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« 甲子夜話卷之八 26 長橋局の居所幷赤前埀の事 | トップページ | 「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 枸橘 »

2024/08/13

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 枳殻

 

Karatati

 

[やぶちゃん注:樹図の上部右上に「枳實」(キジツ:同種の成熟した実)、同左下に「枳殼」(キカク:同種の初生・未熟に実)の絵とキャプションがある。]

 

きこく

    和名加良太知

    今多用字音

枳殻

 

ツウコ

 

本綱枳殻木如橘而小髙五七尺葉如橙多刺春生白花

至秋成實以皮厚而小者爲枳實完大者爲枳殻皆以翻

肚如盆口狀陳久者爲勝其樹皮名枳茹

周禮云橘逾淮而北爲枳然今江南枳橘俱有江北有枳

無橘此自別種非關變昜也蓋枳殻枳實一物也或呼老

者爲枳殻生則皮厚而實熟則殻薄而虛正如橘之青皮

陳皮之義也【近道所出者俗云臭橘不堪用】

枳殻【苦酸微寒】 破氣勝湿化痰泄肺走大腸蓋枳實枳殻氣

 味功用俱同無分別魏晋以來始分之大抵其功皆能

 利氣 氣【下則痰喘止行則痞脹消】氣【通則痛刺止利卽後重除】


きじつ

枳實

氣味【苦寒】 瀉痰去心下痞及宿食不消凡非白朮不能

 去濕非枳實不能除痞故潔古制枳朮丸方以調胃脾

[やぶちゃん注:「潔」は原本では「グリフウィキ」のこれ((さんずい)が上部の左に上がっているもの)だが、表示出来ないので、「潔」とした。]

 以𮔉灸用則破水積以泄氣除内熱氣血弱者不可服

[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]

 以其損氣也【枳實主下主血枳殻主高主氣】

  万葉まくらかの古賀の渡りのからたちの音髙しもなねなく子ゆへに

[やぶちゃん注:この一首、「からたちの音」は「枳殼(からたち)」ではなく、「唐楫(からかぢ)」の誤りであり、「ねなく子ゆへに」も「ねなへ兒(ご)ゆゑに」の誤りである。訓読では補正して示した。ただ、この補正の結果、この一首は「枳殼(からたち)」とは無縁な歌であることから、添え歌としては無効となる。

△按枳殻樹其刺一二寸多有之栽藩蘺以防盗害七八

 月摘其實爲枳實九十月徐大者爲枳殻

 於本朝亦植𮔉柑於奧州變成枳殻一異也其他諸國

 橘枳共有而多接柑橘類於枳故以柑橘核種之生枳

 者多矣枳實枳殻多出於備前

 

   *

 

きこく

    和名「加良太知《からたち》」。

    今、多く、字の音を用ふ。

枳殻

 

ツウコ

[やぶちゃん注:この下方に「今、多く、字の音を用ふ」とあるからには、良安は、「本草綱目」は勿論、誤認の和歌の一箇所を除き、自身の評言でも、敢然として「キコク」と読み、「からたち」とは絶対に訓じていないということを意味する。しかし、これは、良安が医師だから、生薬名で「キコク」と日常的に用いていたという本草学者の間での呼称の意味であり、だからと言って、現に、その時の一般大衆が「キコク」と音で呼んでいたとは、私には到底、信じられない。民間では、こんな漢字を知っている者はそう多くなく、「枳」を別な熟語で見ることもなく、専ら、この種を「からたち」と呼んでいたと考えるべきである。

 

「本綱」に曰はく、『枳殻《きこく》の木、橘《きつ》のごとくにして、小なり。髙さ、五、七尺。葉、橙(だいだい)のごとく、刺(はり)、多し。春、白≪き≫花を生じ、秋に至りて、實《み》を成す。皮、厚くして、以つて、小なる者を「枳實《きじつ》」と爲《なし》、完《まつたき》大なる者を、「枳殻《きこく》」と爲す。皆、以つて、肚《はら》を翻《ひるがへして》、盆《はち》の口の狀《かたち》のごとし。陳-久(ふる)き者を、勝《すぐ》れりと爲す。其の樹の皮を、「枳茹(きじよ)」と名づく。』≪と≫。

『「周禮《しゆらい》」に云はく、『橘、淮(わゐ)を逾(こ)へ[やぶちゃん注:ママ。]て、北は、「枳《き》」と爲す。』≪と≫。然《しか》るに、今、江南に、枳・橘、俱に有りて、江北には、枳≪は≫有りて、橘≪は≫無し。此れ、自《おのづ》から別種にて、變昜《へんえき》[やぶちゃん注:「變化・變異」。]に關(あづか)るに非≪ざる≫なり。蓋し、「枳殻」と「枳實」≪とは≫、一物なり。或いは、老する者を呼びて、「枳殻」と爲す。生《わかき》は、則ち、皮、厚くして、實《じつ》す[やぶちゃん注:みっちりと充実している。]。熟する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則と、殻、薄くして、虛《きよ》す。正《まさ》に橘の「青皮(しやうひ)」・「陳皮(ちんぴ)」の義なり【近≪き≫道≪の邊に≫出づる所の者、俗、「臭橘《しうきつ》」と云ひ、用ひるに堪へず。】。』≪と≫。

『枳殻【苦酸、微寒。】』『氣≪の鬱滯≫を破り、湿に勝ち、痰を化《くわ》し、肺を泄《せつ》≪して≫[やぶちゃん注:鬱滞を押し出して。]、大腸に走る。蓋し、「枳實」≪と≫「枳殻」≪とは≫、氣味・功用、俱に同じく≪して≫、分別すること、無し。魏・晋より以來、始めて、之れを分《わか》つ。大抵、其の功、皆、能《よく》、氣を利す。』≪と≫。『【下る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。以下同じ。]、則ち、痰喘《たんぜん》[やぶちゃん注:喘息。]を止《と》め、行《ゆ》く時は、則ち、痞脹《ひちやう》を消す。】。』≪と≫。』『氣』≪の≫『【通《つう》ずる時は、則ち、痛刺《つうし》を止め、利≪する時は≫、卽ち、後重《こうぢゆう》を除く】。』≪と≫。


きじつ

枳實

『氣味【苦、寒。】』『痰を瀉《しや》し、心下《しんか》の痞(つか)へ、及び、宿食《しゆくしよく》≪して≫消《しやう》せざるを、去る。凡そ、「白朮《びやくじゆつ》」に非ざれば、濕を去ること、能《あた》はず、「枳實」に非ざれば、痞《つかへ》を除くこと能はず。故《ゆゑに》、潔古《けつこ》、「枳朮丸《きじゆつぐわん》」の方《はう》を制して、以つて、胃脾を調へ、𮔉《みつ》以つて、灸《あぶり》、用《もちふ》れば、則ち、水積《すいしやく》[やぶちゃん注:重い「浮腫(むく)み」のこと思われる。]を破《は》して、以つて、氣を泄《せつ》す。《✕→し、》内熱を除く。氣血≪の≫弱き者、服すべからず。其れ、氣を損ずるを以つてなり【枳實は下[やぶちゃん注:下半身。]を主《つかさど》り、血を主る。枳殻は、高《こう》[やぶちゃん注:上半身。]を主り、氣を主る。】。』≪と≫。

[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]

  「万葉」

    まくらがの

     古賀の渡りの

        からかぢの

       音髙しもな

        ねなへ子ゆゑに

△按ずるに、枳殻《きかく》の樹、其の刺《とげ》、一、二寸、多く、之れ、有り。藩蘺(ませがき)に栽(う)へ[やぶちゃん注:ママ。]て、以つて、盗《ぬすみ》≪の≫害を防ぐ。七、八月、其の實を摘(むし)り、「枳實《きじつ》」と爲《な》す。九、十月、徐《とる》≪ところの≫大きなる者、「枳殻」と爲す。

本朝に於いても、亦、「𮔉柑《みかん》」を奧州に植《うう》れば、變じて、「枳殻《きこく》」と成る。一異なり。其の他の諸國、橘《きつ》・枳《き》、共に有りて、多く、柑橘類を枳《き》に接(つ)ぐ[やぶちゃん注:「接ぎ木」する。]。故《ゆゑに》、柑橘の核《たね》を以つて、之れ、種《うう》るに、枳《き》≪の實を≫生ずる者、多し。枳實・枳殻、多く、備前より出づ。

 

[やぶちゃん注:「東洋文庫訳」では本文の最初に出る「本草綱目」の『枳殻』に割注して、『(ミカン科カラタチか)』とある。思うにこれは、文中に「橘《きつ》」が出現すること、中文ではカラタチは現在は「枳殻」ではなく、「枳」とし、別名を「枸橘・臭橘」(本文割注に出る)とするから(「維基百科」の「枳」を参照)と、次の項の「枸橘」をカラタチに比定同定していることからの慎重な保留と思われるが、「枳殻」は、日中ともに、

双子葉類植物綱ムクロジ目ミカン科カラタチ属カラタチ Citrus trifoliata

として問題ない。上記の中文のリンク先には同じ学名を当てている。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。本邦の漢字表記は『枳殻・枸橘』とし、『ミカン類に近縁の』一『属』一『種の柑橘類で、中国原産。学名の trifoliata は三枚の葉の意でこの複葉から。原産地は長江上流域。日本には』八『世紀頃』(飛鳥末から奈良時代を経て平安最初期相当)『には伝わっていたとされる』。『和名カラタチの名は唐橘(からたちばな)が詰まったものである。別名でもカラタチバナともよばれる。別名では、キコク(枳殻)ともよばれる。中国植物名(漢名)は、枸橘(くきつ)という』。『中国中部の原産』(「維基百科」の「枳」によれば、『北は黄河流域から、南は広東省まで分布している』とあった)で、『日本にも広く植えられている。日本へは古くに渡来し、奈良時代末期に成立したと』される「万葉集」『にも名が見られる』(言わずもがなだが、良安が誤って引用した一首ではない。後注の誤認引用された和歌の箇所で詳述する)。『平安時代には果実が薬用にされた。現代では、生け垣などに植栽されているのが見られる。柑橘類の中でも最も耐寒性が強く、やせた土地にも耐えて生育でき、東北地方でも生育する』。『落葉広葉樹の低木から小高木で、樹高は』二~四『メートル』『程。樹皮は暗灰褐色で成木は細かい縦筋が入り、若木では生長と共に緑地に褐色の縦筋が入り、皮目が多くざらつく。枝は緑色で太く、稜角があり』、三『センチメートル』『にもなる大きくて鋭い刺が互生する。この刺の基部が幅広いのは本種の特徴で、葉の変形したもの、あるいは枝の変形したものという説がある』。『葉は互生し』、三つの『小葉の複葉(』三『出複葉)で、葉柄に翼がある。小葉は』四~六センチメートル『程の楕円形または倒卵形で、周囲に細かい鋸状歯がある。葉はアゲハチョウの幼虫が好んで食べる』。『花期は春(』四~五『月)で、葉が出る前に』三~四センチメートル『程の』五『弁の白い花を咲かせ、芳香がある。花のあとには、径』三~四センチメートル『の球形で軟毛に覆われた緑色の果実をつけ、秋には熟して黄色くなる。果実は食用になるが、種子が多く強い酸味と苦味があるため、そのままでは食用には向かない』。『冬芽は側芽が枝に互生し、半円形で棘の基部の上側につき、赤褐色の芽鱗』二、三『枚に包まれている。棘の下側には葉痕が残り、この葉痕からも葉が芽吹くこともある』。『栽培品種として、枝やトゲが湾曲するヒリュウ(飛龍)』(Citrus trifoliata 'Monstrosa')『や、枝やトゲの湾曲がヒリュウよりもさらに激しく成長も極めて緩慢な「香の煙」』(品種学名不詳)『が存在する。どちらの品種も「雲龍カラタチ」の名前で販売されていることが多い』。『鋭い刺があることから、外敵の侵入を防ぐ目的で生垣によく使われる。畑の守りだけではなく、住宅の庭の周りにもしばしば使われてきた。しかし住宅事情の変化などからこの刺が嫌われ、また生垣そのものが』、『手入れの面倒からブロック塀などに置き換えられたため』、一九六〇『年代ころからカラタチの生垣は減少した』。『日本ではウンシュウミカン』(温州蜜柑:ミカン科ミカン属ウンシュウミカン Citrus unshiu )『などの柑橘類を栽培するときに、台木として使われる。病気に強いことや、早く結実期に達することなどの利点があるが、ユズ』(柚:ミカン属ユズ Citrus junos )や『ナツミカン』(ミカン属ナツミカン Citrus natsudaidai )『の台木にくらべると寿命が短いという欠点もある』。『果実の利用は一般的ではなく、果実酒の材料として使われる程度である。果実には強い酸味と苦味があるため』、『果実自体の食用は難しい』。『オレンジとカラタチの細胞融合による雑種に「オレタチ」がある』(品種登録がされていることまでは確認出来たが、品種学名は探し得なかった)。(☞)『未成熟の果実を乾燥させたものは、枳殻(きこく)とよばれる生薬であるが、中国薬物名では枳実(きじつ)ともよんでいる』(☜☞)。『成熟果実の場合は、中国薬物名で枳殻とよんでいる。枳殻は、漢薬本来はナツミカンで、ミカンの大型の未熟果であるという説もある。また、日本ではカラタチ果実の生薬のことを枳実(きじつ・きじゅつ)と呼んで通用もしているが、これは日本での誤用でカタタチの漢名にあてたものだとする説がある。カラタチの漢名は「枸橘」と書く』(太字下線は私が附した。この箇所は、明代の「枳殻」が、そうした裾野を持った蜜柑類の総称を持っていた可能性を示唆しているとも言えるものである)。『カラタチ果実からつくる生薬は、果実を採って、輪切りで天日干しして調製したもので、芳香性の健胃作用、利尿作用、発汗作用、去痰作用があるとされ、未熟果よりも成熟果の』方『が作用が穏やかである。乾燥が不十分だと』、『吐き気が出る恐れがある』。『胃腸の熱を冷ます薬草で、妊婦、冷え性、虚弱体質に人への服用は禁忌とされる。民間では、皮膚を美しく保つ効果もあるとされており、果実や枝葉を随時浴湯料として風呂に入れると、皮膚をきれいにして、体を温め、発汗、去痰を促すといわれている』。『近年の研究により、カンキツトリステザウイルス(CTV)』(第四群(一本鎖RNA +鎖)クロステロウイルス科 Closteroviridae クロステロウイルス属 Closterovirus カンキツ・トリステザ・ウイルス Citrus tristeza virus 当該ウィキによれば、ミカン属の植物に感染し、全世界で多大な農業被害を与えているウィルスで、「トリステザ」 は一九三〇年代にこのウイルスの被害を受けた南米の農家が名付けたもので、スペイン語・ポルトガル語で「悲しみ」を意味する。ウイルスは、主に有翅亜綱同翅目腹吻亜目アブラムシ上科アブラムシ科トキソプテラ属ミカンクロアブラムシ Toxoptera citricida によって媒介される)『に対する免疫性を有する機能性成分の一つである』アウラプテン(auraptene:7-geranyloxycoumarin)『を高濃度に含有することが明らかになっている』。アウラプテンは、『その他にも発ガン抑制作用や抗炎症作用、脂質代謝改善効果や』、メタボリック・シンドローム(Metabolic syndrome)『に伴う炎症反応の緩和効果等を持つ』とする研究があるらしい。

 「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「木之三」の「枳」([088-16a]以下)の長い記載を、かなり強引にパッチワークしている。多少、『 』で、そのオゾマしいやり口を示唆しておいた。

「橘《きつ》」これはミカン科ミカン亜科ミカン属タチバナ Citrus tachibana ではなく、ミカン科 Rutaceae の一種としか言えない。何故なら、本邦で普通に名として知られる「橘」=Citrus tachibana 日本固有種であるからである。当該ウィキによれば、『本州の和歌山県、三重県、山口県、四国地方、九州地方の海岸に近い山地にまれに自生する』とある。中国の「橘」は、調べてみても、種同定は出来なかった。ただ、後の「本草綱目」の話で、長江の北には、この「橘」(きつ)は分布しないとするから、ミカン属の中でも、温・亜熱帯に適応した種(群)であるとは言える。

「橙(だいだい)」これは、ミカン属ダイダイCitrus aurantium で問題ない。当該ウィキによれば、同種は『インド、ヒマラヤが原産』で、『日本へは中国から渡来した』とある。

「肚《はら》を翻《ひるがへして》、盆《はち》の口の狀《かたち》のごとし」実は、花梗(かこう:果実までの枝部分)を強く伸長させて、その反対側である萼片部側(ここでおいう腹側)を翻して見せているようで、言い得て妙である。グーグル画像検索「カラタチの実」をリンクさせておく。

『其の樹の皮を、「枳茹(きじよ)」と名づく』確かに、現在も中医学の漢方生薬名として、カラタチの樹皮と果実の皮を乾燥させたものを「枳茹」と呼んでいることが、中文サイト「百度百科」の「枳茹」で判る。何故、「茹」なのかは分からないが、「廣漢和辭典」を見ると、「茹」には、大きな第一義に「食う」の意があり、第四義で「乾し菜」(乾燥させた野菜)、第五義で「湯引き菜」の他、第十三義で「臭い」の意があって、そのどれかであろうと思われる(なお、「茹(ゆ)でる」の意の用法は、実は厳密には国字の用法である)。

「周禮《しゆらい》」(しゅらい)は「礼記」・「儀礼」とともに「三礼」(さんらい)を構成する儒教経典の重要な書である。紀元前十一世紀に周公旦が作ったとされるが、偽書の疑いがあり、現代の研究では、戦国末期に成立したとの見方が示されている(当該ウィキを参考にした)。「漢籍リポジトリ」で見ると、「周禮卷第十一」の「冬官考工記第六」のガイド・ナンバー[011-3a]の六行目に出る。

「淮(わゐ)」淮水(わいすい)。現在は淮河と呼ばれ、長江・黄河に次ぐ中国の第三の大河である。山川出版社「山川 世界史小辞典」によれば、中国中部の河川で、河南省南端に源を発し、東流して大運河・黄海・長江に分注する。全長約一千百キロメートル。秦嶺―淮水線は、中国を風土的に南北に分かつもので、歴史的に南北朝・南宋は、この線を境界とした、とある。英文サイト「VoxChina」の“Brain Drain: The Impact of Air Pollution on Firm Performanceの“Figure 2”の地図のブルーの線がそれに当たる。以下、続く文では、長江の南・北での「枳(き)」と「橘(きつ)」の分布の相違(長江の北では橘は分布しない)が語られるが、サイト「中国語スクリプト」(日本語)の「長江」のページにある「黄河と長江」の地図を見られたい。以上の二枚の地図で、関係性が大まかに把握出来る。「維基百科」の「枳」では、カラタチの中国での分布域について、『中国中部を原産とし、北は黄河流域から、南は広東省まで分布する』とある。

「近≪き≫道≪の邊に≫出づる所の者、俗、「臭橘《しうきつ》」と云ひ、用ひるに堪へず」というのは興味深い。漢方生薬としての基原個体は人家や村落近辺に植えられている個体(群)では、効能が著しく低く、薬物としては使用に堪えないというのである。これが別種等ではないことは、先に示した「維基百科」の「枳」では、別名として「臭橘」を挙げていることで判る。

「痞脹《ひちやう》」東洋文庫の後注に、『気が滞溜して腹部がふさがりふくれるもの。』とある。

「後重《こうぢゆう》」東洋文庫の割注に、『(排便はあるが肛門部に痛みを感じる症)』とある。

「白朮《びやくじゆつ》」(びゃくじゅつ)は中国原産で本邦には自生しない双子葉植物綱キク目キク科オケラ属オオバナオケラ Atractylodes macrocephala の根茎を乾したものを狭義の基原とする浙江省などで生産されるものを指す(草体の画像はサイト「東京生薬協会」の「季節の花(東京都薬用植物園)」の「オオバナオケラ」を見られたい)。ここはそれである。なお、本邦では、別に、日本の本州・四国・九州、及び、朝鮮半島・中国東北部に分布する同オケラ属オケラ Atractylodes lancea を基原とするものを、特に「和白朮」と呼ぶが(草体の画像は当該ウィキを参照)、現行では、この二種を一緒にして「白朮」と称している。効能は、主として水分の偏在・代謝異常を治す。従って、頻尿・多尿、逆に小便の出にくいものを治す、と漢方サイトにはあった。

「潔古《けつこ》」東洋文庫の後注に、『金』(十二〜十三世紀に中国北部にあった女真族の国)『時代の医者。張天素のこと。運気論に從い、病気の質も時代の変るとともに変るので、古方に執着することなく、新しい時代には新しい処方を用いるべきだと説いた。』とある。

「枳朮丸《きじゆつぐわん》」(きじゅつがん)は「誠心堂薬局」公式サイト内のこちらの「白朮」の解説に、『最も一般的かつ重要な補気健脾薬(ほきけんぴやく)。山薬(さんやく)・白扁豆(はくへんず)とともによく配合される。良好な補気健脾作用を有する。補気健脾の重要薬』とし、冒頭の「補気健脾」の項で、『脾胃の気をよく補いその機能を高めてよく補気し』、『また』、『よく燥湿する。補気健牌の基本的かつ重要薬で』、『一般的な脾虚証に多用される』と総論を述べた上で、『(1)』の中の『④脾虚食積証のもたれ・心下痞塞脹満感(痛)・食欲不振などには』、『枳実・焦三仙などと用いる。〔代表方剤:枳朮丸〕。』とあった。

「万葉」「まくらがの古賀の渡りのからかぢの音髙しもなねなへ子ゆゑに」「万葉集」の「卷第十四」中西進氏の講談社文庫版を参考に示すと、「未だ國を勘(かんが)へぬ相聞往來の歌百十二首」の中の一首(三五五五番)、

 麻久良我(まくらが)の

      許我(こが)の渡りの

     韓楫(からかぢ)の

          音高しもな

           寢なへ兒ゆゑに

である。中西先生の訳では、『麻久良我の許我の渡に響く韓楫のように、人言が高いことよ。共寝もしてないあの子のために。』とあり、注で、「麻久良我(まくらが)の」は不明とされつつ、先行する歌(三四四九番)の注で、『地名か』とされる。「許我(こが)の渡り」については、『茨城県古河市なら利根川の渡しとなる』とされ、「韓楫(からかぢ)」には『渡来技術による楫。韓・唐ともにカラ』とある。……という訳で、「からたち」とは縁も所縁もないので、良安の引用自体が無効となる。因みに、「万葉集」には、一種だけ、枳殻(からたち)を詠んだ句がある。それは、「卷第十六」にある以下の一首(三八三二番)である。

   *

   忌部首(いんべのおびと)の、數種(くさぐさ)の物を詠める歌一首【名は忘失せり。】

 枳(からたち)の

    棘(うばら)刈り除(そ)け

      倉建てむ

     屎(くそ)遠くまれ

         櫛(くし)造る刀自(とじ)

   *

歌の本体の原文は、

   *

 枳 蕀原苅除曾氣 倉將立 屎遠麻禮 櫛造刀自

   *

である。中西先生の訳は、『枳』(からたち)『のいばらを刈りとって倉を立てよう。屎』(くそ)『は遠くにしてくれ、櫛を作るおばさんよ。』である。この訳は、恐らく、そうした労働者は『集団で労働する場があったのであろう』とされるから、謂わば、その仲間の娘などの気持ちを代弁する形で洒落ているものと私には思われる。

「藩蘺(ませがき)」小学館「日本国語大辞典」では『はんり』として、『藩籬・籬・樊籬』と示し、特にそのまま、総て『まがきの意』とする同辞典で、「藩」は『かきね、かこいの意』とする。

『「𮔉柑《みかん》」を奧州に植《うう》れば、變じて、「枳殻《きこく》」と成る。一異なり』これは、先の引用にある、『柑橘類を栽培するときに、台木として使われる』ことに由来すると考えれば、何ら、異常では、ない。

「備前」岡山県東南部、及び、香川県小豆郡と直島諸島、更に、兵庫県赤穂市福浦(孰れもグーグル・マップ・データ)。]

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