「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 同郡柏島之龍
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。「同郡(どうこほり)」は前回と同じ、「幡多郡(はたのこほり)」を指す。「柏島」「柏嶋」の混淆はママ。]
同郡柏島(かしはじま)之龍(りゆう)
柏嶋役(かしはじまやく)、山本伴藏、勤(つとめ)の內(うち)、書中に申越(まうしこし)ける由。
「去月(いんぬるつき)、中頃(なかごろ)、柏島、『いなや』、北の海にて、龍の、潮(うしほ)を卷上(まきあげ)たるを、見申候。
扨々(さてさて)、すさまじきものにて御座候。
間もなく、帶をはへ[やぶちゃん注:「這へ」であろう。]たる如く、雲の中より、黑き雲、三つ、四つ、降(くだ)り、海上(かいじやう)より、余程、間(あひだ)、有之(これあり)候に、下(した)ゟ(より)、夥敷(おびただしく)浪立(なみだち)、無程(ほどなく)、上の雲と一つに成(なり)、潮(うしほ)を卷上(まきあぐ)る事、煙(けむり)の如く、顯然(けんぜん)と、見へ申候。
『當浦(たううら)にては、珍敷(めづらしき)事。』
の由(よし)、浦の者ども、申候。
遙(はるか)沖中(おきなか)へ鰹釣(かつをつり)に出(いで)候者は、偶々(たまたま)、逢申(あひまうす)者も有之(これある)、由。其時は、否迯也(にげられざるなる)由[やぶちゃん注:「否」はママ。]。鳥(とり)抔(など)、卷込(まきこみ)、死申(しにまうす)由に候。」
先年、御疊方(おたたみがた)、孫助と云(いふ)者、御用にて、浦傳(うらづたひ)して、甲浦(かんのうら)へ行(ゆき)ける。
或(ある)浦にて、宿(やど)へ着(つき)ければ、能(よく)、肴(さかな)を料理して、孫助を饗應しけるに、亭主、申(まうし)けるは、
「此肴は、不思義成(なる)事にて、不慮に有合(ありあはせ)候。昨日(きのふ)、この沖にて、龍、潮(うしほ)を卷上(まきがえ)候て、此邊(このあたり)へ、夥敷(おびただしき)魚を、空より落(おと)し、存不寄(ぞんじよらず)、魚を、取申(とりまうし)たる。」
由、語(かたり)ける、と、也。
[やぶちゃん注:「柏島」現在の高知県幡多郡大月町(おおつきちょう)にある柏島(かしわじま):グーグル・マップ・データ)。現在は二基の橋で陸と続いているが、「ひなたGPS」の戦前の地図を見ると、渡船場があり、陸繋島ではなかったことが判然とする。但し、古い石堤が島の陸側に存在することから、調べてみたところ、大潮の干潮時のみ、海の中から道が現われ、渡渉が可能であることが判った。
「いなや」漢字表記等も全く不詳だが、グーグル・マップ(以下、無指示は同じ)をよく見てみると、実は地名としての高知県幡多郡大月町柏島は、柏島の陸側の岬部分も行政地名で「栢島」であることが判り、しかも、そのここに、まさに「竜ヶ浜キャンプ場」があるのを発見した。さすれば、この冒頭の「栢島」は島を指すのではなく、この現在の陸と島の広域を指す「栢島」であると考えられ、ここが現在、「竜ヶ浜」と呼ばれているのは、本篇とは偶然ではないと考えられるのである。ここは、まさに、地区としての「栢島」地区の北の湾の周辺の旧広域地名を指すのではないだろうか?
「御疊方」土佐藩の作事方(さくじかた:城及び官庁の殿舎・家屋などの建築・修繕を司る役方)で、畳を専門に扱う奉行方のことであろう。江戸幕府のそれらがよく知られているが、一部の大名の藩でも、存在した。
「甲浦」これは、現在の高知県安芸郡東洋町(とうようちょう)甲浦(かんのうら)であろう。ロケーションが遙か東の端になるが、寧ろ、柏島とここは、当時の土佐藩の東西の国境という点で、対称をなし、不審な感じは、寧ろ、私にはしない。龍が東西を抑えているのだ! まさにそれこそ「龍馬」じゃないか!!]
« 「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 女貞 | トップページ | 「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 潮江村之龍 »