葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 肥つた子供と瘠せた子供
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここから。「肥(ふと)つた」というルビが、初出部でなく、後に振られてあるのは、ママである。]
肥つた子供と瘠せた子供
公園の同じ並木道、鳩とつぐみが親しげに入りみだれてゐる、その中に、二人の婦人が隣り合つて腰をおろしてゐた。お互に識らない同士であつた。が、二人とも、一人の子供を連れてゐた。薔薇色の着物を着た婦人は、肥(ふと)つた子供を、黑い着物を着た婦人は瘠せた子供を連れてゐる。
始めのうち、彼女らは、口を利かないで、互に見合はせてゐた。そのうちに、それとなく相方《さうはう》から躙(にじ)り寄つた。
「坊や、赤ちやんにぶつかるよ」
「坊や、赤ちやんに砂掬《すなすく》ひを貸しておあげ、兄《にい》さんみたいに」
突然、黑衣の婦人は、堪へ兼ねて、蕎薇色の婦人に聲をかけた。
「まあ御立派《ごりつぱ》な赤ちやんですこと、奧さま」
「有がたう御座います、奧さま。みなさんがよくさう仰しやつて下さいますんですよ。いくらさう仰しやられても、こればかりは聞き倦きませんの。でも、母親の眼で見ますと、自分の子ですもの、どうしても贔屓眼《ひいきめ》つて云ふものがありましてね」[やぶちゃん注:「贔屓眼《ひいきめ》つて云ふもの」は底本では「贔屓眼つね云ふもの」となっている。「ね」は意味が通らないので、誤植と断じ、改版を元に「て」に代えた。]
「そんな、あなた、いくら御自慢なすつたつてよう御座んすわ。綺麗でまぶしいやうですもの。見てゐるだけでも好《い》い心持ちになりますわ。あのしつかり締つた肉附《にくづき》、生(なま)でたべてもよう御座んすわね。どうでしせう、笑靨《ゑくぼ》がいつぱい、どこにもかしこにも。おてゝ、あんよ、恐ろしいやうですわ。百年は大丈夫ですわね。まあ、あのかんかんの房々《ふさふさ》して輕さうだこと。失禮ですけれど、なんぢや御座いませんか、やつぱり鏝(こて)をおかけになるんでせうね、そさうでせう、奧さま」[やぶちゃん注:「かんかん」「髪」の幼児語。]
「いゝえ、奧さま、そんな、わたくし、子供の頭にかけて誓ひますわ、そんな勿體《もつたい》ない、汚《けが》らわしい、鏝(こて)なんか、髮の毛に對して申しわけがあるものですか。生れたときから、あれなんで御座ひますわ」
「さうでしせうとも、奧樣、ほんとにね、おしあはせですわね、お母さまが。心の底からお羨しく思ひますわ」
二人の婦人はそばに寄りそつた。その間《あひだ》、瘠せた子供が、輕《かろ》うじて呼吸(いき)をしながら、地上に投げ出されてゐた。黑衣の婦人は肥(ふと)つた子供を抱き上げて、重さを測つたり、あやしたり、眺め入つたり、そして、眼を見張つて「まあ、なんて重いんでしょう、ほんとに、なんてまあ重いんでしょう」を繰り返していた。[やぶちゃん注:「輕《かろ》うじて」は読みは私が附したが、改版で『かろうじて』となっている。しかし、この漢字は誤りである。「かろうじて」は「辛うじて」で「辛(から)くして」の音変化したものだからである。恐らくは岸田氏の書き癖と思う。彼には、歴史的仮名遣の勘違いや、当て字が、しばしば見られる。]
「褒めて頂いてよろこんでますわ」薔薇色の婦人は云つた「でも、あなたの赤ちやんはおとなしくつてゐらつしやるやうですわね」
黑衣の婦人は、がつかりして、淋しく笑つた。自分がかうまで一生懸命になつてゐるのに、その報酬なら、もつと何んとかした挨拶が聞きたかつた。眞面目な平凡なお愛想より、氣の利いた空御世辭《からおせじ》の方がましだとさへ思つた。もう諦めてはゐるものゝ、彼女は、まだ心のうちで嘆いてゐるやうに見えた。
薔薇色の婦人はそれと見てとつた。機轉の利《き》かなかつたことが恥かしく、それに心底(しんそこ)は優しい彼女は、瘠せた子供を膝の上に抱き取り唇の先を押しあて、勿體らしくかう云つた。
「奧さま、こんなこと、あなたがお母さまだから申すんぢやありませんよ、でも、わたくし、あなたの赤ちやんも、大變御立派だと思ひますわ、かう云ふ風《ふう》なたちの赤ちやんとしてはね」
[やぶちゃん注:本篇は珍しく、改版では、細部で、かなり改訳した箇所が多くある。悪意があるわけではなく、語彙が足りず、しかも、普通に母としての子へのエゴイスティックな偏愛を持っている「薔薇色の婦人」と、これまた、全く同じような内的双方向性のない「黑衣の婦人」との、無限遠心的なチグハグな空言葉の応酬の干乾びたループの始終を再現するのに、岸田氏は、かなり苦心したものと見える。
「つぐみ」原文は“Merle”は、私の辞書では、確かに『鶇(つぐみ)』とあるのだが、スズメ目ツグミ科ツグミ属Turdusはフランスでは種が多く、かく、名指しただけでは、種同定は出来ない。実は、ルナールの作品には、盛んに「鶇」が出て来るのだが、『「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「くろ鶇(つぐみ)!」』で私は、『クロツグミ Turdus cardisは名の割には、腹部が白く(丸い黒斑点はある)、「のべつ黑裝束で」というのに違和感がある。これは「クロツグミ」ではなく、♂が全身真黒で、黄色い嘴と、目の周りが黄色い同じツグミ属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる』と注した。その程度に、ルナールの言う種をこれと名指すのは、至難の業なのである。]
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