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2024/08/17

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注 始動 / 「巻三十六」「目録」・「御城内蚊柱嘉瑞」

[やぶちゃん注:「神威怪異竒談」の正規表現電子化注を始動する。所持する二〇〇三年国書刊行会刊『江戸怪異綺想文芸大系 第五巻』(高田衛監修・堤邦彦/杉本好伸編)の「近世民間異聞怪談集成」(二〇〇三年刊初版)に所収する同パート(土屋順子氏校訂)の土屋氏の「解題」に拠れば、これが収載されてある「南路志」は、土佐の歴史・地理・故実を記録した全百二十巻に及ぶ膨大な綜合民俗地誌で、高知城下の豪商(呉服・薬等を扱っていた)にして国学者でもあった武藤致和(むとうむねかず:寛保元(一七四一)年生まれで、文化一〇(一八一三)年七十三歳の時に本書を完成させ、同年九月五日に没した)と長男平道(ひらみち)の親子が中心となって編纂し、最終的に文化一二(一八一五)年に完成させたものである(致和の「序記」のクレジットは文化十年正月)。「南路志」原本は焼失して残っていないが、六つの機関に写本が残り、特に天理大学所蔵のそれは、全巻が揃っている。内、以上の二巻は、「闔國之部拾遺」(「闔國」は「こうこく」で「土佐国全国」の意)の中にあり、『土佐の国に伝わる神威・怪異・奇談・神社仏閣の来歴・大木の由来等について、多岐にわたって歴史的。故実的研究がなされている。対象年代は長宗我部元親の時代の話が六話あり』、『最古の咄は、平宗盛の時代に及ぶ。年次の確認ができるものは、古くは文明三』(一四七一)『年から、新しくは文化四』(一八〇七)『年までの咄が収録されている。土佐の国の地誌的要素も強く、咄の舞台も郡村名までが全話明示されている』とあった。記事の性質上、重複するものがあるが、土屋氏が内容別に数えられた話の数を総て足すと、百三十一に及ぶ。私の、このブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅰ」「怪奇談集Ⅱ」や、ブログ・カテゴリで独立させたその他(「耳囊」「宗祇諸國物語」等々)で電子化注したもの中では、創作されたものでないこと、時代が平安後期にまで遡ること、多岐に亙る奇談・怪談等を載せていることから、所謂、近世怪奇談集を超えて、遙かに古い時代までドライヴしている点で、非常に興味深い作品である。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの写本の同巻(ここと、ここ)の画像を用いる。但し、前掲の「近世民間異聞怪談集成」に載るものを、OCRで読み込み、加工テクストとさせて戴く。ここに御礼申し上げる。但し、この当該パートは崩し字の誤判読が、結構、多いことが、電子化していて、早々に判った。しかも、初歩的な誤読で、ちょっと、呆れた。いちいち注記しないが、高価な本であるだけに(一万八千円)、ちょっと残念だ。「近世民間異聞怪談集成」の底本は、『国立国会図書館蔵(一部独立行政法人国立公文書館内閣文庫蔵)』とあるので、前者は私の底本と同じであるから、不審な箇所は「国立公文書館」の同巻の画像を調べる(底本は奇麗な草書体だが、国立公文書館本写本の方が、字が濃く、遙かに読み易い)。

 底本の写本では、ルビは極めて少なく、カタカナで記されてある。しかし、かなり難読な箇所も多いので、底本のルビは「カタカナ」で( )でそのまま添え、「近世民間異聞怪談集成」で土屋氏が添えた読みを参考にさせて戴き、「ひらがな」で( )で添えることとした熟語の一部の場合は「カタカナ」と「ひらがな」を混在させた)。二行割注は【 】で同ポイントで示した。また、濁点は殆どないが、読み易さを考えて、推定で濁音化した。これは注記はしない。

 各話の標題は以下の「目録」にのみあって、本文にはないが、本文の前に「目録」のそれを、再掲しておいた。「近世民間異聞怪談集成」も同じ処理をしている。

 各篇は、初行行頭で、ベタで二行目以降は一字下げとなって書かれてあるが、読み易さを考え、句読点・段落・記号・直接話法等の改行等を自由に起こした。

 草書体で、正字か異体字か迷ったものは、正字を採用した。約物(「ゟ」等)は正字化した。踊り字「〱」は生理的に嫌いなので、正字或いは「々」とした。

 注はストイックに、割注にしたり、段落後、或いは、各話の最後に附すこととする。

 以下、「目録」。字空けは、ブラウザの不具合を考えて、それらしくはしたが、同じではない。中標題「神 威 怪 異 竒 談」とある後は、直ぐに標題が続いているが、紛らわしいので、一行空けた。

 正直、「和漢三才圖會」植物部を、毎日一つは、やっつけていると、脳髄の底に、竹ならぬ、樹木の根が広ごって、悶々としてきて、百会(ひゃくえ)に尖った針状の長い棘が生えたような気になるものだから、それを、和らげるために、この仕儀を始めるのである。

 

 

南 路 志 巻 三 十 六

    闇 國 十 二 之 一 目 録

神 威 怪 異 竒 談

 

御 城 内 蚊 柱 嘉 瑞

三 谷 山 遊 火

安 喜 郡 白 濵 之 起 龍

幡 多 郡 上 山 之 蝮

同 郡 九 樹 村 私 雨(ワタクシアメ)

同 郡 足 摺 山 午 時 雨

安 喜 郡 甲 浦 楠 嶋 傾 城 亡 霊

小 河 平 兵 衞 怪 異

長 岡 郡 山 田 村 與 樂 寺 住 持 之 歯

谷 秦 山 翁 夢 中 之 歌

海 犬

西 寺 怪 異

槿 花 宮

香 我 美 郡 山 北 村 笑 男

土 佐 郡 荊 野 山 怪 異

吉 田 甚 六 宅 光 物

篠 之 實

濱 田 吉 平 幽 霊

威 德 院 全 元 嘉 瑞

豊 永 郷 下 土 居村 怪 獣

安 喜 郡 馬 路 村 怪 獣

幡 多 郡 沖 之 嶋 怪 異

同 郡 小 浦 之 怪 異

同 郡 柏 島 之 龍

潮 江 村 之 龍

西 寺 半 鐘

幡 多 郡 下 山 橘 村 雨 乞

久 札 野 村 雨 乞

韮 生 郷 美 良 布 社 降 鐘

同 郡 荒 瀬 村 黒 白 水

潮 江 村 入 道 谷 毒 氣

小 野 村 百 姓 古 法 眼 画

幡 多 郡 戶 内 村 鰐 口

潮 江 村 天 滿 宮 牽 牛 之 繪 馬

幡 多 郡 有 岡 村 真 静 寺 本 尊

享 保 十 二 未 年 大 災

髙 岡 郡 龍 村 無 盜 賊

幡 多 郡 伊 与 木 郷 庄 屋 不 閉 門

公 御 判

安 喜 郡 田 野 浦 地 藏

小 髙 坂 村 地 中 之 鰻

鸛 知 凶 事

種 﨑 浦 神 母 社 威 霊

國 澤 右 衞 門 祖 母 掌 文

[やぶちゃん注:「杦」は「杉」の異体字。

﨑 之 濵 鍛 冶 之 祖 母

比 江 村 百 姓 狼 之 毒

森 田 日 向 占

岩 佐 村 三 亟 竒 事

[やぶちゃん注:「竒」は「近世民間異聞怪談集成」では、「寺」となっているが、底本国立公文書館本も孰れも「竒」であり、本文を見ても、「寺」ではあり得ない。そもそも本文をちゃんと読めば、「寺」でないことは明々白々だ。そうした初歩的点検をも忘れた、呆れ果てた判読である。]

野 根 村 魔 所

同     奇 怪

宝 暦 六 年 赤 氣

山 狸

長 濵 村 三 平 蘓 生

鷲 𤔩 人 吉 本 蟲 夫 歌

[やぶちゃん注:「𤔩」は、この場合は「摑(つか)む」の意。「近世民間異聞怪談集成」では、「蟲」(そちらの表記は「虫」)を右補正注して『(義)』とする。確かに、本文を見るに、「蟲」では、「鳥」を「蟲」とするしかないが、これは、明らかに解釈が苦しい。しかし、本文には「吉本」という人物名は出ないので、これもまた、私には、すっきりと認めるわけには行かない。]

神 祭 之 莭 キヨウジ

[やぶちゃん注:「莭」は、底本も公文書館本も、「節」を(くさかんむり)にしたそれで、「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので最も近いと判断したこれとした。また、「キヨウジ」は本文を見るに、「ギヤウジ」(=行事)である。「近世民間異聞怪談集成」では、補正されてある。]

安 喜 郡 野 川 村 【百 姓 喜 市 郎 妻】 殺 蝮

永 田 段 作 殺 狼

伊 勢 國 與 茂 都 占

野 根 浦 之 内 並 川 村 【茂 次 兵 衞】 大災

九 反 田 之 鼠 喰 稲

三 津 浦 幽 霊

久 保 源 兵 衞 滅 亡

峯 寺 觀 音 威 霊

[やぶちゃん注:「峯」の下は、底本も公文書館本も、有意に通常の倍の字空けがあるが、本文を読んでも、特にそうする意味を私は認めないので、再現していない。「近世民間異聞怪談集成」でも「目録」でも、各篇冒頭でも、字空けは、ない。]

佐 川 西 山 洞 穴 之 和 銅 之 字

種 﨑 浦 稻 荷 社 怪 女

弘 岡 町 蛭 子 堂 之 大 黒

 

南 路 志 闔 國 第 十 二 之 一 目 禄

[やぶちゃん注:底本では、書写行数の関係上、この最後の一行は、底本のここの、見開き右丁の前を空白にした最終行に記されてある。

 以下、左丁の本文となる。本文の第一話以降の挿入標題では、字間はカットした。]

 

 

南 路 志 巻 三 十 六

               武 藤 致 和 集

  闔 國 第 十 二 之 一

 〇 神 威 怪 異 奇 談

 

   御城内蚊柱(かばしら)嘉瑞(かずい)

 

 元祿年中、御城内より、蚊柱、立(たつ)事あり。

「御城北の口の藪より、上へ、三、四尺も立(たち)ける。」

と也。

「本(もと)の大(おほい)さ、柱程の廻(めぐり)にて有(あり)けるが、何本も立(たち)し。」

と也。

 其比、秀都(ひでいち)と云(いふ)座頭、占(うら)を、よく仕(し)けるが、人々、蚊柱の事を問(とひ)ければ、

「何の事も無之(これなく)候。御加增にて候。」

と申(まうし)ける。

 果たして、幡多(はた)三萬石、御加增被遊(あそばされ)ける。

 

[やぶちゃん注:「蚊柱」小学館「日本大百科全書」より引く。『昆虫類のカ』(双翅(ハエ)目長角(糸角・カ)亜目カ下目カ上科カ科 Culicidae)・『ユスリカ』(カ下目ユスリカ上科ユスリカ科 Chironomidae)・『ヌカカ』(ユスリカ上科ヌカカ科 Ceratopogonidae:こやつ等は刺されると、滅法、痒い)・『ガガンボ』(カ亜目ガガンボ下目ガガンボ上科ガガンボ科 Tipulidae)『など』の『双翅』『目長角群の昆虫が、上下左右に飛びながら』、『柱状に群集する現象をいう。蚊柱は全体として上下に移動するが、地上にある突起物や周囲と色の違う紋様を中心にその上方でつくられ、木の梢』『の上、枝先の下でみられることもある。構成は普通、雄だけで、雌がこれに飛び入り』、『雄と交尾することが観察されているので、生殖のための行動といわれているが、雌だけの群飛や』一『種類だけでない場合もある。蚊柱ができるのは』、『夕暮れ』や『夜明けが多いが、種類と天候により』、『日中にもできる。双翅類以外でも蚊柱と同じ現象が、カゲロウ』(有翅亜綱旧翅下綱カゲロウ(蜉蝣)目 Ephemeroptera)・『トビケラ』(毛翅上目トビケラ目 Trichoptera)・『カワゲラ』(カワゲラ目 Plecoptera)・『クビナガカメムシ』(カメムシ目異翅亜目クブナガカメムシ上科クビナガカメムシ科 Enicocephalidae)『などでみられる』。私は、少年時代、しばしばガガンボのそれを自宅のそばで、よく見かけたものだったが、最近は自然環境の破壊や変化で、トンと見なくなった。教え子の中には、「蚊柱はガガンボだから刺さないから平気ですよ。」と主張している者がいたが、それは、上記の通りで、誤りである。まんず、刺すのは♀だから、まんず、あの旋風の中に入っても、刺されることは少ないが、周辺に♀はくるから、ご用心。知られた痒いし、感染症を媒介するカ科ナミカ亜科ナミカ族イエカ属アカイエカや、コガタアカイエカ Culex tritaeniorhynchus も「蚊柱」を作りますぞ

「幡多」「幡多郡(はたのこほり)」。高知県の西南部に当たる広域の旧郡名。但し、当該ウィキによれば、今も、天気予報などで、「幡多地域」と呼ばれているとある。旧郡域はそちらの地図を見られたい。

「幡多(はた)三萬石、御加增被遊(あそばされ)ける」いろいろ、調べてみたところ、「高知城歴史博物館」公式サイト内の「土佐藩の歴史-中期-」の冒頭の「中村支藩の成立と改易」を見ると、元禄二(一六八九)年に土佐国高知藩(土佐藩)の支藩土佐中村藩(現在の四万十市)藩主第三代山内豊明が、将軍綱吉の怒りを買い、改易処分となったとあり、『中村は一時』、『幕府の預地とな』った『が、最終的には土佐藩の直轄領に戻され、以後』、『中村には幡多郡奉行が置かれ』たとあることから、当時の高知藩(土佐藩)第四代藩主山内豊昌(とよまさ 寛永一八(一六四一)年~元禄一三(一七〇〇)年:藩主在位は寛文九(一六六九)年から没年まで)の閉区間の加増と判明した。]

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