葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版始動 / 力持ち
[やぶちゃん注:本篇は一八九四年(本邦では「日清戦争」が起こった明治二十七年相当)に「にんじん」の出版に次いで、同名の題で「土地の便り」及び「エロアの控え帳」の二篇と合わせて、文芸雑誌『メルキュール・ド・フランス』(‘ Mercure de France ’)で知られる同名出版者から三百部限定で刊行された(一九〇一年に増補再版されている)。底本は、日本で最初に翻訳された、岸田國士譯の国立国会図書館デジタルコレクションの大正一三(一九二四)年四月春陽堂刊の総標題「葡萄畑の葡萄作り」初版を用いた。ここが標題ページで、本文「力持ち」は、ここから。
傍点「﹅」は太字に代え、私の注を一部に附したが、その際、原文はフランス版ウィキペディアの“Jules Renard”にリンクされたテクスト・サイト“Gallica”のPDFファイル版“LE VIGNERON DANS SA VIGNE”を、また「雄鶏」以降の「博物誌」の初稿ともいうべき複数項目については、私が、新たに、昨年末に各個電子化注(原文附)した『「博物誌」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文)』を参考にした。また、所持する臨川書店一九九五年刊の『ジュール・ルナール全集』第四巻所収の同作(柏木勇隆雄氏訳)も参考にする。最後のものは、必ず、引用を明記する。
実は私は、十六年前の二〇〇八年十二月十三日に、サイト版で、一九七三年岩波書店刊の岩波文庫「ぶどう畑のぶどう作り」(第十刷・改版。初版は昭和一五(一九三八)年刊。新字新仮名)を公開しているが、やはり、初版の正字正仮名を電子化したいもの、と、ずっと思っていた。父の逝去から五ヶ月が経過し、未だ後始末はエンドレス状態だが、そうした、なんとなく落ち着かない気分を紛らわすために、大好きなルナアルの作品を、今日より、再開することに決した。
本底本は、ルビが非常に少ない。されば、一部の読みが振れると判断した箇所には、私の推定で《 》で歴史的仮名遣の読みを添えた。
また、底本では、直接話法が改行されているが、その場合、岸田氏は、一字下げをしている。また、鍵括弧の台詞の終りには句読点は、ない。それらは、そのまま再現した。
岸田氏は、しばしば、歴史的仮名遣を誤る。これは、もう一種の思い込みによる誤用で、岸田氏の作品では、頻繁に見られる癖であり、恐らくは校正係が指摘したこともあろうが、直すことはなかったようだ。私のタイプ・ミスと思われるのは厭なので、執拗(しゅう)ねくママ注記を附した。
なお、原文は、今回は附さずに、おく。原文との対比は、時間が異様に掛かり、他にやっているルーティンの電子化注に、甚だ、支障が生ずるためである。]
葡萄畑の葡萄作り
力 持 ち
誰《たれ》もその男の云ふことを信じようとはしなかつた。が、彼が、腰掛を離れ、足を踏み鳴らし、昂然と頭を上げて棒切れの積んであるところへ行く、その落ち着き拂つた樣子で、强さうな男だとは、誰も見て取つたのである。
彼は一本の長い、丸い薪《まき》を取り上げた。それは一番輕さうなのではなく、その中で、一番重いやつに違ひなかつた。その棒には、おまけに、節くれや、苔や、古い雄鷄《をんどり》のやうに蹴爪までついてゐた。
先づ、その男は、その棒ぎれを振り𢌞して、そして怒鳴つた。
「見たまえ、諸君、こいつは鐵の棒よりも固い。處が、吾輩は、かく申す吾輩は、それを膝で二つに折つて御目にかける。マツチ棒のやうに折つて御目にかける」
此の言葉に、男も女も、敎會堂でのやうに、一齊に伸び上つた。新婚のパルジエ、半聾《はんつんぼ》のペロオ、それから噓を吐《つ》かせることの出來ないラミエなどが、そこにゐた。パブウもいた。さうさう、カステルも、そのカステルならかう云ふかも知れない――平生、夜の集りなどで、めいめい力自慢の話をし合つて、次から次へ人を驚かした評判の連中は悉くそこにゐたと。
その晚は、彼等は笑はなかつた。それはたしかだ。彼等は既に、身動きもせず、口を緘《つぐ》んだまゝ、その力持ちを感心して見てゐるのである。彼等のうしろでは、寢てゐる子供の鼾《いびき》が聞こえる。
その男は、彼等を全く威壓したと見て取つた。こゝぞとばかり、彼は傲然と身構え[やぶちゃん注:ママ。]た。膝を曲げた。そして、悠々と薪を取り上げた。
暫くの間、それを、力瘤《ちからこぶ》を入れた兩腕の先に振つてゐた。――多くの眼が輝いてゐた。人々の口が息づまるやうに開いてゐた。――彼は薪を膝にあてた。えい! やツ! 掛け聲もろとも、脚《あし》が折れた。
[やぶちゃん注:「薪」原文は“bǔche”で、「まき・たきぎ」の意であるが、どうも、最も重い一本を選ぶ際、「たきぎ」という日本語は、私の認識では、どうも気軽に持てる細い感じがするので、敢えて「まき」と訓じた。
「パブウ」原文は“Papou”であるから、「パプウ」が正しい(正確に音写すると「パプウ」)。誤植であろう。]
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