「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 韮生鄕美良布社隆鐘
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。前までと同じく、前回の雨乞繋がりである。]
韮生鄕(にらうがう)美良布社(びらふのやしろ)隆鐘(ふりがね)
韮生鄕、大川上美良布社(おほかはびらふのやしろ)に「降鐘(フリガネ)」と云(いふ)物、二つ、有(あり)。
「古(いにし)へ、五百藏村(いおろむら)へ、天(てん)より、降(ふり)たる。」
と云(いふ)。
故に、世人(せじん)、「降鐘」と云侍(いひはべ)る由(よし)。
半鐘(はんしよう)の形にして、兩方に、耳、有(あり)、半鐘より、大き也(なり)。
「雌鐘(めすがね)」・「雄鐘(をすがね)」といふ。
旱魃(かんばつ)の時、此(この)鐘を、大川(おほかは)に「膳が石」と云有(いふあり)【小川村の通り也(なり)。】、水中(すいちゆう)也(なり)[やぶちゃん注:この「なり」は宛て漢字であろう。並立助詞の「~なり、~なり、」で。「水中なりとも、岸辺なりとも、」の意で採る。]、其所(そのところ)へ、すへて、諸人(しよにん)、雨乞(あまごひ)を、すれば、忽(たちまち)、雨、降(ふる)也。
「膳が石」といふは、膳を、一束(いつそく)[やぶちゃん注:百膳。]程、ならべたる如き石也。
[やぶちゃん注:「韮生鄕、大川上美良布社」この大川上美良布神社は、現在の香美市香北町韮生野(にろう)のここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)にある。なお、そこから北西直近の高知県香美(かみ)市香北町(かほくちょう)美良布(びらふ)のここに同神社の御旅所がある。これは「香美市」公式サイトの「大川上美良布神社の御神幸」によれば、『毎年』十一『月』三『日に大川上美良布神社において実施されています』。『神社の御祭神が行列を組んで』、『御旅所の神明宮を往復する秋祭りをオナバレといい、江戸時代末期には「奈波連」と読んだことが知られています』。『現在の神幸行列は、江戸時代の文政年間(』一八二〇『年頃)香北町太郎丸にあった文化人・竹内重意が「美良布神社奈波連」として記録した姿に近いと考えられています』。『行列に参加する人が持つ持ち物の中に「文化元年(』一八〇四)『年)」の記述があり、江戸時代末期に神幸の行事が行われていたことは確実ですが、いつの時代から行われていたのかは明らかではありません』。『高知県指定無形民俗文化財です』とある。本書の成立は文化一〇(一八一三)年であるから、この祭礼と御旅所は既に存在していた。
「五百藏村」現在の香美(かみ)市香北町(かほくちょう)五百蔵(いおろい)。
「小川村」現在の高知県香美市香北町小川。
「大川」小川地区が左岸に当たる雄物川。
「膳が石」確認出来ない。]
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