葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 岩燕
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
岩 燕
その日の夕方は、魚が一向かゝらなかつた。然しわたしは、稀な興奮をもつて歸つた。
わたしが釣竿を垂れてゐると、一羽の岩燕《いはつばめ》その上に止まつた。
これくらゐ派手な鳥はない。
それは、大きな靑い花が長い莖の先に咲いてゐるやうだつた。竿は重みでしなつた。わたしは、岩燕に樹と間違へられた、それが大《おほい》に得意で、息を殺した。
怖がつて飛んで行つたのでないことはうけ合ひである。一本の枝から別の枝に跳びうつるつもりでゐたにちがひない。
[やぶちやん注:最終段落の「一本の枝から」の「枝」は、底本では「杖」となっている。言わずもがなであるが、明らかな誤植であるからして、特異的に訂した。
さて、「岩燕」であるが、和名で言うそれは、スズメ亜目ツバメ科ツバメ亜科イワツバメ属イワツバメDelichon dasypus であるが、そもそも、イワツバメはヨーロッパには分布しないから(当該ウィキを参照されたい)、あり得ない。原文は“LE MARTIN-PÊCHEUR”であって、これは、現在の大きな仏和辞典でも、しっかり「カワセミ」=ブツポウソウ目カワセミ科カワセミ亞科カワセミAlcedo atthis としていて、フランス語の「イワツバメ」は、“Hirondelle de fenêtre”(「穴の燕」の意)、或いは、“Hirondelle de Bonaparte”で、間違えようがないと思ったのだが、実は英語の全く同じ綴りの“martin”は、「尾が有意に角ばっているツバメの種・個体」を“swallow”と区別して、かく記すことが判明した。辞書では、通常、総ての生物種を指す単語までは載せきれないから、岸田氏は、これが如何なる種なのか判らなかったのであろう。そこで、後半の“pêcheur”は、“pêche”で「魚釣り」の意であることから、英語の“martin”と重ねるなら、海岸の岩場などに、泥と枯れ草を使って巣を作る……『うん、イワツバメか!』と当て込んで、かく訳してしまわれたものと思われる。岸田氏の訳は後の岩波文庫版「ぶどう畑のぶどう作り」でも、残念なことに、「岩燕」のままであるが、後の『「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「かはせみ」』では表題・本文ともに「かわせみ」に正しく変更されてある。]
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