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2024/09/28

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 扶桑

 

Bussouge

 

ぶつさうげ 佛桑 朱槿

      赤槿 目及

扶桑

      △按佛桑花來於琉

      球揷枝能活然性畏

      寒冬難育也花正紅

      色無似之者惜哉

 

本綱扶桑產南方乃木槿別種也其樹莖葉皆如桑葉光

而厚木高四五尺而枝葉婆娑其花有紅黃白三色紅者

尤貴呼曰朱槿花色五出大如蜀葵重敷𭩲澤有蕋一條

[やぶちゃん注:「𭩲」は「柔」の異体字。]

長如花葉上綴金屑日光所爍疑若熖生一叢之上日開

數百朶朝開暮落自五月始至中冬乃歇揷樹卽活

 

   *

 

ぶつさうげ 佛桑       朱槿《しゆきん》

      赤槿《せききん》 日及《につきふ》

扶桑

      △按ずるに、「佛桑花」、琉球≪より≫

      來る。枝を揷して、能《よく》活《い》

      く。然《しか》るに、性、寒を畏れ、

      冬、育ち難きなり。花、正紅、色、之

      れに似たる者、無し。惜しいかな。

 

「本綱」に曰はく、『扶桑、南方に產す。乃《すなはち》、木槿《むくげ》の別種なり。其の樹、莖・葉、皆、桑のごとし。葉、光りて、厚し。木の高さ、四、五尺にして、枝葉、婆娑《ばさ》たり[やぶちゃん注:乱れ舞うようである。]。其の花、紅《くれなゐ》・黃・白の三色、有り。紅の者、尤も貴《たふと》し。呼んで、「朱槿」と曰ふ。花色[やぶちゃん注:これは良安の引用パッチワークのミスで、「花瓣」(はなびら)を指している。]、五《いつつ》出《いで》、大いさ、「蜀葵(からあをい[やぶちゃん注:ママ。])」のごとくして、重敷《かなさりしき》、𭩲《やはらか》≪にして≫、《光》澤≪あり≫。蕋《しべ》、一條《ひとすぢ》、有り、長くして、花、葉の上に綴(つゞ)るごとく、金≪の≫屑《くづ》を日光の爍(かゞや)かすにして、疑ふらくは、熖(ほのを[やぶちゃん注:ママ。])の一叢《ひとむら》の上に生ずるがごとし。日《ひ》に、數百朶《すひやくだ》[やぶちゃん注:「朶」は枝に咲いている花房(はなぶさ)を数える際の数詞。]を開く。朝、開き、暮に落つ。五月より始めて、中冬に至りて、乃《すなは》ち、歇(や)む。樹を揷(さ)して、卽ち、活(つ)く。』≪と≫

 

[やぶちゃん注:「扶桑」「ぶつさげ」はともに、

双子葉綱アオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属ブッソウゲ Hibiscus  rosa-sinensis

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。漢字表記『仏桑花』、他に『扶桑花、仏桑華とも。沖縄では赤花』(あかばなー)『ともいう』。『ハイビスカスとも言うが、フヨウ属の学名・英名がHibiscusであることから、この名前は類似のフヨウ属植物を漠然と指すこともあって、複雑なアオイ科』Malvaceae『の園芸種群の総称ともなっている』。『極めて変異に富み』、八千種『以上の園芸品種が知られているが、一般的には高さ』二~五『メートルに達する熱帯性低木で、全株無毛』、時に、『有毛、葉は広卵形から』、『狭卵形』或いは、『楕円形で』、『先端は尖る』。『花は戸外では夏から秋に咲くが、温室では温度が高ければ』、『周年開花する。小さいものでは直径』五『センチメートル、大きいものでは』二十『センチメートルに及び』、ラッパ『状』、又は、『杯状に開き、花柱は突出する。花が垂れるもの、横向きのもの、上向きのものなど変化に富む。花色は白、桃、紅、黄、橙黄色など様々である。通常、不稔性で結実しないことが多い』。五『裂の萼の外側を、色のついた苞葉が取り巻いているので、萼が』二『重になっているように見える。よく目立つ大きな花は花弁が』五『枚で、筒状に合体した雄蕊の先にソラマメのような形の葯がついていて、雌蕊は』五『裂する。果実は』五『室の豆果で、多数の種子が入っている』。『中国南部原産の説やインド洋諸島で発生した雑種植物であるとの説もあるが、原産地は不明である。本土への渡来は、慶長年間』『に薩摩藩主島津家久が琉球産ブッソウゲを徳川家康に献じたのが最初の記録として残っているという』。私が最も信頼するサイト「跡見群芳譜」の「樹木譜」の「ぶっそうげ(仏桑華)」では、『琉球には、古くからあるが、いつどこから入ったか不明』。『本州本』土『には、慶長』(一五九六年~一六一五年)『年間に入る。一説に、寛永』八(一六四一)年に『薩摩藩が徳川家康に献上したのが、日本における初見という』とある。『ほぼ一年中咲くマレーシアでは、マレー語でブンガ・ラヤと呼び、国花として制定している。マレーシア国内で使われているリンギット硬貨にも刻印され』、『親しまれている花のひとつである』。『また、ハワイの州花ともなっている』。『日本では南部を除き』、『戸外で越冬できないため、鉢植えとして冬は温室で育てる。鉢植えの土は砂、ピート』(peat:泥炭)『などを多く混ぜた軽いものを用い、ときに液肥をあたえる。繁殖は通常、挿木で行い、梅雨期に一年枝を砂にさし、発根後』、『土に植える。大輪種は在来種に接木を行う必要がある』。『沖縄県では庭木、生垣とする。沖縄南部では後生花』(ぐそーばな)『と呼ばれ、死人の後生の幸福を願って墓地に植栽する習慣がある』。『中国では赤花種の花を食用染料としてシソなどと同様に用い、また熱帯アジアでは靴をみがくのに利用するといわれ、shoe flowerの別名がある』とある。以下に「ブッソウゲを称する他の植物」の項があるが、必要性を感じないのでカットする。

 「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「木之三」「灌木類」の「扶桑」([088-69b]以下)の独立項のパッチワーク。現本文で示したように、継ぎ接ぎを致命的に誤っている部分は、今までも、想像より、遙かに多い(五月蠅くなるので、殆んどは訓読で私が操作補正してきたのである)。そもそも「本草綱目」は、どこもかしこも、複数の異なる、李時珍よりも前の医師・本草家たちの時珍によるパッチワークなのであるから、それを、またまた、パッチワークしてしまえば、トンデモない矛盾が、腐るほど生じてくるのは、火を見るより明らかなのである。

「木槿《むくげ》の別種なり」前項「木槿」で見た通り、木槿は、

双子葉植物綱アオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属 Hibiscus 節ムクゲ Hibiscus syriacus

であるから、同属の別種で正しい。

「桑」これは、日中ともに、双子葉植物綱類バラ目クワ科クワ属 Morus では一致する。但し、中国には自生しない種も分布するので、注意が必要。先行する「桑」を参照されたい。]

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