「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 梖多羅
貝多
ばいたら
梖多羅
[やぶちゃん注:標題部のひらがな読みの位置の特異点はママ。]
字彙云梖多出交趾及西域葉可書也
翻譯名義集云多羅舊名貝多此翻岸形如此方椶櫚直
而且髙極髙長八九十尺華如黃木《✕→米》子或云髙七仭【七尺曰仭】
[やぶちゃん字注:「翻譯名義集」の引用の中の「黃木子」は「黃米子」の誤りである。訓読では訂正した。]
是則樹髙四十九尺
西域記云南印度《✕[脱字]→恭》建那補羅國北不遠有多羅樹林三十
[やぶちゃん字注:「西域記」の引用の中の「建那補羅國」の国名は頭に「恭」字が脱字している。訓読では訂した。]
餘里其葉長廣其色光潤諸國書寫莫不采用
*
貝多
ばいたら
梖多羅
[やぶちゃん注:標題部のひらがな読みの位置の特異点はママ。]
「字彙」に云はく、『梖多は、交趾(カウチ)、及び、西域より出づ。葉に、書(ものか)くべき≪もの≫なり。』≪と≫。
「翻譯名義集」に云はく、『多羅は、舊(もと)「貝多《ばいた》」と名づく。此(こゝ)には[やぶちゃん注:「中國」。]「岸《ガン》」と翻《やく》す。形、此方《このはう》の「椶櫚(しゆろ)」のごとく、直《すぐ》にして、且つ、髙し。極《ごく》、髙きは、長《た》け、八、九十尺[やぶちゃん注:二十四・二四~二十七・二七メートル。]。華《はな》は黃米子《わうばいし》のごとし。或《あるいは》云《いふ》、「髙さ、七仭《じん》【七尺、「仭」と曰ふ。】≪と≫。」。是れ、則ち、樹の髙さ、四十九尺。』。≪と≫。
「西域記」に云はく、『南印度の「恭建那補羅《コーンカナプラ》國」の北に、遠からずして、多羅樹の林《はやし》、三十餘里、有り。其の葉、長く廣《ひろく》、其色、光潤《くわうじゆん》。諸國、書寫に、采《と》り用《もちひ》ざると云ふこと、なし。』≪と≫。
[やぶちゃん注:この「梖多羅」「梖多」は、「島根大学学術情報リポジトリ」のここからPDFでダウンロード出来る、三保忠夫氏・三保サト子氏の共著論文『大唐西域記にみえる「多羅樹林」について』(『島根大学教育学部紀要(人文・社会科学)』第三十五巻・平成一三(二〇〇一)年十二月発行所収)の中で、緻密な考証によって、有力な比定同定種として、
単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科コウリバヤシ亜科パルミラヤシ連パルミラヤシ(本邦の同種のウィキでは、和名を「オウギヤシ」とし、別名を「パルミラヤシ」「シュガーパーム」(Sugar Palm)とするが、英文の同種の記載には、この異名はない。ただ、タイで「砂糖」生産の主原料であるから、タイ語では「砂糖の樹」の異名があるものと思われる)Borassus flabellifer
と、
コウリバヤシ亜科コウリバヤシ連コウリバヤシ属コリファヤシCorypha umbraculifera(本邦の同種のウィキでは、和名を「コウリバヤシ」とし、英名から「タリポットヤシ」(talipot palm:サイト「英ナビ」の「talipot」には、名詞で、『南インドとスリランカに生育する丈の高いヤシで、巨大な葉は傘や扇に、また細く切って紙にも使われる』とあった)とも呼ぶとし、また、門池浩二郎氏のサイト「タイの植物 チェンマイより」の同種のページでは、「グバンヤシ」とされ、『別和名 タラバヤシ』とあって、しかもこのページには、現地の寺院に展示されている『ヤシの葉に書かれた経文』の写真が三葉ある(用材のヤシの種は不明とされる。さらに、「グバンヤシの葉に書かれた経文」の項には、『グバンヤシはタイで写経に用いられた』三『種のコリファ属のヤシの一である。タイの南部に生育するので,バンコク王朝での写経利用が多かったのではと思われる。写経は仏教の修行形式であり,北タイでも』百『年ほど前までヤシの葉に書かれていた。タイで紙が作られたのは』三百『年程前であるから,紙が作られてからも』、『ヤシの葉は被書体』(ものを書く素材の意)『として長く使用されていたのである』とあり、さらに、「貝多羅葉」の項では、『サンスクリット語のPatraは葉の意味(だけ)である。しかし』、『貝多羅・葉と漢字音訳(+意訳)されると葉の意味が転じてヤシの葉に書かれた経文の意味に転じるらしい。そうだとすると掲載の画像のヤシの葉は貝多羅葉ということになるが』…。『漢訳仏典では貝多羅(葉)は経文の意ではなく』、『葉の意味で用いらていない』。『ヒチヨウジュはサンスクリット語名sapta pattraで漢訳仏典では七葉樹(sapta=』七『)と訳され、葉という本来の意味(だけ)である』とされ、「タラバヤシの名称」の項では、『タラバヤシ』( Corypha utan )『という和名は漢字では多羅葉椰子と書き』、『貝多羅葉(pattra)からの名称由来らしい?』『貝多羅葉の短縮名は貝葉であるから』、『バイヨウヤシなら理解できるが』…。『オウギヤシ』( Borassus flabellifer )『の漢訳仏典名=多羅樹(tala)の葉も写経に用いられおり』、『こちらの葉のほうこそ』、『多羅葉と訳されるべきである。また』、『貝多羅葉の多羅葉(tara-ba)と』、『オウギヤシ(多羅樹)の葉の多羅葉(tala-ba)は漢字綴りは同一となるが』、『羅はサンスクリット文字ではraとlaの別文字であり』、『全く別の語彙である』。『従って、この名称は紛らわしく混同されやすい。実際』、『混同説明や両義解釈可能説明もかなり見受けられる』。『私はタラバヤシ』( Corypha utan )『は全くの愚名だと思う』。)『当』ページ『のタイトル名は』、『このヤシが広く自生しているインドネシア名と』、『英名からグバンヤシとした』と貴重な深い見解を添えておられる)
の二種が候補とされてある。まず、「オウギヤシ」(=パルミラヤシ)のウィキを引く(注記号はカットした)。『原産は熱帯アフリカで、東南アジアからインド東部にかけて栽培されている』。『高さは』三十メートル『以上にもなり、扇のように放射状に広がる葉を付ける。燃える線香花火を逆さにしたような容姿である。乾燥に強く、内陸部の乾燥地帯でもよく育つ。直径』十五センチメートル『程度の果実を付ける』。ヤシの実の『内果皮内側の胚乳やスプラウトが食用にされる。花序液を煮詰めてパームシュガー』(Palm sugar)『が作られるほか、発酵させてヤシ酒が作られる。 葉は貝多羅葉と呼ばれ、古代から仏教経典の写経の際の紙代わりとして用いられてきた歴史がある。貝多羅葉に書かれた写本を貝葉写本と言う。また、家屋の屋根が作られたり、笠、敷物、カゴ等の工芸品の素材としても用いられる。木の幹も建材や家具材として用いられる』とある。
次に、ウィキの「コウリバヤシ」(=コリファヤシ)を引く(注記号はカットした)。案じ表記は『行李葉椰子』で、『南インド(マラバール海岸)』、及び、『スリランカが原産である』『コウリバヤシは、世界で最も大きいヤシのひとつで、直径』一・三『メートル・高さ』二十五『メートルに達するものもあり、最大直径』語『メートルの掌状葉と』、四『メートルの葉柄』、及び、百三十枚もの『葉をもつ。また、植物の中で最大の花序(』六~八『メートル程度になる)を持ち、幹の先端で形成される分岐した茎から数百万の花で成り立つ』。『一稔性の植物であり、樹齢』三十『年から』八十『年の際』、『一度だけ花を咲かせる。単一の種を含んだ黄色から緑色の直径』三~四『センチメートル程度の果実を数千個結実し』、一『年かけて実が熟した後、枯れてしまう』。『コウリバヤシは、東南アジアから中国南部にかけて栽培されている。歴史的に、葉は貝葉を作成するために用いられ、尖筆により東南アジアの様々な文化を書き綴られてきた。また、葉はそれ以外にも萱葺き屋根の材料としても使用され、樹液はヤシ酒の原料となる』。『マラバール海岸では、数十年前まで、農村地域で伝統的な傘を作るために葉を利用しており、マラヤーラム語で"Kudapana"("Kuba" = 傘 + "Pana" = ヤシ)と呼ばれる』とあった。
「梖多羅」の「梖」を「廣漢和辭典」で引くと、音は「ハイ」で、『木の名。ばいたら。インドに産する常緑高木の一。その葉を経文の筆写に用いる。梖多。貝多。梵語 patora の音訳字。』とある。
「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の編になる漢字字書。全十二巻。所収三万三千百七十九字。二百十四の部首を立て、各部ごとに画数によって配列してある。中文サイトで探したが、いっかな、見つからず、原文に当たれない。
「交趾(カウチ)」コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。
「翻譯名義集」既出既注だが、再掲しておく。南宋の法雲の編になる梵漢辞典。全七巻。一一四三年の成立。仏典の重要な梵語二千余語を六十四編に分類し、字義と出典を記したもの。二十巻本もある。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の古活字版の画像を探し、この画像が、それである(左丁の後ろから三行目中頃から始まっている)。最後をカットしているが、問題はない。「材木篇第三十一」の「多羅」の項である。
「椶櫚(しゆろ)」先行する「椶櫚」(=「棕櫚」)の私の注を参照されたい。
「黃米子」「黃米」は単子葉植物綱イネ目イネ科キビ属キビ Panicum miliaceum で、ここは、そのヤシの「花」が、キビの実のようであるという意味のようである。
「七仭《じん》【七尺、「仭」と曰ふ。】」既に何度か述べたが、「仭」は人体尺で両手を上下に広げた長さ(横に広げたものが「尋(ひろ)」。「一仭」は周代の尺(一尺=二十二・五センチメートル)の七尺(二・八メートル)、或いは、八尺(二・四二メートル)となる。さすれば、ここは七尺と言っているから、「七仭」は「四十九尺」で十四・八四メートルとなる。
『「西域記」に云はく、『南印度の「恭建那補羅《コーンカナプラ》國」の北に、遠からずして、多羅樹の林《はやし》、三十餘里、有り。其の葉、長く廣《ひろく》、其色、光潤《くわうじゆん》。諸國、書寫に、采《と》り用《もちひ》ざると云ふこと、なし。』≪と≫』「コーンカナナプラ」の読みは、東洋文庫訳に振られているものを、先に示した論文のでも同じであることを確認出来たので、そのままに採用した。しかし、先の論文でも、その位置は正確には比定同定する場所は決定していない。ある記載では南インドの境ともあった。その比定地を知ることは、私の注としては必要性を感じない。]
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