「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 幡多郡上山之蝮(「蝮」は「うはばみ」と読む)
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。標題中の「蝮」は「まむし」ではなく、本文中間部に出るルビ『ウハハミ』を参考にして読んだ。「蝮」(クサリヘビ(鎖蛇)科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii )を「うはばみ」と読むのは、一般的でないが、本邦で最強毒を持つ同種を以って、最強最大の仮想猛獣たる「ウハバミ」(うわばみ:蟒蛇)に当てたのであろうとは理解出来る。]
幡多郡(はたのこほり)上山(かみやま)之(の)蝮(うはばみ)
「上(か)み山(やま)」といふ所にて、享保年中[やぶちゃん注:一七一六年から享保二一(一七三六)年四月二十八日まで。]、材木、仕成(つかまつりなる)場、有(あり)。
其(その)材木を、流出(ながしいだ)す川に、いつの頃よりか、其所(そのところ)の人、云(いひ)ならはし、
「午時(ひるどき)に雨ふる、是は其川の主(ぬし)、有(ある)故(ゆゑ)也。」
とて、
「午の時、過(すぎ)ざれば、毎日、材木を出す事、不成(ならず)。」
と、也。
然(しか)るに、雨の降るといふ所は、渕、有(あり)。
其頃(そのころ)、人夫に「佐八」と言(いふ)者、有(あり)。
此事を
『不審。』
に、おもひ、同輩を、三人(みたり)、言合(いひあは)せ、頃(ころ)は、夏の事也(なり)、午の時に近き時分、彼(かの)渕の邊(あたり)へ行(ゆき)て、凉(すず)み居(ゐ)て、雨の降(ふる)を伺ひけるが、暫(しばらく)有(あり)て、果して、雨、降出(ふりいだ)しぬ。
いづれも、驚恐(おどろきおそ)れて、迯(に)げ、材木小屋へ歸りけるが、佐八壱人(ひとり)は、
「解(とく)と[やぶちゃん注:「解」はママ。底本では、筆者氏、或いは、旧蔵者によって赤字で『得』と傍注が打たれてある。]、見屆(みとどけ)ん。」
とて、渕の側(かたはら)なる山の岸へ上(のぼ)り、大成(だいなる)楠木(くすのき)の根に、つくばひ居(ゐ)て[やぶちゃん注:「蹲ひ居て」。しゃがんでじっとして。]、淵を、見おろし、能々(よくよく)見れば、水面(みなも)に、小蛇、數多(あまた)浮(うか)み、空へ向(むき)て、氣を、吹(ふく)也。
其(その)水氣(すいき)、上へ登り、雨のごとく、降(ふる)にてぞ、有(あり)ける。
佐八、猶も、
「渕の主の正体、見ん。」
とて、我足本(わがあしもと)に、大成(だいなる)石、有(る)を、力を入(いれ)て、押落(おしおと)せば、片岸(かたぎ)の渕の上なれば、渕の深みへ、落入(おちいり)ぬ。
其音、材木小屋へ聞へ[やぶちゃん注:ママ。]ければ、初めともに行(ゆき)し者共、
「扨は、佐八こそ、難に逢(あひ)たるべし。」
とて、走り來り、佐八を呼へば、佐八は、彼(か)の木の下(した)に居て、彼等を、まねくゆゑ、此者共、宻(ひそか)に、佐八が居所(きよしよ)へ來り、
「何事ぞや。」
と問へば、佐八、石を落(おと)たる事を語り、互(たがひ)に、しづまり居(をり)て伺(うかがひ)けるに、暫(しばし)有(あり)て、牛の首の如く成(なる)もの、水中より浮(うか)み出(いで)、四方(しはふ)を見廽(みまは)しけるが、余り、手近(てぢか)故(ゆゑ)か、上に有(ある)佐八が徒(ともがら)は見ず、
『今の石は材木小屋の者どもの仕業(しわざ)。』[やぶちゃん注:かく思ったのだろうその主体者は、蟒(うわばみ)自身である。]
とや、思ひけん、渕を出(いで)て、小屋の方へ行(ゆく)[やぶちゃん注:「近世民間異聞怪談集成」の本文では編者によって『(に)』が補われてある。穏当である。]、其形、大成(おほいなる)蝮(ウワバミ)にて、足、四つ、有(あり)。
是を見るより、
「渕の主、出(いで)たり。」
と言立(いひたて)て、人夫は、我先にと、逃行(にげゆき)ぬ。
佐八等(ら)は、是を見て、山を下(くだ)り、彼(かの)蝮(うはばみ)の跡を從(したがひ)て行(ゆく)。
蝮は、小屋へ入(いり)たれども、人無き故、材木藏の戶の開き居(を)るを見て、藏の內へ入(はい)る。
佐八等、追付(ほひつき)て、藏の戶を立(たて)て、内へ立込(たてこみ)たり[やぶちゃん注:閉じ込めた。]。
「扨、如何(いかが)せん。」
とて、詮義すれども、鑓(やり)・長刀(なぎなた)の類(たぐひ)、なければ、丈夫なる竹の先を、鑓のごとく、切(きり)そぎて拵(こしらへ)る內に、此藏は、當分、小屋同前に建(たて)たれば、內より、蔀(しとみ)を押破(おしやぶ)り、軒の下へ頭(かしら)を出(いだ)すを見て、彼(かの)竹鑓にて、突くに、鱗(うろこ)、すべりて、少(すこし)も不通(とほらず)、其內に、終(つひ)に、壁を押(おし)たをして出)いで)たり。
佐八等、不叶(かながず)して、皆、散々に迯行に、蝮、佐八が方へ、追來(おひきた)る。
佐八は、外(ほか)に兩人(りやうにん)一所(いつしよ)に、足をばかりに迯(にげ)けるが、見返りみれば、彼蝮、紅《くれなゐ》の舌を、ふり、尾を上(あげ)、
「きりきり」
と廽して、追來(おひきた)る有(あり)さま、すさまじき事、いはんかたなし。
佐八等、余り、急に追はれて、大成(だいなる)巖(いはほ)、有(あり)けるを幸(さひはひ)、登りけるに、蝮、すかさず、追來(おひきた)り、岩を卷(まき)て、
「ぎしぎし」
と、しむる。
岩の上には、三人《みたり》、十方(とはう)にくれ[やぶちゃん注:これは「途方に暮れ」の誤記であろう。]、居(をり)たりけるが、佐八、云(いふ)は、
「此儘(このまま)にては、蝮、登り來(きた)るべし。その時は、一人も、助かるべからず。」
とて、彼(かの)竹鑓に、包丁・脇差を拔き、常にしたる手拭(てぬぐひ)を以て、結付(むすびつけ)持(もち)けるに、案の如く、蝮、口を上(あげ)て、吞(のま)んとするに、喉(のんど)の中(なか)へ、力(ちから)に任せて、庖丁を、突込(つつこみ)ければ、强く突(つか)れて、仰(あふ)のけに、はねかへり、轉倒(てんだう)するを見て、聲を上げ、呼(よば)はりければ、爰(ここ)かしこより、人、走り集(つどひ)て、終(つひ)に、彼蝮を、殺しけり。
「其長(たけ)、三丈[やぶちゃん注:九・〇九〇メートル。]ばかり有(あり)し。」
とかや。
「此後(こののち)は、材木を流すに、刻限もなく、少(すこし)も、障(さは)り、なかりし。」
とかや。
[やぶちゃん注:「幡多郡(はたのこほり)上山(かみやま)」の「幡多郡」は既出既注だが、再掲しておくと、高知県の西南部に当たる広域の旧郡名。但し、当該ウィキによれば、今も、天気予報などで、「幡多地域」と呼ばれているとある。旧郡域はそちらの地図を見られたい。その「上山(かみやま)」は、現在の高知県の四万十川上流の山間部に位置する、概ね大部分は、現在の高知県高岡郡四万十町(しまんとちょう)昭和や、その南東直近にある高知県高岡郡四万十町大正などを含む広域山間部の旧称である。]
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