「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 楊櫨
[やぶちゃん注:二図。右下方は上に「山楊櫨」(やまうつぎ)の、左は上に「箱根楊櫨」(はこねうつぎ)のキャプションがある。]
うつぎ 空疏
【和名宇豆木】
楊櫨
疏通也中空
能通故名
曰卯花者宇豆木花
之畧也非寅卯之卯
本綱楊櫨所在皆有生籬垣間其子爲莢
△按楊櫨有數種山空木箱根空木唐空木三葉空木共
山中有之人植籬垣者山空木箱根空木也皆中空故
名空虛木凡揷之能活伹樹無刺又無結赤子者
山宇豆木 高𠀋許皮白肌㴱青心正白而中空甚堅用
[やぶちゃん注:「㴱」は「深」の異体字。]
爲樽槽之橽最佳或匠人削之爲木釘其葉團長【末尖】
四月開小白花成簇可愛俗云卯乃花是也結子狀似
狗椒青黤色不熟而自凋
箱根空木 高𠀋許皮白中空不甚堅葉皺似粉團花之
葉而團尖有細齒㴱綠色四月開花單瓣狀は盞白與
赤相襍成簇花落而朶尚存青色寸許似莢【箱根山多有之故名】
相模
見渡せは浪のしからみかけてけり卯の花さける玉川の里
唐空木 葉山小於山空木花亦不美
三葉空木 葉似山空木而開四瓣白花攅簇毎三葉抱
梗對生摘葉陰乾煎服能治隔噎此樹人家稀
*
うつぎ 空疏《くうそ》
【和名、「宇豆木」。】
楊櫨
「疏」は「通」なり。中空《ちゆうくう》にして、
能く通ずる故《ゆゑ》、名づく。
「卯《う》花《はな》」と曰ふは、「宇豆木の花」の
畧なり。「寅《とら》・卯《う》」の「卯」に非ず。
「本綱」に曰はく、『楊櫨≪の≫所在≪は≫、皆、有り。籬垣《まがき》の間に生じ、其の子《み》、莢《さや》を爲す。』≪と≫。
△按ずるに、楊櫨に、數種、有り。「山空木(《やま》うつぎ)」◦「箱根空木《はこねうつぎ》」◦「唐空木(たう《うつぎ》)」◦「三葉空木(みつば《うつぎ》)」、共に、山中に、之れ、有り。人、籬垣(まがき)に植《うう》る者は、「山空木(やまうつぎ)」・「箱根空木」なり。皆、中空なる故、「空虛木(うつ《ぎ》)」と名づく。凡そ、之れを揷(さ)して[やぶちゃん注:挿し木にして。]、能く活《かつ》す。伹《ただし》、樹に、刺《とげ》、無く、又、赤き子《み》を結ぶ者、無し。
[やぶちゃん注:「◦」は右下に「。」で打たれてあるのを、中央に移動した。]
山宇豆木 高さ、𠀋ばかり。皮、白く、肌、㴱青《ふかきあを》。心《しん》[やぶちゃん注:木の幹。]、正白にして、中《なか》、空(うつろ)にて、甚だ、堅《かた》し。用≪ふるに≫、樽(たる)・槽(ふね)の「橽(のみ)」[やぶちゃん注:樽や桶の下部の排出口の栓(せん)。]と爲して、最も佳し。或いは、匠-人《たくみ》、之れを削りて、「木釘《きくぎ》」と爲す。其の葉、團《まろ》く長し【末、尖《とがれ》り。】。四月、小≪さき≫白花を開き、簇《むれ》を成し、愛すべし。俗、云ふ、「卯の花」、是れなり。子《み》を結び、狀《かたち》、「狗椒(いぬざんしやう)」に似《にて》、青黤《あをぐろき》色。熟せずして、自《おのづか》ら凋む。
箱根空木(はこねうつぎ) 高さ、𠀋ばかり。皮、白《しろく》、中空《ちゆうくう》。甚だ≪しくは≫堅からず。葉、皺(しは[やぶちゃん注:ママ。])みて、「粉團(てまり)」の花の葉に似て、團《まろく》、尖≪りて≫、細かなる齒、有り、㴱綠色《ふかみどりいろ》。四月、花を開く。單-瓣《ひとえ》、狀《かたち》は、盞《ちよく》[やぶちゃん注:盃(さかずき)。]のごとく、白と赤と、相《あひ》襍(まじ)りて、簇《むれ》を成す。花、落ちて≪も≫、朶《ふさ》、尚《な》を[やぶちゃん注:ママ。]存《そん》し、青色≪を成し≫、寸ばかり。莢《さや》に似たり【箱根山、多く、之れ、有り。故に名づく。】。
相模
見渡せば
浪のしがらみ
かけてけり
卯の花さける
玉川の里
唐空木(たう《うつぎ》)は、葉、山空木より小さく、花も亦、美ならず。
三葉空木は、葉、山空木に似て、四瓣《しべん》の白き花を開き、攅-簇(こゞな)る。三葉毎《づつ》[やぶちゃん注:返り点はないが、返して読んだ。]、梗《くき》を抱《いだき》て、對生す。葉を摘(むし)り、陰乾にして、煎≪じて≫服《ふくす》。能《よく》、隔噎《かくいつ》を治す。此の樹、人家に稀《まれ》なり。
[やぶちゃん注:これ、「危険がアブないよ」(「処刑遊戯」の松田優作演じる鳴海昌平がエンデング・シークエンスで、森下愛子演じるアンティーク時計店の主人に忠告する台詞に真似て)レベルで、東洋文庫訳では、全く指摘していないが、私は疑問に感じて、取り敢えず調べたところ、「楊櫨」と「空木」「卯木」は――目タクソンで異なる全く類縁性がない異種――であることが判った。
「楊櫨」は双子葉植物綱マツムシソウ目スイカズラ科タニウツギ属ツクシヤブウツギ変種半邊月 Weigela japonica var. sinica
である。「維基百科」の「半邊月」を見られたい。そこに別名として、「唐本草」から引用で「楊櫨」があるのである! そこには、『中国固有種』とあり、『江西省・四川省・広東省・安徽省・湖北省・貴州省・福建省・湖南省・浙江省・広西省など、中国本土の標高四百五十メートルから千八百メートルの地域に分布し、主に山腹の下層に生育する』とあった。但し、東京大学大学院理学系研究科附属植物園である「日光植物園」公式サイト内の「ツクシヤブウツギ」を見ると、原種であるツクシヤブウツギWeigela japonica は日本固有種のマークが附されてあり、『名前にツクシ(筑紫)が付くのは、九州北部で最初に発見されたことを意味します』とあった。
一方、本邦の、私の好きな「卯の花」は、
ミズキ目アジサイ科ウツギ属ウツギ Deutzia crenata
である。同種の「維基百科」は「齒葉溲疏」である。まっこと! 「危ない……危ない……」(「椿三十郎」の伊藤雄之助演じる城代家老睦田弥兵衛の口癖(加山雄三演じる井坂伊織の口真似で)
そもそも「本草綱目」では、独立項「楊櫨」は確かに異様に短い。「漢籍リポジトリ」の「木之三」の「灌木類」の「楊櫨」([088-57b]以下)から引く(一部に手を入れた)。
*
楊櫨【唐本草】
集解【恭曰楊櫨一名空疏所在皆有生籬垣間其子為莢葉氣味苦寒有毒主治疽瘻惡瘡水煮汁洗之立瘥【唐本】】
木耳
*
ところが、実は、その前の「溲疏」(前項を参照されたいが、植物名未詳である)の中に、「楊櫨」の「集解」の中に「溲疏」の別名として「楊櫨」として挙げられ、以下、本文に二箇所、出現しているのである。されば、時珍は、実際には、この「楊櫨」自体、種として如何なるものであるか、実は知らずに立項している可能性が高いと言えるように思うのである。だから、独立項なのに、語りに全くパンチがなく、物謂いも霞が掛っているようではないか!?!
まあ、ここでは、良安はその辺の事実に、知らんぷりをして、もくもくと本邦のウツギ(但し、以下の注で明らかにするが、「~ウツギ」と呼ばれる真正のウツギの類縁種、さらに、ウツギとは全く異なる種であることが追々判って頂けるであろう)を語っているわけだから、まずは、ウツギとして注を進めよう。
当該ウィキを引く(注記号はカットした)。漢字表記は『空木・卯木』。『アジサイ科』Hydrangeaceaeで、『別名はウノハナ。日当たりのよい山野にふつうに見られる』。『和名のウツギの名は「空木」の意味で、幹(茎)が中空であることからの命名であるとされる。花は卯月(旧暦』四『月)に咲くことからウノハナ(卯の花)とも呼ばれる。中国名は、齒葉溲疏』。『日本と中国に分布し、日本では北海道南部、本州、四国、九州に広く分布する。山野の路傍、崖地、林縁、川の土堤、人里など日当たりの良い場所にふつうに自生し、畑の生け垣にしたり』、『観賞用に庭に植えたりする』。『落葉広葉樹の低木で、樹高は』一~二・五『メートル』『になり、よく分枝する。樹皮は灰褐色から茶褐色で、老木は縦に裂けて短冊状に粗く剥がれる。若い樹皮は茶褐色で、縦に浅く裂ける。枝は生長すると髄が失われて中空になる。株立ちし、樹皮は灰褐色で、古くなると剥がれる。新しい枝は赤褐色を帯び、星状毛が生える』。『葉の形は変化が多く、長さ』五~十二『センチメートル』『の卵状長楕円形から卵状披針形になり、葉柄をもって対生する。葉身は厚く、星状毛が生えてごわごわした感じになる』。『花期は』五~七『月。枝先に円錐花序をつけ、直径』十~十五『ミリメートル』『の白い花を多くまとまってつけ、垂れ下がって咲かせる。普通、花弁は』五『枚で細長いが、八重咲きなどもある。雄蕊は長短』五『本ずつあり、花糸に翼がある。萼には星状毛が生える』。『果期は』九~十『月。果実は蒴果で、直径』四~六ミリメートル『の椀形のような球形をしている。果実の先端には花柱が残る。秋に熟すと』、三、四『裂し、冬でも枝に残っていることが多い』。『冬芽は対生し、卵形で星状毛のある芽鱗に包まれ、枝にも星状毛が密生する。ふつう、枝先に仮頂芽が』二『個』、『つき、芽鱗は』八~十『枚ある。冬芽のわきある葉痕は三角形で、維管束痕が』三『個ある』。『庭木として植えられる。また田畑の畔に植えられて、土地の境界の目印にされたりもする。幹は木釘に加工されて利用される』。『純白の花は「卯の花」とよばれて、古くから初夏のシンボルとして愛され、詩歌に詠まれて親しまれてきた。清少納言の随筆』「枕草子」『には卯の花と同じく初夏の風物詩であるホトトギスの鳴き声を聞きに行った清少納言一行が卯の花の枝を折って車に飾って帰京する話がある。近代においても唱歌』「夏は來ぬ」『で歌われるように初夏の風物詩とされている』。『慣用句「卯の花腐くたし」は』、五『月下旬の長雨を指し、卯の花(ウツギの花)を腐らすほどの雨を意味する。季語としては「花の雨」と「五月雨」との間で、俳句にも頻繁に使われる。ウツギの花言葉は、「思い出」「気品」とされている』。以下、「下位分類」の項で、『変種のビロードウツギ』( Deutzia crenata var. heterotricha )『の他、多くの品種がある』として、五種を挙げてあり、その後に『他属、他科の「ウツギ」』の項で、『ウツギ属に属する種の他にも、ウツギと名のつく木は下記のように数多く、花の美しいものや、葉や見かけがウツギに似たものなどがある。ウツギとは類縁関係が遠い科や属の異なる種でも、幹が中空な植物はウツギと呼ばれていることがある。民間信仰で、中空の枝を持つ植物は神との絆が強いと考えられ、神聖なものとされた。そのため』、『「○○ウツギ」と名のついたものがたくさんできたと考えられている』と述べ、六科の「~ウツギ」の和名を、十一種、挙げてある。
「山空木(《やま》うつぎ)」「コトバンク」の日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」によれば、別称として正規のウツギ及びハコネウツギ(後注する)以外に、五種の和名を記す。以下、その学名を記す。
○シソ目シソ科キランソウ亜科クサギ属クサギ Clerodendrum trichotomum var. trichotomum (当該ウィキを参照されたい。以下同じ)
○シソ目シソ科ムラサキシキブ属ムラサキシキブ Callicarpa japonica (当該ウィキ。因みに、良安は先行する「鼠李」で、誤って、本種をそれに宛てている)
○バラ目アジサイ科アジサイ属ノリウツギ Hydrangea paniculata (当該ウィキ)
○イラクサ目ニレ科ニレ属ハルニレ Ulmus davidiana var. japonica (当該ウィキ)
○マツムシソウ目スイカズラ科タニウツギ属タニウツギ Weigela hortensis (当該ウィキ)
「箱根空木《はこねうつぎ》」ウツギとは同一グループでは、全然、ない、マツムシソウ目 スイカズラ科タニウツギ属ハコネウツギ Weigela coraeensis であるので、注意されたい。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『別名でベニウツギ、ゲンペイウツギともよばれる。ゲンペイは源平で、すなわち花の色がはじめ白色だが、のちに紅色になることからそう呼ばれる。標準和名は、箱根に多いとして付けられた名であるが、箱根に限らず』、『日本列島の太平洋側に自生している。ウツギは漢字で卯木あるいは空木と書くが、卯木は卯月(陰暦』四『月、陽暦』『五月)に咲くからといわれ、空木は小枝が中空なのでその名がついたものである』。『日本の北海道南部から九州まで分布する。海岸近くに自生するが、公園樹や庭木、垣根などにも植えられる。「箱根」と名につくが』、実は、『神奈川県の箱根には自生しない』(太字下線は私が附した)とある。『落葉広葉樹の低木から小高木で、高さ』四『メートル』『になる。樹形はよく株立ちするが、老木になると主幹が太くなり、上方で枝がよく生い茂る。樹皮は灰褐色で、一年枝は褐色で縦長の皮目がある。枝は弓なりになって伸びるのが特徴的である。枝が古くなると灰褐色となり、稜ができる。葉は対生し、長さ』八~十六『センチメートル』『の広楕円形から広倒卵形で、裏面の葉脈に沿って毛がある。葉縁には鋸歯がある』。『花期は』五~七『月。枝先と葉腋に花を』一~三『個ほど咲かせ、白い花が次第に赤へと変化する。花冠は長さ』三十~四十『ミリメートル』『の漏斗状で、ニシキウツギに似ているが、花冠の筒部は中央から急に太くなる点で異なる。果期は』十~十一『月。果実は長さ約』三センチメートル『ほどある』。『冬芽は、芽鱗が多数つき、頂芽が側芽より大きく、側芽は枝に伏生する。側芽のわきにつく葉痕は、三角形や倒松形で維管束痕が』三『個』、『つき、両側から稜が出る』とある。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。
「唐空木(たう《うつぎ》)」これは、ウツギと同属のウツギ属トウウツギ Deutzia parviflora である。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。
「三葉空木(みつば《うつぎ》)」これは、全然、ウツギとは別種の、ムクロジ目ミツバウツギ科ミツバウツギ属ミツバウツギ Staphylea bumalda である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。漢字表記は『三葉空木・三つ葉空木・省沽油』(最後は中文名)で、『山地の沢沿いなどに生える。若葉はゆでて山菜として食用にされる』。『和名「ミツバウツギ」の由来は、小葉が』三『枚ある複葉で、ウツギに似た白い花をつけることから名付けられている。別名で、コメゴメ、コメウツギ、コメノキ、ハシウツギなどがある。関東地方や東北地方の地方名で「ハシギ」「ハシノキ」ともよばれており、かつて箸に利用されたことによる』。『日本の北海道・本州・四国・九州・沖縄に分布するほか、朝鮮半島、中国』を含む『東アジア一帯に分布する。平地から山地、特に低山帯に多く分布する。原野、川の縁、やぶなどの山地寄り、山麓の山林の樹木下でよく見られ、雑木に混ざって生える。適度に湿った土地では、日当たりのよい場所にも生える』。『同属は北半球の温帯に』十『種ほど分布する』。『落葉広葉樹の低木で、高さ』二~五『メートル』『になる。樹皮は灰褐色で縦の筋が入る。細くて長い灰褐色の枝がたくさん出て、茎はウツギと同様に中空となる。枝の元には枯れた小枝が何本も残っている。一年枝は褐色や紫褐色で、無毛で皮目がある。葉は小葉が』三『枚ずつ』、『つく』。三『出複葉で、枝の節ごとに長い葉柄を持って対生する。小葉は先が尖った卵形から長卵状楕円形で、葉縁に細かな鋸歯がある』。『花期は初夏』の五~六月頃で、『花は枝先に円錐花序をなして、筒型の白い花が穂状になって、垂れ下がるように咲』か『せる。花は水平に完全には開くことはなく半開きの状態であるが、花弁・がく(各』五『枚)とも白く、よく目立つ。果実は偏平で先の尖った軍配のような形をした蒴果で、シワがあり、二股の風船のような形に例えられる。秋に熟して、先端は』二、三『裂する。冬でも果実が枯れ姿で枝に残っていることもある』。『冬芽は広卵形や半球形の鱗芽で無毛、芽鱗は栗褐色で』二『枚』、『つく。枝先に仮頂芽が2個つき、側芽が枝に対生する。葉痕部分は膨らんでいて目立つ。葉痕は半円形で、維管束痕は』三~九『個』、『つく』。『新芽や若葉、蕾は食用になる。採取時期は、関東地方以西など暖地が』四~五『月ごろ、東北地方以北など寒冷地が』五~六『月ごろとされ、伸び始めた新芽を摘み取る。梅雨入りするころにはアブラムシ』(有翅亜綱半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科 Aphidoidea に属する「アブラムシ」類でアリマキ(蟻牧)とも呼ぶ)『が発生して、食用には適さないという。若芽は茹でて水にさらし、おひたし、ごま・酢味噌などの和え物、煮物、炒め物、煮びたしにする。また生で天ぷら、汁の実、油炒めにしたり、細かく刻んで炊き上がった米飯に混ぜて蒸らし、混ぜご飯(菜飯)にもできる。蕾はさっと茹でて、三杯酢、寒天寄せ、すまし汁の浮き実にする。食味は、柔らかい葉にはアクやクセがなく上品な味わいで、老若を問わず好まれると評されている』。『かつては、材から箸や櫛、木釘に利用された』とある。
「橽(のみ)」当初、「飲み口」が原義かと思ったが、「デジタル大辞泉」に、「のみ」(衣袽・船筎・𦀌・袽)で、『ヒノキやマキの内皮を砕いて柔らかくしたもの。舟や樋(とい)などの材の継ぎ目につめこんで』、『水漏れを防ぐのに用いる』ものとし、別に「のめ」「まいはだ」と読むとあった。この初出例として「太平記」の第三十三巻の「新田左兵衞佐(さひやうゑ)義興(よしおき)自害事」に、『矢口の渡りの船の底を二所(ふたところ)を彫(ゑ)り貫いて、のみを差し』を引いてある。Santalab氏のブログ「Santa Lab's Blog」の『「太平記」新田左兵衛佐義興自害事(その9)』が、原文(新字正仮名。但し、当該部の歴史的仮名遣には誤りがある)と現代語訳があるので、見られたい。所持する『新潮日本集成』の「太平記」第五巻(山下宏明校注・昭和六三(一九八八)年刊)の「のみ」の頭注に、『船の底に設けた排水用の穴にさし込む栓。関西では酒樽などにつける栓をも言う。』とあったので、すっきりした。寺島良安は出羽能代(一説に大坂高津)の商人の子として生まれたが、後に大坂に本拠を移し、大坂城入医師となり、法橋に叙せられている。なお、所持する「言海」を見ると、「のみくち」に『吞口』として、『樽ニ、孔』(あな)『ヲ穿チ、塡』(は)『メ込ミ置キテ酒醬油ナド出ス口トスル管、栓ニテ拔キ差シス、注口 管注』(下線は底本では二重右傍線)とあったが、酒はまだしも、醬油をそこから飲むというのは、おかしく、やはり、以上の防水材が原義と推定される。「呑口」は、たまたま一致したものであり、漢字が極めて稀な字であることから、転訛したものと思われる。
「狗椒(いぬざんしやう)の花」「犬山椒」は、双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ属イヌザンショウ変種イヌザンショウ Zanthoxylum schinifolium var. schinifolium 。当該ウィキによれば、『果実を煎じた液や葉の粉末は漢方薬に利用される』。『樹皮や果実を砕いて練ったものは湿布薬になる』とある。グーグル画像検索「イヌザンショウの花」をリンクさせておく。
「粉團(てまり)」キク亜綱マツムシソウ目レンプクソウ科ガマズミ属ヤブデマリ変種ヤブデマリ Viburnum plicatum var. tomentosum 。当該ウィキに花の画像がある。
「箱根山、多く、之れ、有り。故に名づく」前掲引用で示した通り、箱根山には自生しない。最初の命名が優先される結果の和名であろう。
「見渡せば浪のしがらみかけてけり卯の花さける玉川の里」「相模」これは「後拾遺和歌集」の「卷三 夏」に載る(一七五番)、「百人一首」の六十五番の「恨み侘びほさぬ袖だにあるものを戀にくちなむ名こそ惜(を)しけれ」で知られる、平安後期の歌人の相模(生没年不詳:長徳四(九九八)年頃から康平四(一〇六一)年以降か)の一首である。
*
正子(まさこ)內親王の、繪合(ゑあはせ)し
侍(はべり)ける、かねの册子(さうし)に、
書き侍ける
見わたせば
波のしがらみ
かけてけり
卯の花さける
玉川の里
*
「正子內親王」は後朱雀天皇皇女。「かねの册子(さうし)」銀箔を張った冊子を指す。
「隔噎《かくいつ》」東洋文庫の割注に、『(食物がつかえてのどを通らない症)』とある。]
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