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2024/09/08

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 﨑之濵鍛冶之祖母

[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。標題は「さきのはま、かぢの、そぼ」と訓じておく。]

 

     﨑之濵鍛冶之祖母

 野根山(のねやま)の伏木といふ大木、近年、倒(たふ)れて、今に、有(あり)。

 此(この)木は、昔、奈半利(なばり)の女、㙒根(のね)へ行(ゆき)、道半(みちなかば)にて產(さん)せし時、飛脚、行(ゆき)かゝりて、產婦を、揚げ置(おき)し木也。

 山犬(やまいぬ)、夥敷(おびただしく)來りし時、飛脚、山犬を、悉く、切伏(きりふせ)ければ、山犬が云(いふ)、

「﨑濵の『鍛冶(かぢ)が婆々(バヾ)』を呼來(よびきた)れ。」

と言(いひ)しより、須臾(しゆゆ)の內(うち)に、大(おほ)山犬、來りしを、是をも切(きり)たりしより、此女、難を遁(のがれ)つる事、昔咄(むかしばなし)に言傳(いひつた)へし事也。

 其(その)鍛冶が居宅(きよたく)の跡、﨑濵、田中に、「石ぐろ」にしてあり。

「今、鍛冶が子孫は、絕(たへ)て、なけれども、其血緣(けちえん)のもの、男女(なんによ)とも、一躰(いつたい)の毛(け)、逆(さかさ)に生(はえ)る。」

と、いへり。

 手の毛を、下へ撫(なづ)れば、逆立上(さかだちあが)り、上へ撫れば、順(したがふ)なる。」

と、いふ。

「『鍛冶が婆々』の、血緣(けちえん)の、しるし。」

とぞ。

 

[やぶちゃん注:「﨑之濵」現在の室戸市佐喜浜町(さきはまちょう:グーグル・マップ・データ)。

「野根山」佐喜浜町の現在の町界を、少し、北へ抜けた、安芸郡北川村(きたがわむら)弘瀬(ひろせ)にある標高九百八十四メートルの野根山(グーグル・マップ・データ)。「ひなたGPS」の国土地理院図の方で標高を調べた。ここは、山犬(絶滅したニホンオオカミと思われる)に襲われるほどの山中であるが、実は、ここには。非常に古くからある旧「野根山街道」があるのである。平凡社『日本歴史地名大系』によれば、この街道は『高知城下から東行して海岸沿いに阿波国に至る土佐街道(東街道)のうち、野根山(九八三・四メートル)を越える奈半利(なはり)』(本文に出るところの現在の安芸郡奈半利町(なはりちょう:グーグル・マップ・データ。以下同じ))『から』、『野根』(現在の高知県安芸郡東洋町(とうようちょう))『までの』山越えの『街道をいう。「土佐幽考」は「自奈半利村至野根甲浦、通阿波国那賀郡宍喰村、坂路也、山中行程十里高峻凌雲」と記す』。『野根山越の道は古く、「続日本紀」養老二年(七一八)五月七日』の『条に「土左国言、公私使直指土左、而其道経伊与国、行程迂遠、山谷険難、但阿波国、境土相接、往還甚易、請就此国、以為通路、許之」とあり、この時』、『土佐国府への官道が阿波国から直接土佐に入るルートに変更された。そのルートは異説もあるが、野根山を越える』、『のちの土佐街道(東街道)ともされる。この道も延暦一五年(七九六)には廃され、のちの北山(きたやま)越の土佐街道(北街道)にあたるルートに代えられた』。『しかし以後も』、『野根山越の道は使用されており、承久三年(一二二一)土御門上皇が』「承久の乱」の朝廷方の敗北によって、自ら望んで配流となった『土佐国畑(はた:幡多)』(伝承地はここ)『へ流される途中』、『雪にあい、難渋した折に「うき世にはかゝれとてこそ生まれけめことはり知らぬ我涙かな」と詠じた』(「増鏡」)『のも、野根山越の途中とするのが通説である』とあった。ここに、街道の「一里塚」・「お茶屋場」・「塚ノ塔」の史跡がポイントされている。

「伏木」読み不詳。「ふしき」或いは「ふせぎ」か。伝承内容からは「防ぎ」も利かした後者か。

「鍛冶が婆々(バヾ)」老いた雌の狼であろう。四国には狐は自然分布していなかったとする説が永く支配的であったが、どうも現在では、少数の個体群が自然分布していることが確認されている。但し、本土のような狐憑きの伝承は四国には少ないと思われ、その代りに、古くから「犬神憑き」が、よく知られているのである。狼と野犬は、民俗社会では、明確に弁別されていたわけではないので、相互転換は普通に意識の中で行われていたものと思う。

「﨑濵、田中」現在の佐喜浜町には「田中」という地名はない。「ひなたGPS」の戦前の地図も調べたが、見当たらない。とすれば、これは或いは地名ではなく、一般名詞の「でんちゆう」ではあるまいか? そうすると、以下の「石ぐろ」が、「石畔(畦・壠)」であって、「土の代わりに石を盛り上げた田の境・あぜ」、或いは、「他の中の石で以って小高くなった場所」の意で、躓かないのである。

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