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2024/08/26

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 安喜郡馬路村怪獣

[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。]

 

   安喜郡(あきのこほり)馬路村(うまぢむら)怪獣(あやしきけもの)

 宝暦年中、安㐂郡馬路村に、怪敷(あやしき)獸、出(いづ)る。

 面(おもて)は、猫の如く、惣身(さうみ)、灰毛(はひげ)也。

 胴の丸(まろ)さ、五、六尺[やぶちゃん注:一・五二~一・八二メートル。]にして、長(ながさ)、七、八尺[やぶちゃん注:二・一二~二・四二メートル。]もありけるに、手足、無し。

腹行(ふくかう)する。

 髙き所か、岩抔(など)有(あり)て、行詰(ゆきづま)る時は、立(たち)て、先へ倒(たふ)れる、と也。

 里俗、名付(なづけ)て、「たてがへし」と、いふ。

 今、按(あんずる)に、「法華經」「譬喩品(ひゆぼん)」に、『更受蟒身(ヤマカヾチ)其形長大ニ乄五百由旬聾騃無足ニ乄蜿轉腹行』云〻。

 

[やぶちゃん注:前篇と同じく、国立国会図書館デジタルコレクションの「土佐鄕土民俗譚」(寺石正路著・昭和三(一九二八)年日新館書店刊)の「第廿一 山猫並怪獸」の章の、「其七十六 怪獸」の第二段落に本篇が載るが、上記の最終段落部はカットされている。また、この怪獣については、本記載以外のネット上の情報は皆無である。叙述を見るに、「猫」の顔や、「灰」色の「毛」に覆われていること、胴の廻りがえらく大きいことに目をつぶると、運動様態からは巨大な蛇であることは間違いない。この「ヤマカガチ」は漢字表記するなら、「山酸漿(やまかがち)」であり、「酸漿(かがち)」は鬼灯(ほおづき)の熟した赤い実が原義だが、これはそれを、上古以来、「ヤマトノオロチ」よろしく、爛々と輝く「山」中の蟒(うわばみ)=大蛇の二つの眼に喩えたものである。ただ、「カガチ」は必ずしも大蛇でなく、蛇の古名として用いられてきた経緯があり、ここで言っておくと、ヤマカガシ(爬虫綱有鱗目ナミヘビ(並蛇)科ユウダ(游蛇)亜科ヤマカガシ(赤楝蛇・山楝蛇)属ヤマカガシ Rhabdophis tigrinus )の語源は、これである。但し、認識が甘い人が多いが、ヤマカガシはニホンマムシ同様、立派な毒蛇である。ヤマカガシは「後牙類」(口腔後方に毒牙を有する蛇類の総称)で、奥歯の根元にデュベルノワ腺(Duvernoy's gland)という毒腺を持っている。出血毒であるが、血中の血小板に作用して、かなり速いスピードで、それを崩壊させる。激痛や腫脹が起こらないため、安易に放置し勝ちであるが、凝固機能を失った血液は、全身性の皮下出血を引き起こし、内臓出血から腎機能低下へ進み、場合によっては脳内出血を引き起こして、最悪の場合は死に至る。実際に一九七二年に動脈のヤマカガシ咬症によって中学生が死亡する事故が発生している。深く頤の奥で咬まれた場合は、至急に止血帯を施し、医療機関に直行する必要がある。水辺を好み、上手く泳ぐことも出来る。私は昔、富山の高岡市伏木の家の裏山の中型の貯水池で、悠々と中央を横切って泳ぎ渡る彼を見て、惚れ惚れしたのを忘れない。因みに、私は蛇好きで、全く平気の平左である。閑話休題。しかし、本篇の怪物級の蛇のモデルを「ヤマカガシ」に同定してはいけない。ヤマカガシの体長は一メートル二十センチメートル辺りまでで、匍匐する際に体を延ばしても、せいぜい見かけ上、一・五メートルほどに見える程度である。本邦に棲息する蛇の中で最も長くなるのは、ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora で、最大二メートルであるから、この「ヤマカガチ」のモデルは、百%、アオダイショウである。実は、つい先日、私の家の斜面に巣を持っているらしい巨大個体とやっと対面したが(前の月、私の連れ合いや、向かいの奥さんを道端で驚かしていた奴だ)、正味二メートルあった(彼らは、よく、体を、文字通り、奇麗に蛇行させて這うので、その時も二メートル超えかと、当初は思った)。ただ、この「髙き所か、岩抔(など)有(あり)て、行詰(ゆきづま)る時は、立(たち)て、先へ倒(たふ)れる」という匍匐行動は、本種や、ニホンマムシ・ヤマカガシでも普通に見られる運動形式である。というより、獲物や敵対動物(ヒトを含む)に対して、攻撃をかけたり、威嚇するために普通に行うものである。

「安喜郡馬路村」現在の高知県安芸郡馬路村(うまじむら:グーグル・マップ・データ)。この地名を聴くと、私は、ここを訪れたことがあった亡き親友永野広務(識字ボランティアとして行ったインドから帰国後、熱性マラリアによる多臓器不全で二〇〇五年四月に急性した)が、この村の名を懐かしそうに、何度も、「とっても、いい所だよ!」と語っていたのを、何時も思い出す。

「宝暦年中」一七五一年から一七六四年まで。徳川家重・家治の治世。

「たてがへし」これは、私は「縱(竪)返し」ではなく、「楯返し」のように思われる。

『「法華經」「譬喩品(ひゆぼん)」に、『更受蟒身(ヤマカヾシ)其形長大ニ乄五百由旬聾騃無足ニ乄蜿轉腹行「近世民間異聞怪談集成」では『聳験』となっているが、これは二字とも判読の誤りで、「聾騃」である。国立公文書館本27)を見れば、はっきりと判る。というより、実際に「法華經」の「譬喩品」の当該部を調べれば、一目瞭然なのだ。編者は、それを怠って崩し字を誤判読しているのだ。私は文字列が読めないので、「大蔵経データベース」で見たところ、この誤りを数分で発見出来た。この本、当時(二〇〇三年)、一万八千円もしたのに、原典に当たることをしていない、この初歩的ミスの為体は、何だ! と、大いに叫びたい気になったので、ここに晒しておく。それに直して、推定訓読すると(前に述べた通り、「やまかがし」ではおかしいのでこのルビは採用しない)、

   *

更(さら)に蟒(うはばみ)の身を受く。其の形、長大にして、五百由旬(ゆじゆん)[やぶちゃん注:三千五百キロメートル。]、聾(つんぼ)にて、騃(おろ)かして、無足(むそく)にして、蜿轉(ゑんてん)腹行(ふくかう)す。

   *

言っておくと、これは、仏法を信じない衆生が、死後、輪廻転生する具体例を掲げてゆく一節である。]

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