成分が広範な薬効を持つと言われている。マグワから抽出されるシアニジン-3-O-β-D-グルコピラノシド』、『及び』、『サンゲノンGは、動物モデルにおいて、中枢神経系に対するいくつかの効果が実験されているが、まだその効果を確認する臨床試験が必要である』。『生理活性物質としてアルカロイドやフラボノイドを含み、伝統中国医学でも用いられている。研究により、これらの化合物は高コレステロール、肥満、ストレス等を減らす効果を持つことが示唆されている』とあった。
「雞桑」 Morus australis 。「維基百科」のこちらによれば、日本には分布しない。別名を『小葉桑(河南)』(=小桑樹)『・山桑(「爾雅」)・島桑とも呼ばれる』。『高さ』十五『メートルまでの落葉低木または小高木。葉は楕円形で互生し、葉縁には粗い鋸歯があり、葉の表面はやや粗く、雌花には小さな柄がなく、花柱は柱頭より長く、果実は熟すると暗紫色になる』。『ブータン・インド・スリランカ・北朝鮮・ネパール・中国(浙江省・河南省・チベット自治区・雲南省・遼寧省・広東省・江西省・陝西省・山東省・四川省・湖南省・広西チワン族自治区・湖北省・河北省・福建省)に分布し、安徽省・甘粛省・貴州省等や、中華民国では、標高五百メートルから一千メートルの地域によく生育しており、石灰岩の山地や林縁・荒地などに生育する。人工的に導入され、栽培されてもいる』とあった。
「子桑」 Morus australis 。「維基百科」のこちらによれば、正式な中文名は「雞桑」(「雞」=「鷄」)のようである。『小葉桑(河南)・山桑(「爾雅」)・島桑とも呼ばれ』、『高さ十五メートルまで』。『葉は楕円形で互生し、葉縁には粗い鋸歯があり、葉の表面は』、『やや粗く、雌花には小さな柄がなく、花柱は柱頭より長く、果実は熟すると暗紫色になる』。『ブータン・インド・スリランカ・北朝鮮・ネパール・中国(浙江省・河南省・チベット自治区・雲南省・遼寧省・広東省・江西省・陝西省・山東省・四川省・湖南省・広西チワン族自治区・湖北省・河北省・福建省)に分布、安徽省、甘粛省、貴州省など)や、中華民国では、標高五百メートルから一千メートルの地域によく生育しており、石灰岩の山地や林縁、荒地などに生育する。人工的に導入され、栽培されている』とある。
「女桑」これは、クワ属ではない。調べたところ、「維基百科」では検索に掛らないし、何より、「新木場 吉田商店」の公式サイト「のうがき」の「材木の名前」のこちらに、『先日御贔屓にして下さるお客さんから「メクワって木、しってる?漢字で書くと女桑。」と、問い合わせがありました』、『自分:「・・・知らない」。「桑」なら知ってるんですけど、「メクワ?」』。『インターネットで検索をかけてみました』。『材木屋関係のサイトでこれを解説してあるところは無く、木材図鑑のサイトで見つけました』。『検索結果:「メグワ」=雌桑、女桑。着色して桑材の代用として使われる事があり、その場合本桑と区別される』。『これは黄肌「キハダ」の解説文の中の一節でした。つまり、本当は「キハダ」に色を付け桑に見せ掛けてるって事』。『なぁんだ、「きはだ」なら知ってるのに』…『「メグワ」なんて言わないで』、『初めから「きはだ」って言えばいいのに。ちゃんと「きはだ」は「黄肌」で通用してるのに。材木屋でさえ』、『この状態。一般の方なら分からなくて当たり前です』とあったからである。則ち、「女桑」は、
ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ変種キハダ Phellodendron amurense var. amurense
の木材関係者の間で用いられてきた通称であった。
ウィキの「キハダ(植物)」を引いておく(注記号はカットした)。『黄蘗は』『落葉高木。山地に生える。外樹皮を剥がすと見える内樹皮が』(☞)『黄色いのが特徴で、和名の由来となっている。この内樹皮は薬用にされ、オウバクという生薬になる』。『和名は、樹皮の表皮と内部の木質部との間にある内皮が、鮮やかな黄色であることから、「黄色い肌」の意に由来する。別名は、シコロ、シコロベ、オウバク(黄檗)、キハダが転訛してキワダのほか、内皮に苦味があることからニガキともよばれている。米倉浩司・梶田忠(2003-)「BG Plants 和名-学名インデックス」(YList)』(ここ:私もよくお世話になるサイトである)『によれば、ヒロハノキハダ、エゾキハダ、アムールキハダ、ミヤマキハダはキハダの別名とされる』。『中国植物名(漢名)は、黃蘗/黄柏(おうばく)という』。『アジア東北部の台湾、朝鮮半島、中国の河北省から雲南省にかけて、またヒマラヤの山地に自生しており、日本では北海道(渡島半島・後志・胆振・日高・石狩)・本州・四国・九州・琉球に分布する。山地に生え、沢沿いに多い』。『落葉高木で雌雄異株。樹高は』十~二十五『メートル』、『目通り直径』三十『センチメートル』『程度になる。樹皮はコルク質で、成木の外樹皮は淡褐灰色から暗褐色で、縦に深い溝ができ、内樹皮は濃鮮黄色で厚い。若い樹皮はサクラに似ていて、赤褐色で滑らか、無毛である』。『葉は、対生葉序で奇数羽状複葉、長さは』二十~四十五センチメートル『ある。小葉は』五~十三『枚で、長さ』五~十センチメートル『の長楕円形、裏は白っぽく、葉縁は波状になる。春に冬芽から芽吹き、展開した後から花序も出てくる』。『花期は』五~七『月。雌雄異株。本年生の枝先に円錐花序を出して、黄緑色の小さな花を多数つける。果期は』十『月。果実は核果で、直径』十『ミリメートル』『ほどの球形で緑色から黒く熟する。核は、柿の種のような形をしている。冬でも黒く熟した果実が雌株によく残っている』。『冬芽は半球形の鱗芽で褐色をしており、落葉するまで葉柄基部に包まれている葉柄内芽である。芽鱗は』二『枚で、毛が密生する。枝先には仮頂芽を』二『個つけ、側芽は枝に対生する。冬芽を囲む大きな馬蹄形やU字形の葉痕が目立ち、維管束痕が』三『個』、『つく』。『カラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハの幼虫が好む食草である』。『樹皮からコルク質を取り除いて乾燥させたものは、生薬の黄檗(おうばく、黄柏)として知られ、薬用のほか染料の材料としても用いられる。蜜源植物としても利用される』。『樹皮からコルク質・外樹皮を取り除いて乾燥させると』、『生薬の黄柏(おうばく)となり』、十二~二十『年で採取できるようになる。樹皮が厚いほど良品とされる。夏の』頃(六~七月)、『樹液流動の盛んな時期に根際から切り倒して枝を払い、幹や枝の太い部分を』一『メートル間隔に輪状と縦傷をつけて切れ目を入れ、傷口にくさびを差し込んで樹皮をはぎ取り、外皮を除いて内皮の鮮黄色の部分を日干しして採取したものである』。『黄柏にはアルカロイドのベルベリン、パルマチン、マグノフィリンをはじめ、オバクノン、タンニン、粘液質などの薬用成分が含まれており、特にベルベリンは苦味成分と抗菌作用を持つといわれる。主に苦味健胃、整腸剤として、製薬原料として用いられ、陀羅尼助、百草などの薬に配合されている。また、黄連解毒湯や加味解毒湯などの漢方方剤に含まれる。粘液質やタンニンには収斂や消炎作用があり、打ち身や捻挫に外用される。日本薬局方においては、黄柏を粉末にしたものを「オウバク末」として薬局などで取り扱われており、本種と同属植物を黄柏の基原植物としている』。『民間療法では、胃炎、口内炎、急性腸炎、腹痛、下痢に、黄柏の粉末(オウバク末)』『を』『服用する』。『強い苦味のため』、嘗つては、『眠気覚ましとしても用いられたといわれている。妊婦や胃腸が冷える人への服用は禁忌とされる』。『このほか、打撲や捻挫、腰痛、関節リウマチなどに、中皮を粉末にして同量の小麦粉と合わせて酢でドロドロに練り、布やガーゼに塗って冷湿布にして患部に貼り、乾いたら』、『張り替える』。『アイヌは、熟した果実を香辛料として用いている』。『海外では、シナホオノキ』(支那朴の木:中文名「厚朴」:モクレン科モクレン属シナホウノキ Magnolia officinalis 。先行する「厚朴」を参照)『の抽出物と』、『キハダからの抽出物を合わせたサプリメント製品』『が販売され、コルチゾールを低下させるとの報告がある』。『キハダは、黄蘗色(きはだいろ)ともよばれる鮮やかな黄色の染料で、黄色に染め上げる以外に赤や緑色の下染めにも利用される。なかでも、紅花を用いた染物の下染めに用いられるのが代表的で、紅花特有の鮮紅色を一層引き立てるのに役立っている。なお、キハダは珍しい塩基性の染料で、酸性でないと』、『うまく染め上がらない。このため、キハダで下染めをした後は』、『洗浄を十分にする必要がある』。『虫食いを防ぐ効果を期待し、仏教経典用紙の染色にも使われた時代もある。現存する正倉院文書や薬師寺伝来の』「魚養經」『などは経年によって茶色く変色しているが、染めた直後は墨書された文字を映えさせる効果もある』。『キハダの心材も黄色がかっており、木目が明確であるため、家具材などに使用される』。但し、『軽量で軟らかいため、あまりにも強い荷重がかかる場所には向いていない。一部では』、『桑の代用材として使用されるが、その場合には桑との区別として「女桑」と表記される』とあった(最後の太字・下線は私が附した)。
「必ず、將《まさ》に稿(か)れんとす」必ず、枯死してしまう。
「構(かうぞ)」お馴染みの、バラ目クワ科コウゾ属コウゾ Broussonetia × kazinoki のこと。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『ヒメコウゾ』『 Broussonetia kazinoki 』『とカジノキ』『 B. papyrifera 』『の交雑種で』、『別名、カゾともよばれる。和紙の原料として栽培されている』。但し、『ヒメコウゾの別名をコウゾとする場合もある』。『コウゾは、ヒメコウゾとカジノキの雑種という説が有力視されている。本来、コウゾは繊維を取る目的で栽培されているもので、カジノキは山野に野生するものであるが、野生化したコウゾも多くある。古代においては、コウゾとカジノキは区別していない』。現在の植物学上は、『コウゾとカジノキは異なるものであり、コウゾに』「楮」『の字を用い、カジノキには』「梶」・「構」・「榖」の『字をあてているが、両者の識別は容易ではない。古代では、植物の名前も地方によって呼び名が異なり、混同や混乱が多い』。「本草綱目」や、本邦の「農業全書」『でも』、『両者の差は葉に切れ込みがあるものは楮(コウゾ)、ないものは構(=梶、カジノキ)」とするだけで、種別としては「楮」にまとめられている』(太字・下線は私が附した)とあった。
「龜甲を埋む時は、則ち、茂《しげりて》、盛《さかん》にして、蛀(むしい)らず」言わずもがなだが、呪的な風習に過ぎない。
「『桑寄生《さうきせい》』【「寓木類」を見よ。】」次の「卷第八十五 寓木類」の「桑寄生」。中近堂版で当該部を示しておく。これは、知られた寄生植物である、ビャクダン目ビャクダン科ヤドリギ属ヤドリギ Viscum album の一種。当該ウィキによれば、『日本でヤドリギといった場合、主に』『ヤドリギ Viscum album subsp. coloratum 』、又は、『 Viscum album subsp. coloratum f. lutescens『を指す』とし、「中国植物志」では、『別種 Viscum coloratum 』『として扱われる』とあった。
「喘滿《ぜんまん》」東洋文庫割注に、『(呼吸』が『切迫して窒息状態になること)』とある。
「寸白《すばく》」ヒト寄生性の条虫・回虫等を指す。
「天弔《ひきつけ》」読みは東洋文庫訳に従ったが、この漢字の文字列では、ネットでは見当たらない。「ひきつけ」は、通常は子どもの発作性痙攣を指す。
「驚癇」癲癇症状を指す語。
「客忤《かくご》」東洋文庫割注に、『(不意に怯(おび)えてひきつけをおこすこと)』とある。何かに神経症的に怯えたり、胸騒ぎがして強い不安症状を示すことを言う。
「瀉白散《しやはくさん》」サイト「KAKEN」に『漢方方剤「瀉白散」の宿主介在性抗インフルエンザウイルス作用と作用機序の解析』という研究課題名があった。その「キーワード」に『漢方薬/ 瀉白散/ 気道炎症/ インフルエンザ/ 好中球/ ケモカイン/ フラボノイド/ 東洋医学/ ウイルス/ 感染症/ 薬学/ 薬理学/ 肺炎/ ウィルス』とあった。漢方サイトを探しても、纏まった基原などの記載ページは見当たらなかったので、以上をリンクするに留める。
「肺虛」東洋文庫割注に、『(肺の気の不足や肺機能が虚であること)』とある。前の注と関連性が感ぜられる。
「小便の利《り》する者」小便がよく排尿される患者。
之れを用ふるに宜《よろし》からず。】。
「桑白皮を用ひて、線(いと)作《つくり》、金瘡《かなさう》の、腸(わた)、出《いづ》るを縫(ぬ)ひて、更に熱《あつき》雞《にはとり》≪の≫血《ち》を以つて、之を塗る」ちょっと、信じがたいなぁ。
「文武實《ぶんぶのみ》」不詳。黒・白の二種に当てたか。
「消渴《しやうかつ》」東洋文庫割注に、『(喉がかわき』、『小便の出の悪くなる病)』とあるが、漢方で「消渴」と言ったら、私の持病である糖尿病を指す。
「神䰟《しんこん》」東洋文庫訳では、『神鬼を安んじて』とあるが、意味が通じない。これは、「䰟」の誤判読であろう。これは「精神」の意である。だからこそ、「安《やす》んじ」と続くのだ。
「山がつのそのふの桑のくはまゆの出でやらぬ世は猶《なほ》ぞ悲しき」「衣笠内府」既出既注の「夫木和歌抄」に載る藤原家良(いえよし)の一首で、「巻二十九 雜十一」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「14090」)。「そのふ」は「園生」。植物を栽培する庭。
「古今醫統」既出既注だが、再掲しておくと、明の医家徐春甫(一五二〇年~一五九六)によって編纂された一種の以下百科事典。全百巻。「東邦大学」の「額田記念東邦大学資料室」公式サイト内のこちらによれば、『歴代の医聖の事跡の紹介からはじまり、漢方、鍼灸、易学、気学、薬物療法などを解説。巻末に疾病の予防や日常の養生法を述べている。分類された病名のもとに、病理、治療法、薬物処方という構成になっている』。『対象は、内科、外科、小児科、産婦人科、精神医学、眼科、耳鼻咽喉科、口腔・歯科など広範囲にわたる』とある。東洋文庫の割注によれば、『(通用諸方、花木類)』から、とする。
「勞熱」東洋文庫の割注によれば、『(熱の出る肺結核疾患)』とある。
「咳嗽《せきがい》」東洋文庫の割注によれば、『(痰(たん)のでるせき)』とある。
なお、本項は、始まって以来、最も注に時間がかかった。]
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