「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 三津浦幽霊
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。]
三津浦幽霊
三津浦、岩貞曽右衞門(いはさださうゑもん)、鯨を突(つき)ける時、羽指(はざし)、一人、タツパに打(うた)れて死(しし)ぬ。不意成(ふいなる)事ながら、不便(ふびん)に思ひ、其鯨は、羽指が妻子に、とらせける、とぞ。[やぶちゃん注:「羽指」小学館「日本国語大辞典」によれば、「羽差」とも表記し、『江戸時代から明治前期にかけて』、『西南日本で行なわれた捕鯨で、勢子船』(せこぶね:鯨を網に追い込み、特に銛を打つ役をした船を指す)『に乗り』、『捕鯨作業の指導的役割に当たる者。鯨に接近すると』、『舳先に立って銛を投げ、最後には弱った鯨の頭上にとび乗って』、『手形切包丁で鯨の潮吹鼻の障子』(しょうじ:鼻中隔の俗称)『を切りぬいた。手形切包丁による作業の刃刺しに由来する名称か』とある。]
或時、三津浦の漁人、夜釣に出(いで)ける。
其夜は、稀成(まれなる)猟をして、既に歸らんとする時、向ふの方(かた)より、鯨、浮(うか)み出(いで)れば、驚(おどろき)、迯戾(にげもど)らんとするに、弥(いよいよ)、近く寄來(よりきたり)て、鯨の、いふ、
「久敷(ひさしく)不逢(あはず)、ゆかしくおもふ也(なり)。」
と、云(いふ)聲は、彼(か)の羽指が[やぶちゃん注:底本は「は」であるが、国立公文書館本(52)で「か」とある(右丁三行目中央下)ので訂した。]聲に、少(すこし)も替(かは)らざれば、恐(おそれ)て迯歸(にげかへ)りぬ。
其後(そののち)、更(かは)る事もなく、人にも語らずして居(をり)けるが、
『いかにも、よき漁(すなどり)しつる。』
を、おもひて、又、夜釣に出(いで)けるに、件(くだん)の鯨、浮(うか)み出(いで)、物言掛(ものいひかけ)ける故、不取敢(とりあへず)、迯戾(にげもど)り、妻子に、その次㐧を語りしが、忽(たちまち)に、乱心せしを、樣々(さまざま)、祈祷して、快復せしと也。
[やぶちゃん注:永年、怪奇談を渉猟してきたが、死者が鯨に変じたという、本篇のような類話は聴いたことがない。奇怪千万の素晴らしい特異点である。この話、幾つものフレーズで検索したが、紹介されある記事は、見当たらなかった。非常に惜しい気がする。
「三津浦」現在の高知県室戸市室戸岬町(むろとみさきちょう)三津(みつ:グーグル・マップ・データ)。Tumurojin氏の「津室儿のブログ」の「室戸市の民話伝説 第60話 ゴンドウ鯨のゴンちゃん」に、『三津港は、古式捕鯨が網掛け突き捕り漁法に代わった貞享』『元(一六八四)年の昔より』、『沖合に網代を設けるなど、捕獲した鯨を引き揚げたスロープが今に遺る。鯨との関わりは三百三十有余年の長い繋がりを持つ土地柄である』とあった。標題の最近の出来事(一九九〇年二月の出来事)も、とても心打たれる話しであるが、引用するには長いので、是非、そちらで読まれたい。]
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