葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 蟻と鷓鴣
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。標題は「ありとしやこ」。]
蟻 と 鷓 鴣
一匹の蟻が、雨上りの轍(わだち)の中に落ち込んで、溺れやう[やぶちゃん注:ママ。]としてゐた。その時、一羽の鷓鴣の子が、丁度水を飮んでゐたが、それを見ると、嘴《くちばし》で拾ひ上げ、命を助けた。
「此の御恩はきつと返します」と蟻が云つた。
「わたし達はもうラ・フオンテエヌの時代にゐるのではありません」と懷疑主義者の鷓鴣が云ふ「勿論あなたが恩知らずだと云ふのではありません。が、わたしを擊ち殺さうとしてゐる獵師の踵《かかと》に、あなたはどうして食い附くことができます。今時の獵師は素足で步きませんよ」
蟻は、餘計な議論はしなかつた。そして、急いで、仲間の群《むれ》に加はつた。仲間は、一列に並べた黑い眞珠のやうに、同じ道をぞろぞろ步いてゐた。
處が、獵師は遠くに居なかつた。一本の樹の蔭に、橫向きになつて寢てゐた。彼は、件《くだん》の鷓鴣が、刈つた秣《まぐさ》の間で、ちよこちよこ、餌を拾つてゐるのを見つけた。彼は立ち上つて、擊たうとした。すると、右の腕がむずむずする。鐵砲を構え[やぶちゃん注:ママ。]ることができない。腕が、ぐつたり垂れる。鷓鴣は獵師が取り直すのを待つてゐない。
[やぶちゃん注:「鷓鴣」まず、和名「シャコ」は、狭義には、キジ科キジ亜科Phasianidaeシャコ属Francolinusに属する鳥を言い(本属は本邦には棲息しない)、広義には、キジ科の中のウズラ( Coturnix 属)よりも大きく、キジ( Phasianus 属)よりも小さい鳥類をも言う。但し、原作では“perdreau”(ペルドロー)とあり、これは一般的に、フランスの鳥料理で、キジ亜科ヤマウズラ Perdix 属(本属も本邦には棲息しない)、及び、その類似種の雛を指す語である(親鳥の場合は「ペルドリ」“perdrix”)。食材としては“grise”(グリース。「灰色」という意味)と呼ぶヤマウズラ属ヨーロツパヤマウズラ Perdix perdix と、“rouge”(ルージュ。「赤」)と呼ぶアカアシイワシャコ Alectoris rufa (同属もキジ亜科)が挙げられ、特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる後者が、上物として扱われることが、昨年の『「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蟻」』の注の再検討の最中に新たに知り得たので、特にお知らせしておく。
「ラ・フオンテエヌ」十七世紀のフランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(Jean de la Fontaine 一六二一年~一六九五年)。「イソップ寓話」を元にした「寓話詩」( Fables :一六六八年刊)で知られる(有名なものに「北風と太陽」「金のタマゴを産む牝鶏」などがある)。辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、その『『寓話詩』のなかに、おぼれかかったありを救ったはとを、ありがあとですくって恩返しをする話がある(二の一二)』とある。
なお、この話は、“ Histoires Naturelles ”(初版は一八九四年)の一九〇四年版で採録されたものの、一九〇九年版では削除されている(一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』の第五巻の佃裕文訳「博物誌」の後注に拠った)。ルナールは、あまりに寓話臭さが強過ぎるので、後年、気に入らなくなってしまったものかも知れない。]
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