「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 木槿
[やぶちゃん注:この挿絵、他には、まず見られない、花(但し、まだ開花していない)に向かって近づく蝶と思しいものが描かれている。]
むくげ 朝開暮落花
花奴玉蒸
木槿 椴 藩籬草
櫬 蕣 日及
モツキン 【俗云無久計木槿字音訛】
[やぶちゃん注:「槿」は一貫して「グリフウィキ」のこの異体字であるが、表示出来ないので、総て正規正字の「槿」で示した。以降の項目でも同じ箇所は、総て「槿」で通す。この注記は再掲しない。]
本綱木槿人家多種植爲籬障小木可種可揷其木如李
其葉末尖而無鋸齒其花如小葵小而豔或白或粉紅有
單葉千葉者五月始開此花朝開暮斂結實輕虛大如指
頭秋㴱自裂其中子如榆莢泡桐馬兠鈴之仁種之昜生
[やぶちゃん字注:「㴱」は「深」の異体字。]
嫩葉可茹作飮代茶
木皮根【甘滑】治腸風瀉血痢後熱渴赤白帶下及瘡癬
脫肛【用皮或葉煎熏洗後以白礬五倍子末傅】花亦同功滑而能潤燥
△按木槿花有數品單瓣而大者名舜英以賞之總木槿
花朝開日中亦不萎及暮凋落翌日不再開寔此槿花
一日之榮也然其花僅一瞬故名蕣之說者非也詩云
有女同車顏如蕣華者稱其艷美耳又搞葉水少和挼
[やぶちゃん注:「搞」は「敲」の異体字で「叩(たた)く」の意であり、これは。「本草綱目」を確認したところ、「摘」の誤字であるので、訓読では訂した。「挼」は「揉」に相当する中国の文語文漢語。]
之甚黏用傅牝痔痛者良
盛短旋花金錢花壺盧白粉草牽牛花黃蜀葵茉莉木芙
蓉扶桑娑羅樹棗花皆然而銀杏花一開卽落比此等
花則木槿可謂耐久者矣自古相誤稱朝顔矣眞朝顏
牽牛花相當矣
万葉朝かほは朝露負てさくといへと夕影にこそ咲き增さりけれ
舜英 白槿單葉其花大似木芙蓉枝葉無異或白槿
花摘去葉假用海石榴枝葉儼如眞海石榴花美又能
止瀉痢用花陰乾煎服或以淡未醬汁煑啜
*
むくげ 朝開暮落花《てうかいぼらくくわ》
花奴玉蒸《くわどぎよくじやう》
木槿 椴《だん》 藩籬草《はんりさう》
櫬《しん》 蕣《しゆん》 日及《につきふ》
モツキン 【俗、云ふ、「無久計《むくげ》」。
「木槿」の字音の訛《なまり》。】
「本綱」に曰はく、『木槿、人家、多く、種植《たねうゑし》て、籬-障(まがき)と爲《な》す。小木なり。種《うう》べく、揷《さしきす》べく《✕→べし。》其の木、李《すもも》のごとし。其の葉末《はのすゑ》、尖りて、椏《また》≪の≫齒《ぎざ》、無し。其の花、小≪さき≫「葵《あふひ》」のごとく、小にして、豔《あでやか》≪なり≫。或いは、白く、或いは、粉紅《うすべに》≪にして≫、單葉《ひとへ》、千葉《やへ》の者、有り。五月、始めて、開く。此の花、朝に開きて、暮《くれ》に斂《ちぢ》まる。實を結ぶこと、輕虛《けいきよ》にして、大いさ、指の頭《かしら》のごとく、秋、㴱くして、自《おのづか》ら裂け、其の中≪の≫子《み》、「榆《にれ》」≪の≫莢《さや》、「泡-桐《きり》」・「馬兠鈴《ばとれい》」の仁《にん》のごとし。之れを種《ま》いて、生(は)へ[やぶちゃん注:ママ。]昜《やす》し。嫩葉《わかば》、茹《ゆでく》ふべし。飮《のみもの》と作《な》し、茶に代《か》ふ。』≪と≫。
『木皮根【甘、滑。】腸風《ちやうふう》・瀉血《しやけつ》・痢《げり》の後《のち》≪の≫熱≪や≫渴《かはき》・赤白《ながち》・帶下《こしけ》、及び瘡癬《さうせん》を治す。』≪と≫。『脫肛≪には≫、【皮、或いは、葉を用ひ、煎じて、熏洗《くんせん》≪して≫後《のち》、「白礬《はくばん》」・「五倍子《ごばいし》」の末《まつ》を以つて、傅《つ》く。】。花≪も≫亦、功、同じ。滑《なめらか》にして、能く、燥《かはける》≪を≫潤《うるほす》。』≪と≫。
△按ずるに、木槿≪の≫花、數品《すひん》、有り。單瓣《ひとへ》にして、大なる者、「舜英《しゆんえい》」と名づく。以つて、之れを賞す。總て、木槿≪の≫花は、朝、開きて、日中も亦、萎(しぼ)まず、暮に及びて、凋(しぼ)み、落ち、翌日、再たび、開かず。寔《まこと》に、此の槿花《むくげのはな》、「一日《いちじつ》の榮《さかへ》」なり。然《しか》るに、其の花、僅《わづか》に一瞬なる故、「蕣《しゆん》」と名づくの說は、非なり。「詩」に云はく、『女《ぢよ》 有り 車《くるま》を同《おなじ》ふし 顏《かんばせ》 蕣華《しゆんくわ》のごとし』と云《いふ》は[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、其の艷美《えんび》を稱するのみ。又、葉を摘《つみ》、水《みづ》、少し、和《わ》して、之れを挼(もめ)ば、甚だ、黏(ねば)る。用ひて、牝痔《ひんじ》≪の≫痛《いたむ》者に傅(つけ)て、良し。
盛《さか》り、短《みじか》きは、[やぶちゃん注:原本ではここに「◦」が左下に打たれてあるが、読点に代えた。また、以下の「◦」は原本では右下に打たれているのを、かく、した。]「旋花(ひるがほ)」◦「金錢花(ごじくは[やぶちゃん注:ママ。])」◦「壺盧(ゆうがほ[やぶちゃん注:ママ。])」◦「白粉草(おしろいぐさ)」◦「牽牛花(あさがほ)」◦「黃蜀葵(きとろゝ)」◦「茉莉(まり)」◦「木芙蓉(もくふよう)」◦「扶桑(ふさう)」◦「娑羅樹(しやらじゆ)」◦「棗(なつめ)の花」、皆、然《しか》り。而《しかして》、「銀杏花(いちゑうくは[やぶちゃん注:総てママ。])」は、一《ひと》たび、開きて、卽ち、落つ。此等《これら》の花に比すれば、則ち、木槿は、久《ひさしき》に耐《たふ》る者と謂ふべし。古《いにし》へより、相《あひ》誤《あやまり》て、「朝顔《あさがほ》」と稱す。眞《まこと》の「朝顏」は、「牽牛花《けんぎうくわ》」、相《あひ》當(あた)れり。
「万葉」
朝がほは
朝露《あさつゆ》負(おふ)て
さくといへど
夕影(ゆふかげ)にこそ
咲き增(まさ)さりけれ
舜英 白槿(しろむくげ)の單葉(ひとゑ[やぶちゃん注:ママ。])。其の花、大にして、「木芙蓉《もくふよう》」に似たり。枝葉、異《こと》なること、無し。或いは、白槿の 花を≪して≫、葉を摘去(むしり《さり》)、「海石榴(つばき)」の枝葉を≪以つて、≫假《かりに》用ふれば、儼《おごそか》に眞《まこと》≪の≫「海石榴≪の≫花」のごとく、美なり。又、能《よく》、瀉痢を止む。花を用ひて、陰乾《かげぼし》にして、煎≪じて≫、服す。或いは、淡《うすき》未醬汁(みそ《しる》)を以つて、煑て、啜《すす》る。
[やぶちゃん注:「木槿」「槿」は日中ともに、
双子葉植物綱アオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属 Hibiscus 節ムクゲ Hibiscus syriacus
である。
「維基百科」も「木槿」である。諸辞書の記載にブレがあるが、中国・インド原産とするが、本邦には古くに伝来し、生垣とされたとある。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『別名ハチスは本種の古名である。庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花である。中国名は、木槿(朝開暮落花)』。『和名は、「むくげ」。「槿」一字でも「むくげ」と読むが、中国語の木槿(ムーチン)と書いて「むくげ」と読むことが多い。また、『類聚名義抄』には「木波知須(きはちす)」と記載されており、木波知須や、単に波知須(はちす)とも呼ばれる』「万葉集」では、『秋の七草のひとつとして登場する朝貌(あさがお)がムクゲのことを指しているという説もあるが、定かではない。白の一重花に中心が赤い底紅種は、千宗旦が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれる』。『中国語では「木槿」(ムーチン、もくきん)、韓国語では「무궁화」(無窮花; ムグンファ)、木槿;モックンという。英語の慣用名称の rose of Sharon は』、『ヘブライ語で書かれた』「旧約聖書」の「雅歌」にある『「シャロンのばら」に相当する英語から取られている』。『中国が原産で、観賞用に栽培されている。主に庭木や街路樹、公園などに広く植えられている。中近東でも、カイロ、ダマスカス、テルアビブなどの主要都市で庭木や公園の樹木として植えられているのを良く見かける。日本へは古く渡来し、平安時代初期にはすで植えられていたと考えられる。暖地では野生化している』。『大型の落葉広葉樹の低木。樹高』三~四『メートル』『くらいになる。樹皮は灰白色から茶褐色で、成木になると』、『縦に浅く裂ける。枝は繊維が強靱でしなやかさがあり、手で折り取るのは困難である』。『葉は互生し、卵形から卵状菱形、浅く』三『裂し、葉縁に粗い鋸歯がある』(☜後で注で問題にする特徴なので注意されたい)。『花期は夏から秋(』七~十『月)。枝先の葉の付け根に、白、ピンク色など様々な花色の美しい花をつける。ハイビスカスの類なので』(本種のフヨウ連 Hibisceae・フヨウ属 Hibiscus・節 Hibiscus で判る)、『花形が似ている。花の大きさは径』五~十『センチメートル』。五『花弁がやや重なって並び、雄しべは多数つき、雌しべの花柱は長く突き出る。花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。花は一日花で、朝に開花して夕方にはしぼんでしまう。ふつうは一重咲きであるが、八重咲きの品種もある』。『果実は蒴果で卵形をしており、長さは約』二センチメートル『で星状の毛が密生し、熟すと』五『裂して種子を覗かせる。種子は偏平な腎臓形で、フヨウ』(フヨウ属フヨウ Hibiscus mutabilis 。中文の正式名は「木芙蓉」であるが、本邦と同じく一般通称は「芙蓉」である。「維基百科」の「木芙蓉」を参照されたい)『の種子よりも大きく、背面の縁に沿って長い毛が密生している。冬でも枝先に果実が残り、綿毛の生えた種子が見える』。『冬芽は裸芽で、星状毛が密生する。頂芽は葉痕などが重なって、こぶ状になった上につく。葉痕は半円形で、左右に突き出た托葉痕があり、托葉が残ることもある。葉痕につく維管束痕』三~六『個だが、わかりにくい』(以下、「園芸品種」が列挙されているが、カットする)。『ムクゲはフヨウと近縁であり接木が可能。繁殖は春で、芽が萌える前に挿し木を行う。根が横に広がらないため、比較的狭い場所に植えることができる。刈り込みにもよく耐え、新しい枝が次々と分岐する。性質は丈夫なため、庭の生け垣や公園樹に利用される。日本では花材としても使い、夏の御茶事の生け花として飾られたりする』。『大韓民国では、法的な位置づけがあるわけではないが』、『国花とされている。国章や、最高位の勲章である無窮花大勲章であり、韓国軍領官(佐官)の階級章、警察のすべての階級の階級章には、ムクゲの意匠が含まれる。このほか、韓国鉄道公社は列車種別の一つとして「ムグンファ号」を設定している。また、ホテルの格付けなどの星の代わりにも使用されている。古くは崔致遠』(八五八年~?:新羅末の文人)の「謝不許北國居上表」に『世紀末の新羅が自らを「槿花郷」(=むくげの国)と呼んでいたことが見える。韓国の国歌「愛国歌」でも「ムクゲ 三千里 華麗なる山河」と歌われている』。『日本では、北斗市、清里町、壮瞥町の花・木にも指定されている』。『樹皮を乾燥したものは木槿皮(もくきんぴ)という生薬である』。六~七『月ごろに樹皮を採って、天日乾燥して調製される。抗菌作用があり、水虫に薬効があるとされ、民間療法では、木槿皮』を一ヶ『月以上漬け込んでから』、『患部に塗る用法が知られている』。『蕾を乾燥したものは木槿花(もくきんか)という生薬である。夏の開花直前に蕾を採取して、天日乾燥して調製される。胃炎、下痢止め、口の渇きの癒やし、健胃に用い』る。以下、「文化の中のムクゲ」の冒頭では、室町期の立花(りっか)の様相を伝える華道書「仙伝抄》である室町末期頃の成立かとされる作者不詳の写本「仙傳抄」から始めて、『「禁花(基本的には用いるべきではない花)」とされ』てきたムクゲが、江戸中期には『禁花としての扱いはなくなっている』という経緯を語り(興味がないので、簡約に整理した)、それ『以降は一般的な花材となり、様々な生け花、一輪挿し、さらには、枝のまたの部分をコミ』(木密:古流の生花で器に花を留める方法(花留)として、槿の枝二本を割って短く切り、剣山に対してV字型になるように置く方法)『に使用して、生け花の形状を整えるのに使われてきた。茶道においては茶人千宗旦がムクゲを好んだこともあり、花のはかなさが一期一会の茶道の精神にも合致するとされ、現代ではもっとも代表的な夏の茶花となっている。花持ちが悪いため』、『花展には向かず、あまり一般的な花材ではないが、毎日生け替えて使うことで風情が出る。掛け花や一輪挿しなどによく使われる』。「白氏文集」の『巻十五、放言の「松樹千年終是朽 槿花一日自成栄」(松の木は千年の齢を保つがいずれは朽ち、ムクゲの花は一日の命だがその生を大いに全うする)の文句でもよく知られる。この語句が「わずか一日のはかない栄え」の意に取られて、「槿花一日の栄」「槿花一晨の栄え」「槿花一朝の夢」といったことわざをも生んだ』。『俳句では』、『秋の季語である。俳諧師の松尾芭蕉は』貞享元(一六八四)年八月、「野ざらし紀行」(「甲子吟行」)の『旅で、「道のべの木槿(もくげ)は馬にくはれけり」という句を』大井川を超えて後に『詠んで』いる。『小林一茶も、「それがしも其(そ)の日暮らしぞ花木槿」という句を』残している(梅塵本「八番日記」文政期の作)。『江戸時代後期の歌人、香川景樹は』「桂園一枝」『にて』、「生垣の小杉が中の槿の花これのみを昔はいひし朝がほの花」と『詠んでおり、「槿」は「あさがほ」と読ませ』ている。『明治から大正にかけて、アララギを代表した斎藤茂吉は第二歌集』「あらたま」で、「雨はれて心すがしくなりにけり窓より見ゆる白木槿(しろむくげ)のはな」という歌を詠ん』でいる、とある。なお、ちょうど、今、私の亡き母が、家に上る階段の横に植えた数本の木槿が、白と、内側が紅色の花を、美しく咲かしている。
「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「木之三」「灌木類」の「木槿」([088-68a]以下)の独立項のパッチワーク。原文を、かなり強烈にバラバラにして、強引に組み直している。
「花奴玉蒸《くわどぎよくじやう》」これは中文の「百度百科」のこちらで、槿を用いた、漢方処方及び薬膳の名であることが判る。
「椴《だん》」この漢字は漢語としては、二種の樹を意味する。一つは、「白楊」(キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属マルバヤナギ Salix chaenomeloides :先行する「白楊」を参照されたい)に似た木で、今一つに本種ムクゲの意がある。孰れも「爾雅」を引用しているので、古くから二種を指す語として存在したことが判る。なお、この漢字、本邦の国字では、マツ科モミ属トドマツ Abies sachalinensis を指すので、注意が必要。
「藩籬草《はんりさう》」複数回、既出既注だが、再掲しておくと、小学館「日本国語大辞典」では『はんり』として、『藩籬・籬・樊籬』と示し、特にそのまま、総て『まがきの意』とする同辞典で、「藩」は『かきね、かこいの意』とする。
「櫬《しん》」「廣漢和辭典」によれば、第一義は、遺体の入っていない「柩・棺(ひつぎ)」。第二義は、アオイ目アオイ科 Sterculioideae 亜科アオギリ属アオギリ Firmiana simplex を指す(先行する「梧桐」を見よ)。第三義で本種ムクゲを指す(他に「薪(たきぎ)」「水を汲む器」の意もある)。
「蕣《しゆん》」本邦では、専ら、「あさがほ」と訓じて、ナス目ヒルガオ科サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil を指すが、漢語では、本種ムクゲしか指さないので、大いに注意が必要である。
「日及《につきふ》」「本草綱目」出典。言い得て妙。
「李《すもも》」日中では、中国原産で古くに日本に渡来したバラ目バラ科スモモ亜科スモモ属スモモPrunus salicina である。「維基百科」の「中国李」に「変種」の冒頭に「李(変原種)」として、Prunus salicina var. salicina が記されているが、これは、スモモPrunus salicina のシノニムである。
「其の葉末《はのすゑ》、尖りて、椏《また》≪の≫齒《ぎざ》、無し」この記事、確かに、「集解」の中の時珍の解説の中にあるのだが、不審である。ウィキの「ムクゲ」の画像を見ると、葉には粗い鋸歯がはっきり視認でき、先の引用でも「☜」で示した通り、『葉縁に粗い鋸歯がある』とあるからである。これは、時珍の書き間違いかと思われる。
『小≪さき≫「葵《あふひ》」』これは、明代のそれであり、本邦でも「葵」は、全く異なった種を複数指すように、特定の種や種群に限定することは難しい。「廣漢和辭典」を見ると、第一義は『野菜の名』とし、『せつぶんそう(節分草)を菟葵(トキ)、せり(芹)を楚葵(ソキ)、じゅんさい(蓴菜)を鳧葵(フキ)という』とある。しかし、この冒頭の「節分草」は、本邦では、キンポウゲ目キンポウゲ科セツブンソウ属セツブンソウ Eranthis pinnatifida を指すのであるが、これは日本固有種であり、この記載は、まず信じられないのであったが(但し、セツブンソウ属Eranthis は中国にも分布する)、実は、その途方に暮れた一瞬、納得された、ある事実を見出したのであった。それは、ウィキの「セツブンソウ」を見たところが、『節分草』の『漢』字『名には菟葵・莃が当てられるが、中国語ではどちらもフユアオイを指す』とあったことである。そして、まさに同辞典の第二義に『たちあおい』を挙げてあるのであった(他に続いて、『ひまわり』『の花』であるとか、『地葵は、ははきぎ』とか、またまた、グジャグジャとあるのだが、そこは紹介するに留める)。されば、この「本草綱目」の「葵」とは、アオイ目アオイ科ゼニアオイ属フユアオイ Malva verticillata と採ってよいだろうと私は踏んだ。さらに、ウィキの「フユアオイ」を見たところが、瓢箪から駒で、『アオイ(葵)という名は、少なくとも』(☞)『近世以降はタチアオイ』(アオイ目アオイ科 Malvoideae 亜科タチアオイ属タチアオイAlthaea rosea )『を意味するが、元は』、この『フユアオイを指し、「仰(あおぐ)日(ひ)」の意味で、葉に向日性があるためという』。但し、「万葉集」の『時代にはすでにタチアオイの意味だったとの説もある』とあった。このヤヤコシヤヤ状態の中ではあるが、また、立ち位置を変えて考えてみることで、別に、私は、『良安は、ここの「葵」を、まず、間違いなく、タチアオイと認識しているはずだッツ!』と横手を打ったのである。何でそんなに興奮しするのか判らんってカ? それはね……私が、ムクゲの花を見るときは何時も、『ムクゲの花って、タチアオイの花に似てるなぁ……』って思うからなんだ……そう……遠い昔……結婚しようと思った女性と……飽きず眺めたタチアオイの花を思い出すからなんだよ…………
「單葉《ひとへ》、千葉《やへ》の者」この読みは東洋文庫訳のルビを参考にした。
「榆《にれ》」(=「楡」)は日中ともに、双子葉類植物綱バラ目(或いはイラクサ目)ニレ科ニレ属 Ulmus で問題ない。先行する「榆」を見よ。
「泡-桐《きり》」シソ目キリ科キリ属 Paulownia の漢名。或いは、本邦のキリ Paulownia tomentosa をも指す。
「馬兠鈴《ばとれい》」「兠」は「兜」の異体字。コショウ目ウマノスズクサ(馬鈴草)科ウマノスズクサ亜科ウマノスズクサ属ウマノスズクサ亜属ウマノスズクサ Aristolochia debilis )の異名。過去、漢方薬種の一つとしたが、ウィキの「ウマノスズクサ」によれば、『含有成分であるアリストロキア酸が腎障害を引き起こすため、薬用とはされなくなった』とあった。
「腸風《ちやうふう》」東洋文庫訳の割注に『(出血性大腸炎)』とある。
「瀉血《しやけつ》」東洋文庫訳の割注に『(下血)』とある。
「赤白《ながち》」読みは東洋文庫訳のルビを採用したが、本来は「赤」と「白」は別な症状を指す。「赤」は「赤帯下(しゃくたいげ)」で、子宮から血の混じった「おりもの」(帯下(こしけ/たいげ)。膣から出た粘性の液体で、色は透明か乳白色、或いはやや黄色みを帯びている)が長期間に亙って出る症状を指し、「白」は「白崩(はくはう)」で、「こしけ」の血を含んだ異常出血を指す。
「帶下《こしけ》」前注参照。ここは正常なそれではない状態の様態を広く指す。
「瘡癬《さうせん》」東洋文庫訳の割注に『(皮膚のできもの)』とある。
「脫肛」痔疾 の一種で、肛門の粘膜や、直腸下端の粘膜が肛門外に出てしまう病態を指す。
「白礬《はくばん》」天然明礬(カリ明礬石製)を温水に溶かして冷やしたもの。
「五倍子《ごばいし》」ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の葉に、ヌルデシロアブラムシ(半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科アブラムシ科ゴバイシアブラ属ヌルデシロアブラムシ Schlechtendalia chinensi)が寄生すると、大きな虫癭(ちゅうえい)を作る。虫癭には黒紫色のアブラムシが多数詰まっており、この虫癭はタンニンが豊富に含まれていうことから、古来、皮鞣(かわなめ)しに用いられたり、黒色染料の原料になる。染め物では空五倍子色(うつぶしいろ:灰色がかった淡い茶色。サイト「伝統色のいろは」こちらで色を確認出来る)と呼ばれる伝統的な色を作り出す。インキや白髪染の原料になるほか、嘗つては、既婚女性及び十八歳以上の未婚女性の習慣であった「お歯黒」にも用いられた。また、生薬として「五倍子(ごばいし)」あるいは「付子(ふし)」と呼ばれ、腫れ物や歯痛などに用いられた。主に参照したウィキの「ヌルデ」によれば、『但し、猛毒のあるトリカブトの根「附子」も「付子」』『と書かれることがあるので、混同しないよう注意を要する』。さらに、『ヌルデの果実は塩麩子(えんぶし)といい、下痢や咳の薬として用いられた』とある。
『「詩」に云はく、『女《ぢよ》 有り 車《くるま》を同《おなじ》ふし 顏《かんばせ》 蕣華《しゆんくわ》のごとし』』「詩經」の「國風」の「鄭風」(ていふう)にある、「有女同車(いうぢよどうしや)」。
*
有女同車
有女同車
顏如舜華
將翺將翔
佩玉瓊琚
彼美孟姜
洵美且都
有女同行
顏如舜英
將翺將翔
佩玉將將
彼美孟姜
德音不忘
有女同車
女(ぢよ) 有(あ)り 車(くるま)を同(とも)にす
顏(かほ)は舜華(しゆうくわ)のごとし
將(は)た 翺(こう)し 將た 翔(しやう)するに
佩玉(はいぎよく)は瓊琚(けいきよ)
彼(か)の美(び)なる孟姜(まうきやう)
洵(まこと)に美にして 且つ 都(みやびや)かなり
女 有り 行(かう)を同にす
顏は舜英(しゆんえい)のごとし
將た 翺し 將た 翔すれば
佩玉(はいぎよく)は將將(しやうしやう)たり
彼の美なる孟姜
德音(とくおん) 忘(ほろ)びず
*
既に述べた通り、「舜華」は木槿の花。以下の語注は、恩師である乾一夫先生の編になる明治書院『中国の名詩鑑賞』「1 詩経」(昭和五〇(一九七五)年刊)を参考にした。「將翺將翔」原義は「鳥が空を飛ぶこと」で、ここは「巡り行く」ことの形容である「翺翔(かうしやう)」(こうしょう)を四字句と成して、リズムをつけたもの。「佩玉」腰に下げる装飾の玉(ぎょく)。帯玉(おびだま)。「瓊琚」「瓊」は「赤い玉(ぎょく)」を指すが、ここは美玉の通称。「琚」佩玉にする玉に似た赤色の石を言う。「孟姜」貴族である姜家(きょうけ)の長女(「孟」は長男・長女を指す語)の意。先行する「鄘風」の「桑中(さうちゆう)」にも登場している。「洵」の仮借字。「行」道。「舜英」木槿の花。「英」は「榮」と同義で、ここは「咲き誇る華(花)」の意。「將將」「瑲瑲」(宝玉や楽器が美しい音を奏でるさま)の仮借。「德音」これは「聲譽」(誉(ほま)れ・評判が頻りなさま)を指す。「忘」「亡」の仮借。
「牝痔《ひんじ》」東洋文庫訳の割注に『外痔の一種。後門の周辺にできる瘡腫)』とある。肬痔(いぼじ)の類。
「旋花(ひるがほ)」ナス目ヒルガオ科ヒルガオ属ヒルガオ品種ヒルガオ Calystegia pubescens f. major 。私の遺愛の花。
「金錢花(ごじくは)」キク目キク科キク亜科キンセンカ属キンセンカ Calendula officinalis 。
「壺盧(ゆうがほ)」ウリ目ウリ科ユウガオ属ユウガオ変種ユウガオ Lagenaria siceraria var. hispida 。昔、親しくしていた年上の女性の一人家に、夏、訪ねると、何時も咲いていた。ある夏の日、彼女は、突然、失踪してしまった。それを人づてに聴き、彼女の「山が」の一軒家を訪ねたら、窓を覆っていた夕顔は、悉く枯れ果てていた……。
「白粉草(おしろいぐさ)」ナデシコ目オシロイバナ科オシロイバナ属オシロイバナ Mirabilis jalapa 。今、我が家で、最も咲き誇っている。今年のは、ことに紅色が鮮やかで濃い。
「黃蜀葵(きとろゝ)」アオイ目アオイ科アオイ亜科トロロアオイ属トロロアオイ Abelmoschus manihot の異名。漢字名「黄蜀葵」。
「茉莉(まり)」シソ目モクセイ科ソケイ属ソケイ Jasminum grandiflorum の異名。
「木芙蓉(もくふよう)」既注のフヨウ属フヨウ Hibiscus mutabilis の異名。
「扶桑(ふさう)」フヨウ属ブッソウゲ Hibiscus rosa-sinensis 。一般に「ハイビスカス」とも呼ばれるが、これはフヨウ属 Hibiscus に含まれる植物の総称であり、このブッソウゲ(仏桑花)が代表的な種である。因みに、次項が「ぶつさうげ 扶桑」である。
「娑羅樹(しやらじゆ)」本来は、アオイ目フタバガキ科サラノキ属サラソウジュ Shorea robusta を指すが(沙羅双樹・娑羅双樹)、インドから東南アジアにかけて広く分布する熱帯・亜熱帯の樹木で、本邦には自生しない。本邦で栽培するには温室が必要で、日本の寺院で聖樹としてこの名で植えらている木の殆んどは、本種ではなく、ツツジ目ツバキ科ナツツバキ属ナツツバキ Stewartia pseudocamellia であり、ここもそれ。
「棗(なつめ)」バラ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis (南ヨーロッパ原産、或いは、中国北部の原産とも言われる。伝来は、奈良時代以前とされている。
「銀杏花(いちゑうくは)」裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属イチョウ Ginkgo biloba の花。サイト「FLOWER」の「花言葉」の『長寿の木「イチョウ」の花言葉は?由来は?』の「イチョウの花は珍しい?」に、『皆さんはイチョウに花が咲くことを知っていましたか?』『イチョウは裸子植物に分類され、花弁のきれいないわゆる「お花」を咲かせるわけではありませんが、しっかりと雄花(おばな)、雌花(めばな)を咲かせます』。『しかし、そのイチョウの花は非常に目立たず、春の訪れと共に、葉っぱの間からこっそりと咲くため、見つけるのは一筋縄ではいきません』。『そのため、イチョウの花の存在を知っている人は少なく、実際に見かけることもないので珍しいと言えます』。『
その控えめな美しさを見つけるのは、まるで宝探しのような楽しさがありますね!』とある。私は、それが花であることを知ったのは幼稚園の時で、当時、一時期、住んでいた大泉学園の妙延寺(グーグル・マップ・データ)の境内にあったイチョウの巨木の前で、当時の和尚さんに教えて貰って知った。
「牽牛花《けんぎうくわ》」アサガオの別名。「日本科学未来館 科学コミュニケーターブログ」の松浦麻子氏の「牽牛花をご存じですか? =七夕とあの植物のお話=」に、『昔々、中国で、ある農夫が、アサガオのタネを服用して病気が治ったので、自分の水牛を連れてアサガオのある田んぼにお礼を言いに行ったことから、「牽牛花」と呼ばれるようになったとか(牽牛とは、本来は「牛を引く」という意味です。)。日本では奈良時代に伝わってきて以来、生薬や園芸植物として親しまれてきました』。『江戸時代には、七夕の頃に咲くことも相まって、花が咲いたアサガオは「彦星(=牽牛星)」と「織姫星」が年に一度出会えたことを現しているとして、縁起の良いモノとされたとか。変化アサガオも江戸時代からあったことがわかっていますし、きっと粋なモノとして大事にされたのではないか、と思います』とあった。
「万葉」「朝がほは朝露《あさつゆ》負(おふ)てさくといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲き增(まさ)さりけれ」「万葉集」の「卷第十」の「秋の雜歌(ざふか)」の中の一首(二一〇四番)。
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朝顏は朝露負ひて咲くといへど
夕影にこそ咲きまさりけれ
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下句は「暮れの夕日の光を受けている中にあってこそ、一層、美しく咲くのであります。」の意。
「海石榴(つばき)」「椿」=「藪椿」で、ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica 。]
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