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2024/09/09

葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 豚と眞珠

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

      豚 と 眞 珠

 

 草原に放すが否や、豚は食ひはじめる。その鼻は決して地を離れない。

 彼は柔らかい草を選ぶわけではない。一番近くにあるのにぶつかつて行く。鋤鍬《すきくは》のやうに、または盲《めくら》の土龍《もぐら》のやうに、行き當たりばつたりに、たゞ前へ前へと押して行く。よく鼻が草臥《くたび》れない。

 それでなくても漬樽《つけだる》のやうな形をした腹を、もつと丸くすることより考へてゐない。天氣がどうであらうと、そんなことは一向おかまひなしである。

 肌の生毛(うぶげ)が、正午の陽ざしに燃えやう[やぶちゃん注:ママ。]としたことも平氣なら、今また、霰《あられ》を含んだあの重い雲が、草原の上に擴《ひろ》がりかぶさらうとしてゐても、そんなことには頓着しない。

 鵲(かさゝぎ)は、それでも、彈機(ばね)仕掛けのやうな飛び方をして逃げて行く。七面鳥は生籬《いけがき》の中に隱れてゐる。そして、幼々《よはよは》しい仔馬は柏《かし》の木蔭に身を寄せてゐる。

 然し、豚は食ひかけたものゝある所を動かない。

 彼は一口も殘すまいとする。

 彼は、いくらか大儀になつたらしく、尻尾を振らない。

 雹《ひやう》がからだにパラパラと當ると、やうやく、それも不承々々唸《うな》る。

 「うるせえやつだな、また眞珠をぶつけやがる」

 

[やぶちゃん注:本篇の訳は、随所で、岸田氏による、意訳ではなく、確信犯で(やや恣意的とも言える)、日本人に判りやすいものに書き変えられている。例えば、

・第三段落の『漬樽《つけだる》のやうな形をした腹』というのは、原文では“un ventre qui prend déjà la forme du saloir”で、『既に塩漬けに(家で)使う壺のような形になってしまっている腹』の意である。

・第四段落の『霰《あられ》を含んだあの重い雲が、』は、“gonflé de grêle,”で、これはエンディングのシークエンスの『雹』と同じ“grêle”が用いられている。但し、この単語は第一義に「雹」であるが、「霰」をも指す語ではある。フランス語の「雹」相当のウィキは“Grêle”であり、「霰」相当のウィキは“Neige roulée”(「巻いた雪」「ロール状になった雪」「丸めた雪」意)で、後者は二語で、使い勝手は、ちょっと悪い。ルナールなら、ここで「霰」としようと思ったとしても、使わない気はする。ともかくも、岸田は確信犯で、『霰』として、敢えて最後の方を『雹』と訳したのである。それは『眞珠』の洒落を最大限に「大きな真珠」=『雹』を読者に与えるためで、優れた確信犯の訳なのである。

「豚と眞珠」この題名に就いては、一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』の第五巻の佃裕文訳「博物誌」の注によれば(そこでは標題は『豚に真珠』)、『「豚に真珠」(値うちのわからぬものにりっぱな物をやっても無意味である)ということわざ(『新約聖書』「マタイによる福音書」(七の六)をもじったもの』とある。「ウィキソース」の永井直治氏の一九二八年訳「マタイ傳聖福音(新契約聖書) 」第七章第六節を引く。

   *

犬に聖なるものを與ふる勿れ。また豚ぶたの前に汝等の眞珠を投ぐる勿れ。恐らくは彼等これをその足にて蹈みつけ、ふり返りて汝等を裂かん。

   *

「鵲(かさゝぎ)」スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica 。ルナールの作品にはよく登場する。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵲(かささぎ)」を参照されたい。

「七面鳥」キジ目キジ科シチメンチョウ亜科シチメンチョウ属シチメンチョウ Meleagris gallopavo 『「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「七面鳥」』の私の注を見られたい。

「幼々《よはよは》しい」としか読めない。通常は、これで「うひうひしい」だが、それでは意味が通らないので、改版が『弱々(よわよわ)しい』としていることから、かく読んだ。これも一種の岸田風の個人的表現である。

「柏《かし》」これはフランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名は common oakQuercus robur を挙げてもよいだろう。

 なお、後の「博物誌」では、『「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「豚」』のパートの後に同じく『豚と眞珠』の標題で添えてある。]

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