「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 幡多郡下山橘村雨乞
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。前回の雨乞繋がりで、それ以前の龍譚とも関連する。]
幡多郡下山橘村雨乞(あまごひ)
幡多郡下山の内楠[やぶちゃん注:「目録」は「橘」で、国立公文書館本(31)でも本文を「橘」とし、「近世民間異聞怪談集成」では、補正傍注『(橘)』を附す。]といふ所に、「白岩權現」といふ神あり。
雩(あまごひ)をするに、不思義[やぶちゃん注:ママ。]に、雨、降る。
渕の上の岩を「白岩」といふ。其渕に船を浮べ、棚を拵(こしらへ)、祭る、よし。
神主は、
「右の白岩に、穴(あな)、有(あり)、其穴に這入(はひいり)て、祈念をする。」
由。
神、納受(なうじゆ)あれば、黑き蛇、出(いで)て、川を渡り、棚の上へ、あがりけるに、果して、雨、ふる也。
与州[やぶちゃん注:「伊豫國」の通称。]ゟ(より)、權現の石を盗む故に、盗まれぬやうに、制しければ、今は、石を借りに來(きた)る。」
と、いふ。
「桐の箱へ入(いれ)、借(か)せば、金子(きんす)を添(そへ)て、戾し來り、禮を云ふ。」
とぞ。
[やぶちゃん注:「幡多郡下山の内楠」(「楠」✕→「橘」○)この部分は、いろいろと調べてみると、最も妥当な読み方は、
*
幡多郡(はたのこほり)、下山(しもやま)の内(うち)、「楠(くすのき)」といふ所に、
*
と判断される。ウィキの「幡多郡」によれば、「旧高旧領取調帳」の中に、「下山上分」・「下山下分」があるとする。後、この二つの地区は、現在の四万十市に編入されており、また、「下山下分」には「橘村」が存在したことが判明する。而して、探してみると、現在の高知県四万十市西土佐橘(にしとさたちばな:グーグル・マップ・データ)であることが判る。
『「白岩權現」といふ神あり』さて、前注を受けて、同一箇所を「ひなたGPS」を見ると、戦前の地図のここに「橘」とあり、そのすぐ下に神社記号があり、その四万十川の対岸にも神社があることが判る。国土地理院図の方でも、この二つは健在で、同じ場所にある。そこで、グーグル・マップで、ここを拡大してみると、この対岸の方の神社が「白岩神社」であることが判った。右岸の方は「八坂神社」。ストリートビューのここで、鳥居が見え、そこに「白岩神社」の文字が視認出来た。而して、この二つの神社は関係があり、「橘の神輿渡し」という祭りが現存することも判った。「日本観光振興協会」公式サイト内のこちらによれば、『西土佐橘地区で毎年』十『月』二十九『日に行われているお祭で』、『八坂神社を出発した神輿』(=御神体)『が舟に乗り、白岩神社のある対岸まで渡』る、とあった。則ち、この二社は、孰れも水神を祀っているものと推定される。四万十川周辺には、古くから、広く水神信仰が盛んであるようであるから、それは「雨乞い」と密接な関係を持っているわけである。グーグル・マップの「白岩神社」の画像はここだが、残念ながら、「石」や「穴」らしきものの画像はなかったが、恐らく、神社名からして、御神体自体が岩であり、本篇の記載から見ると、それが複数個、存在するのではなかろうか? 今一つの「八坂神社」のグーグル・マップ・データの画像もリンクさせておく。]
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