「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 長岡郡山田村與樂寺住持之歯
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。]
長岡郡山田村與樂寺住持之歯
寛保三亥年、山田村、与樂寺住持、八十八歲也。七十八歲にて、一歯(いつし)、ぬけて、又、跡へ、齒、生ず、と、いへり。
[やぶちゃん注:私は、左の「親知らず」が(最近の若者の中には「親知らず」を生まれつき持っていない者が有意に多く出現している)、前の大臼歯に向かって押すように存在し、出てこず、痛みが起こったため、二十五歳の時、歯肉を切開して一時間もかけて抜歯した。根が異常な形状をした奇形歯であったためでもあった。面白かったので、歯科医に頼んで貰い、現在も所持している。この住持もそれで、前の歯が抜けた結果、「親知らず」が、すんなりと生えてきたものであろう。なお、私の母方の祖父は歯科医、叔父は歯科技工士で、母は歯科衛生士のようなことをやらされていた(大隅半島のど真ん中の岩川というド田舎で営業していたため、歯科以外の治療もやっていた。昔は、そんなもんだったのだ)。従って、私も歯科学には、人より詳しい。根で化膿した袋「チステ」(これが放置されて脳の視床下部に達すると、死に至る。現に私の勤めていた高校の女生徒がそれで亡くなっている)とか、神経を殺す猛毒の「アルゼン」(=砒素)とかね……。
「長岡郡山田村」現在の高知県香美市土佐山田町(やまだちょう)であろう(ひなたGPS)。
「與樂寺」前の地図の東北の位置に「豫岳」の地名が見える。グーグル・マップ・データで見ると、ここに曹洞宗萬松山(ばんしょうざん)予岳寺(よがくじ)がある。室町幕府八代将軍義政の頃の、長禄元(一四五七)年に山田氏の菩提寺として創建されたと伝える。「よがく」は「与楽」と音通なので、漢字表記を誤ったものと思われる。
「寛保三亥年」一七四三年。吉宗の治世。]
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