「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 永田段作殺狼
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。]
永田段作殺狼(おほかみをころす)
西川村(にしがはむら)、郷士(がうし)、永田段作(ながただんさく)と云(いふ)者、娘を一里斗(ばかり)隣村(とんりむら)へ、緣付(えんづけ)しが、宝永五子年五月十五日の夜、娘、平產し、
「初產(うひざん)の事成(ことな)れば無心許(こころもとなし)。」
とて、其夜(そのよ)、段作、見舞(みまひ)に行(ゆき)しが、存外、安產にて、肥立(こえだち)ければ、其夜、
「直(すぐ)に可歸(かへるべし)。」
と云(いひ)けるに、老人の義、殊に夜も更(ふけ)候へば、
「明日、早々、御歸可然(しかるべし)。」
と、留(と)めけれども、
「自分、手作(てさく)の最中(さいちゆう)、疎外(おろそかのほか)、取込居(とりこみをり)候。」[やぶちゃん注:「手作」自作している最中の物があったことを指す。藩士より格下の郷士であり、日々の生活も不如意で、農耕なども行っていたから、そうした、明日にも使いたい農機具を、丁度、作っていた最中だったのかも知れない。「疎外」は「近世民間異聞怪談集成」の字起こしだが、読みに疑問が拭えず(私は江戸時代以前の書物で「疎外」という熟語を見た記憶がないからである)、最後まで、崩し字を別な判読で出来ないか探ったが、やはり「疎外」以外にはなかったので、かく自信のない訓を附さざるを得なかった。]
とて、夜更(よふけ)、一人、歸(かへり)けるが、坂中(さかなか)にて歯朶原(しだはら)より、山犬(やまいぬ)、一疋、飛出(とびいで)、段作が跡へ成(なり)、先へ成(なり)、付(つけ)ねらひける。[やぶちゃん注:狼が人を襲う場合の行動様式として、古い作品によく出て来るものである。逆に山神の使者としての狼が、山中から帰る人間を守る際にも、全く同じ方法で送ることでも知られる。]
段作、居合(ゐあひ)の覚(ぼえ)、有(あり)ければ、時合(じあひ)[やぶちゃん注:「頃合い」。]を見合(みあはせ)、拔打(ぬきうち)に切付(きりつけ)ると、ひとしく、山犬は、何方(いづかた)へ行(ゆき)けん、其儘、見へ[やぶちゃん注:ママ。]ず成(なり)りぬ。
『扨(さて)は。「眞二つに切(きり)たる。」と思ひしに、仕損(しそんじ)たるこそ、殘多也(のこりおおきなり)。』
とて、刀を見れば、血、たまりぬるを、麓(ふもと)の流(ながれ)にて、洗ひ、宿(やど)へ歸り、妻子共(さいしども)へ、娘が安產の咄(はなし)して、休みける。
其後(そののち)、廿日(はつか)斗(ばかり)過(すぎ)て、家内(いえうち)に、何やら、惡(あし)き臭(カザ)、出(いで)て、其臭(そのかざ)、日を追(おひ)て、次㐧(しだい)に盛(さかん)に成(なり)、後(のち)は、食事も難敷(むつかしき)体(てい)也。
色々、詮義[やぶちゃん注:ママ。](せんぎ)すれ共(ども)、不知(しれざり)しが、段作次男、
「能々(よくよく)、考れば、何分(なにぶん)、親父殿(おやじどの)寐間(ねま)より出(いづ)るやうに覚ゆ。」
とて、段作が居間の疊を揚げ、敷板(しきいた)、はづし、床(ゆか)の下を見れば、大成(おほいなる)山犬、切られながら、紐皮(ひもかは)[やぶちゃん注:細い紐を連ねたようになった狼の皮革。]斗(ばかり)殘(のこり)て、死(しし)し、その切口の肉、くさり、たゞれて、六月の頃なれば、臭氣に吐逆(とぎやく)し、氣(き)、塞(ふさが)る斗(ばかり)也。
直(ただち)に引出(ひきいだし)、野原にて、燒捨(やきすて)たり。
其時、段作、云(いひ)けるは、
「先夜(さきのよ)、娘方(むすめがた)より、歸る時、坂中(さかなか)より、山犬に付(つけ)られ、其儘、切(きり)たりしが、扨(さて)は、山犬、我跡を、したひ、忍入(しのびいり)、
『敵(かたき)を取(とる)べし。』
と、思ひしに、深手(ふかで)なれば、本望(ほんもう)達(たつ)せず、死(しし)たる成(なる)べし。」
と語りければ、家內の者、初(はじめ)てその事を聞(きき)、山犬の怨念(をんねん)の深き事を、しれり。」
とぞ。
[やぶちゃん注:「西川村」高知県の旧香美郡西川村(にしがわむら)現在の香美市・安芸市・香南市に跨って存在した。「Geoshapeリポジトリ」の旧「高知県香美郡西川村」のページで現在の国土地理院図で赤で囲った旧村域が確認出来る。まさに鬱蒼たる内陸の山林を村域とする不思議な形状をした地区である。この「野川」の旧地名は「ひなたGPS」の戦前の地図でも、最早、確認出来ず、旧同地区に「野川」の名は残っていない。]
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