「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 神祭之節 ギヨウジ
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここ。「ギヨウジ」はママ。]
神祭之節(しんさいのせつ) ギヨウジ
城下近辺、神祭に、「行事(ぎやうじ)」と称し、神の形代(カタシロ)に、十歲より、十二、三歲の童(わらは)、白粉(おしろひ)にて、顏を塗り、明衣(あかはたり)[やぶちゃん注:神事・儀式に用いる浄衣(じょうえ)。「あけのころも」「あかは」とも読む。]を飾(かざり)、神主、祈念すれば、睡眠《すいめん/すいみん》するを、馬に乘せ、脇より、大勢、聲を上(あげ)てゆくに、睡眠し、不知(しらず)。
祭(さい)、終り、神前に、おゐて[やぶちゃん注:ママ。「於いて」。]、神主、又、耳に附(つけ)て、祓文(はらひもん)を誦(じゆ)すれば、其儘、睡(ねむり)、覚(さむ)る事也。
是(これ)、遠境(ゑんきやう)の祭禮に無き事にて、他國にも、此(この)傳(つたへ)、なき事、とぞ。
神変不測(しんぺんふそく)の至(いたり)也。
先年(せんねん)、秦山翁(じんざんをう)より、此(この)行事の事を、澁川春海翁へ、委細(ゐさい)、書記(かきしる)して、見せられければ、春海、甚(はなはだ)感じける、と也。
京の「藤森祭(ふじのもりまつり)」に、婦女、馬に乘行(のりゆく)事あれども、是は、給仕の爲(ため)にて、形代(かたしろ)に、あらず。
[やぶちゃん注:『城下近辺、神祭に、「行事(ぎやうじ)」と称し、……』高知城城下の近辺となると、高知城内及び城下の総鎮守であるのは、高知八幡宮であるが、この語り口は、明らかに同神社ではない。この儀式、子どもを形代とするに、何らかの薬物を使用したか、或いは、睡眠術にかけているのは明白で、覚醒の直前の神主の仕草から、後者の可能性が大である。或いは、これ、そのやり口が、淫祠邪教に近いものと受け取れるので、敢えて神社名を伏したものと推定される。
「秦山翁」既出既注の谷秦山。
「澁川春海翁」(しぶかははるみ/しゆんかい 寛永一六(一六三九)年~正徳五(一七一五)年)は前のリンク先に出ている秦山の師の一人。小学館「日本国語大辞典」によれば、『江戸初期の暦算天文学者。京都の人。幕府碁方安井算哲の長男。本名』は安井『算哲。通称』、『六蔵・助左衛門。社号は土守霊社。春海』『は字(あざな)。のち、渋川と改姓。家業を継いで幕府の碁方となり、また、宣明暦を改め』、『貞享暦を作り』、『天文方になった。著書「天文瓊統(けいとう)」「日本長暦」など』とある。
「京の藤森祭」現在の京都府京都市伏見区深草鳥居崎町(ふかくさとりいざきちょう)にある藤森神社(グーグル・マップ・データ)で、現行、五月五日に渡って行われる曲乗りが演じられる「駈馬(かけうま)神事」で知られる。但し、婦女が乗馬する画像は、画像検索で調べたが、見当たらなかった。]
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