「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 安喜郡田野浦地藏
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。「安喜郡田野浦」の郡名は「安藝郡」の誤りか。安芸郡田野町は土佐湾に面している(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。しかし、「田野浦」なら、高知県の土佐湾の安芸郡の西南西の対称位置にある幡多(はた)郡黒潮町田野浦がある。「をどり谷」(「踊り谷」?)の地名も、「ひなたGPS」で双方を調べたが、見当たらない。しかし、「大野山」というのが出るが、田野町の地名に「ひなたGPS」で見出せた。グーグル・マップ航空写真で、ここである。中央東に低い丘陵があり、北西方向にやや高い丘陵がある。郡名の誤りとなら、ここの周辺がロケーションである可能性が高いように思われるところだが、「西福寺」は見出せないものの、同寺の「境內田野浦の方に「田野浦大師堂」というのがあるので、如何ともし難い。郷土史研究家の方の御教授を乞うものである。]
安喜郡田野浦地藏
安㐂郡(あきのこほり)田㙒浦へ、寛延[やぶちゃん注:一七四八年から一七五一年まで。徳川家重の治世。]の頃、漁人(ぎよじん)の網に、かゝり、地藏の像を引上(ひきあげ)しに、御長(おんたけ)、二丈[やぶちゃん注:六・〇六メートル。]斗(ばかり)も有(あり)ければ、
「佛頭ばかりを安置せん。」
とて、堂、建立し、廚子(づし)に安置す。
厨子の寸尺、麁念[やぶちゃん注:ここは「大雑把な計測」の意。]、有(あり)けん、地藏の耳、つかへて、不入(いらざり)しかば、大工源作といふもの、耳を削(けづり)て、安置せし、と也。
佛頭、凡(およそ)五尺斗(ばかり)、佛體は、久敷(ひさしく)積置(つみおき)たりしを、近年、大㙒山へ埋(うづ)メぬ。
其所(そこ)を、今、「をどり谷」といふ。
地藏堂は、西福寺の境內、大師堂の脇に有(あり)。
異國より、流來(ながれきた)りしものならん。
大工源作は、耳を削し祟りや有(あり)けん、子に痴獃(アホウ)[やぶちゃん注:「獃」は「呆」の古い字体。]、生(うま)れ、次子(じし)は癩(らい)を病(やみ)て、家、斷絕せし、と也。
[やぶちゃん注:「癩」については、何度も注してきた。その中でも最も古い記事である「耳囊 卷之四 不義の幸ひ又不義に失ふ事」の私の「癩」の注を読まれたい。]
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